第6話 ⚔️ 湖底の真実と、戦国の霧

 犬山は、特殊装具一式を収納した大型バッグを肩にかけ、玄関の扉に手をかけた。漆黒のボディアーマーの重みが、彼にプロフェッショナルとしての冷静さを思い出させる。父の最期の言葉が頭の中で反響していた。

​「真実は、湖の底で待っている」

 ​彼が警視庁の厳しい訓練と任務の合間に、父が引退に追い込まれた「未解決の汚職事件」について密かに調べていることを、厳は知っていた。その事件の鍵となる証拠物件——大手建設会社の裏帳簿のコピーが、事件発生直後に突如として琵琶湖周辺から姿を消したとされている。

​「湖の底…」犬山は唇を噛みしめ、改めて父の部屋を振り返った。錯乱ではない。父は、何かを知っている。

​ 彼は家を出て、訓練基地へ向かうために愛車である黒塗りの高性能オフロード車に乗り込んだ。しかし、いつもの基地への道ではなく、琵琶湖の湖岸沿いに車を走らせた。射撃訓練にはまだ時間がある。まずは、父の言葉の「湖の底」という暗示を、物理的に確認するべきだと直感した。

 🕳️ 湖畔の異変

​ 車を停めたのは、大津市でも特に人通りの少ない、鬱蒼とした木々が湖面に影を落とす湖畔の一角だった。早朝の霧はまだ完全に晴れず、水面は鉛色に鈍く光っている。

 ​犬山は車から降り、湖岸の小石を踏みしめながら、鋭い視線を周囲に走らせた。彼は特殊部隊の精鋭として、地形のわずかな変化も見逃さない。その目が、湖岸から十数メートル離れた、通常であれば水が溜まらないはずの場所に、不自然に土が湿り、大きな水たまりができているのを発見した。

​「これは…」

​ 犬山は慎重にその水たまりに近づいた。水たまりの真ん中には、まるで何かが大地を抉り取ったかのような、直径約2メートルの窪地があった。窪地の縁は、通常の浸食とは異なる、人工的にも見える滑らかな曲面を描いている。

​ 彼はアーマーのポケットからマルチツールを取り出し、窪地の縁の土を少し掘ってみた。土は固く締まっているが、掘り進めるにつれて、その下からかすかに金属が擦れるような音が聞こえた。

​「まさか…」

​ 犬山は直感した。父が言った「湖の底」とは、単なる比喩ではなく、実際に湖底か、あるいは湖底に近い何かが、この早朝の異常な水位の低下(あるいは、何らかの地盤沈下)によって露わになったのではないか。

​ 彼は周囲に人がいないことを確認し、特殊装具バッグからロープを取り出し、窪地に降りる準備を始めた。

 ⚡ 時空の断裂

​ 窪地は予想以上に深く、底は暗くて見えなかった。ロープで身体を支えながら、犬山は慎重に降下していく。その間にも、窪地の縁からは、空気が漏れるような「ヒュウ、ヒュウ」という異音が聞こえていた。

​ 約5メートルほど降りたところで、彼の足が硬いものに触れた。そこには、土に半分埋もれた、巨大な金属製の蓋のようなものがあった。長年の土壌に埋もれていたにもかかわらず、表面には奇妙なほど滑らかな光沢が残っている。それは現代の技術では考えられないほどシームレスで、継ぎ目が一切見当たらない。

​ 犬山が蓋の表面に触れた瞬間、窪地全体が強烈な高周波の振動に襲われた。


 脳内には、異常な電磁波と低周波音の混合したノイズが響き渡る。

​「くそっ!」

​ 彼は反射的に蓋から手を離そうとしたが、皮膚が表面に吸い付いたかのように離れない。次の瞬間、金属蓋の表面が稲妻のような青白い光を放ち始めた。

​「ヴゥウウウウウウウウウ……!」

​ 凄まじい轟音とともに、足元の金属蓋が、まるで水面のように液体化し、渦を巻き始めた。犬山はそのまま、光と渦の中心へと吸い込まれていく。身体にかかるGは想像を絶し、意識は一瞬で白く染め上げられた。

 🏯 戦国の朝霧

​ 犬山が次に意識を取り戻したとき、彼は冷たく湿った土の上に倒れていた。

​「…ここは…」

​ 酸素吸入器の規則的な音も、高性能車のアイドリング音もない。あるのは、遠くで聞こえる鳥の鳴き声と、甲高い木を叩く音、そして火薬の匂い。

​ 彼は反射的に立ち上がり、周囲を見渡した。霧はまだ濃く立ち込めているが、彼の視界に入ってきたのは、先ほどまでいた琵琶湖畔とは似ても似つかない光景だった。

​ 眼前に広がるのは、泥と木材でできた粗末な集落。

​ 彼の横には、近代的な装備が全て消え去った、ただの深い土の穴。

​ そして、霧の向こうには、石垣と櫓を擁した、巨大な城郭のシルエットが浮かび上がっていた。

​ 彼が身に着けているのは、特殊部隊の漆黒の戦闘服とボディアーマー、そして腰にはメンテナンスを終えたばかりの最新鋭のサイドアーム。その異様さに気づき、犬山は愕然とした。

​ その時、霧の中から二つの影が彼に向かって駆けてきた。

​「なんだ、この黒漆くろうるしの異形は!鉄砲を持っているぞ!」

「はっ!異国かぶれの間者か!控えおれ!」

​ 彼らは、頭に烏帽子えぼしのようなものを被り、粗末な革鎧を着けた、刀と槍を携えた男たちだった。その目つきは鋭く、全身から発せられる警戒心は、犬山がこれまで対峙してきたどのテロリストよりも本能的で、そして時代錯誤であった。

​ 犬山は、一瞬で状況を理解した。父の言葉の真意、湖底の金属蓋、異常な振動…これらが彼を、西暦2035年秋から、はるか昔の戦国時代へと放り込んだのだ。

​「…まさか」

​ 彼は訓練されたSAT隊員として、即座に戦闘態勢に入りながらも、心の中で唯一の疑問を抱いた。

​(ここが、父さんが追い求めた真実と、どう繋がっているというのだ?)

​ 犬山は目の前の二人の男と戦うべきか、それとも特殊装具の能力を活かして逃走すべきか?

​ 彼が落ちた場所、そして目の前の城郭は、戦国時代のどの勢力の拠点なのか?

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