戦国バトルロワイヤル
鷹山トシキ
第1話 夢を追う
西暦2035年。
日本の科学技術の中枢たる研究施設は、愛知県豊田市、かつて自動車産業の中核を担った広大な敷地の一角に、ひっそりと、しかし異様な存在感を放って建設されていた。その名は「時間情報制御研究機構・豊田ラボ」、通称「T-Lab(ティー・ラボ)」である。
この施設が世界から注目を集める理由はただ一つ。その中央棟に、「時空間跳躍装置(クロノス・ジャンパー)」— すなわちタイムマシンが完成したからに他ならない。
計画の総指揮を執ったのは、理論物理学者として世界的な名声を得ていた
2035年11月15日。完成披露会には、各国首脳、科学アカデミーの代表、そして地元豊田市の名士が集結した。
巨大なドーム状の研究棟の中央には、直径30メートルに及ぶ、黒曜石のような特殊合金で造られた円形の巨大装置が鎮座している。装置の周囲には、無数の精密なコイルと、稼働時に青いプラズマを発生させると予測されるエネルギー伝達路が複雑に絡み合っていた。
藤堂教授は、壇上にて、静かに、しかし熱のこもった口調で語った。
「本装置は、空間を固定し、特定の時間の流れを抽出・再構築するという、極めて単純な理論に基づいています。豊田市の持つ精密加工技術と、長年培われたエネルギー効率化のノウハウがなければ、この装置は机上の空論で終わっていたでしょう」
彼は、豊田市の製造業への敬意を払うことを忘れなかった。
「我々は、過去を改変するために造ったのではない。過去の真実を知り、未来への英知とするために、この扉を開いたのです」
壇上での説明が終わり、いよいよデモンストレーションが始まる。
警報音が施設内に鳴り響き、装置の中央部がゆっくりと開き、搭乗区画が現れる。搭乗区画には、厳重な防護服を着用した
「クロノス・ジャンパー、起動シークエンスへ移行。エネルギー注入開始!」
オペレーターの声が響く中、装置を覆う合金製の壁面が、深紅から白熱する青へと瞬時に色を変え始めた。空気が激しく振動し、高周波の唸りが周囲を包み込む。
藤堂教授が、最終命令を下した。
「最初の跳躍目標は、1560年5月19日、尾張国、桶狭間付近とする。観測時間は30分。歴史的影響を最小限に留めよ」
豊田の地で生まれたタイムマシンが、最初に向かう先は、皮肉にも、この地を領した大名、今川義元が散った、その運命の瞬間であった。
青いプラズマが円形装置の中央に集中し、一瞬、全てが光に包まれた。
数秒後、光が収束したとき、装置の中央にあった搭乗区画は、忽然と消失していた。
この瞬間、豊田市は「自動車の都」から「時間技術の聖地」へとその肩書きを変えた。
報道陣は一斉に閃光を浴びせ、世界中のヘッドラインは「時間旅行、始動」の文字で埋め尽くされた。
この成功は、科学界に新たな論争と、計り知れない希望をもたらした。豊田の街には、各国からの科学者や研究者が集まり始め、この静かな地方都市は、人類の歴史を書き換える可能性を秘めた、未来の知の中心地として、新たな役割を担うことになったのである。
木崎博士が、1560年の空から何を観測し、何を持ち帰るのか— 人類の未来は、この豊田市に完成した巨大な装置によって、決定的に変わろうとしていた。
派遣社員・
今日も食品工場の冷蔵室で、流れてくるパンのトレイに、黙々と袋詰めされた具材を乗せていく。温度は常に5度。澱むような冷気が健斗の体を覆い、動悸も思考も、すべてがゆっくりになっていくようだった。
「佐倉、ちょっとペース落ちてるぞ。昼休みまであと二十分だ」
班長の乾いた声が、冷気を通して健斗の耳に届く。
「すみません」
健斗は反射的に声を出し、トレイに乗せた具材の数を一つ増やした。機械のように同じ動きを繰り返す。これが健斗の日常だ。
小説家になるという夢を抱いて上京してから十年。健斗の書く小説は、いつも読者の心臓に届く前に、この冷蔵室の冷気のように「澱んで」しまう。デビュー作以来、彼は一冊も売れていない。
(俺に、熱があるものを書けるのか?)
ふと、自分の手のひらを見た。手袋越しにも、パンの冷たさが伝わってくる。
彼が今、四苦八苦しながら書いているのは、**『織田信長』**の評伝だ。
史上最も熱く、最も合理的に、世界を焼き尽くした男。健斗の人生の対極にいる人間だ。
先日、担当編集者から「佐倉さんの書く信長は、どうにも冷たいんですよね。熱がない。まるで誰かの焼き直しだ」と容赦なく切り捨てられた。そして、こう付け加えられたのだ。
「現場を見てください。信長という存在を、あなたの五感で捉えてきてください。それができないなら、もう打ち切りです」
健斗は貯金を切り崩し、有給を三日使って、今日から旅に出る。
尾張・清洲
派遣先の工場から鈍行を乗り継ぎ、健斗は尾張の地に降り立った。目指すは、信長が家督を継ぎ、天下布武への第一歩を踏み出した清洲城の城跡。
現代の清洲城は再建されたものだが、その城郭の向かいには、かつて堀や石垣があったことを示す遺構が静かに残されている。
「うつけ」と呼ばれた若き日の信長が、ここで何を考えていたのか。
健斗は、城跡の石碑の前に立った。信長が当主になった頃、この城は周りを敵に囲まれ、いつ攻め落とされてもおかしくない状況だったという。
そのとき、健斗のポケットでスマホが震えた。メッセージ通知だ。
「来月のシフト、土日出勤の代わりを見つけましたか? 見つからない場合は、あなたの有給消化分から削ります」
食品工場の班長、赤坂からだった。
健斗はメッセージを既読にするだけで返信しなかった。胸の奥に、何か焦げ付くような苛立ちが湧き上がる。
自分の居場所を守るために、他人の権利を平然と削る。この冷徹な行動原理は、あの冷蔵室の冷気と同じだ。
健斗は、石碑から目を離し、遠くを見つめた。当時の信長も、周囲の冷たい視線や、いつ裏切るかわからない一族の重圧を感じていたのだろうか。
「信長は……この澱んだ冷気を、どうやって熱に変えたんだろう」
健斗は、自分の抱える鬱屈を、時代の重圧を跳ねのけた信長に重ねようとしていた。
翌日、健斗は信長が人生最大の大逆転劇を演じた場所、桶狭間古戦場へ向かうことにした。
雅と武:今川義元、桶狭間出陣前夜の考察
永禄三年(1560年)五月、駿河国、駿府館。
今川義元、その人、幼少より高き学識と雅を尊び、文武両道の英才として家督を継承。甲斐・武田、相模・北条との三国同盟締結により、東海の覇権を確立せしめたる偉丈夫なり。三河一国を併呑し、織田家との決戦は目前に迫る。
この夜、義元は書院にて、幕僚筆頭たる太原雪斎の後を継ぐ軍師、および若き武将松平元康(後の徳川家康)を傍らに召し、最後の軍議に臨んでいた。
一、軍議の席
深更に及ぶも、書院の空気は張り詰めていた。座中、義元は公家風の
「軍師、三河衆の編成と配置は、先の指示通りに整い申したか」
義元は茶碗を置き、静かに問うた。
「はっ。元康殿を大将とする三河衆は、五千の兵を以て先鋒に配置。大高城への兵糧搬入を第一義とし、その後の鳴海城、沓掛城への牽制を担わせます」
軍師は、几帳面に巻物を開いて報告する。義元の眼光は、隣に控える松平元康に向けられた。
「元康よ。大高城は、貴殿の忠節を試す要衝なり。織田信長の警戒心を高めず、巧みに兵糧を運び入れたる後、城を固めよ。我らの本体、二万五千余の兵は、貴殿らの働きを契機として、一気に尾張を
元康は、座敷の畳に深く頭を垂れた。
「恐れ入りまする。亡き父・広忠の遺言、今川家への忠節、決して
彼の声音には、人質としての境遇から解放され、武将として認められたことへの、抑え難い決意が滲んでいた。
二、義元の決断と覚悟
軍師は、懸念事項を述べ立てた。
「されど殿。織田信長は、常識に囚われぬ狂気を持つと聞きます。我ら、大兵をもって正面より対峙すれば、信長は籠城戦に徹するやもしれませぬ。あるいは、奇襲を企てるやも……」
義元は、微動だにせず、首を横に振った。
「軍師。貴殿の懸念は理解する。しかし、信長の『奇行』は、むしろ我らにとって利となる」
義元は、畳の上の地図を指差した。
「信長は、その大うつけの振る舞いゆえ、味方からの信頼も厚からず。彼が少数をもって奇襲を企てたとしても、大軍の威勢を前に、その企図は霧散する。それこそが、彼の限界を知らしめる好機となろう」
義元は立ち上がった。その背後には、彼の学んだ雅な京文化と、父祖から受け継いだ武家の血が、一体となって見えた。
「我らは、海道一の弓取り。その名に懸けて、京へ上り、天下に号令せん。尾張の小勢など、進撃の露払いに過ぎぬ。織田信長には、我らが東海の覇者たることを、その身を以て悟らせて進ぜよう」
「明日、日の出と共に、全軍進発」
義元の厳命が下り、その場に居合わせた者全員が、その揺るぎない覚悟と、威厳に満ちた姿に、深く頭を垂れたのであった。
こうして、今川義元は、自らの覇業成就を確信し、運命の地、桶狭間へと向かうことになる。
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