第2話

「どうか、あたしと結婚していただけませんか、ランディルさん。」


 その声は、極上のシタールのような均整の取れた上品さがあった。

 しかし、だとしてもである。いや、だからこそ、か。


(どうしてこの子はおれにこんなことを?)


 処刑前の罪人に求婚するなど、正気ではない。


 ランディルはひとまず尋ねた。

「だれだ?」

「あたしはショーバニー。大商人​​​​ダルマドゥワジの娘です。

 あなたに一目ぼれしました。結婚してください。」


「いやいや、おれは明日処刑だぞ。結婚なんぞできるわけねえじゃないか。」

「つまり、処刑がなくなればまだ目がある、ということですね。王に助命を申し出てみます。

 必ず助けて見せますから、お待ちしていてくださいな、旦那様。」

「いや、まだ結婚すると言ったわけでは」

 返事も聞かずに、ショーバニーとかいう娘はどこかへ行ってしまった。


 引き回し中の身では追いかけられもせず、ランディルは呆然と小さい嵐のような彼女を見送るばかりだった。



 馬車が再びゆっくりと動き出してから、盗賊は御者に問いかけた。

「なあ、あいつなんなんだ。」

「この国一番の大商人の娘ですよ。美人なんですが、物を見る目はあまりないようで。

 ……前に話した怪しい露店の話、覚えてます​?」

「ああ、客が世間知らずの嬢ちゃんしかいないっていうやつだろ。」

「その唯一の客が彼女です。流行り遅れの安い首飾りから怪しげな『蛇神のナーガマニ』まで、全て値引きもせずに買ってくれるってんで絶好のカモらしいですよ。」


「『蛇神のナーガマニ』ってなんだよ。」

「知らないんですか?かの英雄アルジュナを甦らせた、蛇族の秘宝じゃないですか。死んだ人間を一度だけ生き返らせるっていうアレですよ。まあどうせパチモンでしょうけど。」

「……聞いたことがあるような。それにしても酷いな、そんないかにも怪しい物を買うなんて。親は放っておいてるのか。」

 御者は少し気まずいそうに沈黙した。背中を刺す視線は一段と強くなった。


 商人がほとんど住んでいない人通りの少ない通りに入ったとき、御者はぽつりと言った。

「あの子、美人だったでしょう?」

「ああ、まあ」

「実際、王子や他国の王からの求婚もあるらしいですよ。

 あの子が笑って立ってるだけで、大抵の取り引きが有利にいくんですよ。そうなると父親も立場が弱いようで、好きにさせちまうんですね。」

「なるほど。そういえば、おまえはどうやってこのことを知ったんだ?」

「飲み場であった露店の商人と、あの家の召使いに聞き出しました。」

「いやな情報源だな。」




 ※



 ショーバニーは王宮へ走り参じた。


 門番に首飾りの宝石を差し出し、順番を飛ばして入れてもらう。

 元々はあまり金に物を言わすような品のないことは好まないのだが、こうなっては仕方がない。

 時は一刻を争うのだ。つかえるものはすべて使うつもりだった。


 顔と金をできる限り活用したおかげで、来てから半刻経つ頃には王との謁見が叶った。


 王の間に入ると、煌々と焚かれた篝火の後ろに、翡翠と柘榴石で彩られた大理石の玉座が見えた。その横には、日の入りずらいこの部屋で時間を把握するためか、大きな砂時計がある。


 そこに座るのは、壮年の王である。全盛期を超えてもなおその肉体には陰りが見えず、腕の弓弦の跡など、いくつもの古傷がその体を飾っていた。


 彼の名はチャンドラジッド。ここアヨディーヤで、ラーマの再来と謳われる強大な王である。

 この王が昨夜、自らの手でランディルを捕らえたのだ。


 王はショーバニーを認めると、重たい口を開いた。


商人ヴァイジャダルマドゥワジの娘、ショーバニーだな。何用だ。」

「今宵処刑される盗賊ランディルの助命に参りました。

 我が財産を差し上げます故、どうか命だけはお助けください。」


「……返事をする前に、理由を聞いておこう。

 なぜ初対面の盗賊にそこまで肩入れする?あいつは、殺しこそしなかったが、この都を恐怖に晒した、死刑に相応しい凶悪な男だ。

 おまえの財産を捧げてまで守るべき存在ではない。」


「相変わらず盗賊には厳しいようで。でも、わたしはしなくてはなりません。『約束』がありますから。」

「『約束』だと?そんな理由で……。」

「そんなことよりチャンドラジッドさま。わたしに借りがあることをお忘れではありませんか?」


「ああ、十二年前のことか。

 私への復讐に娘を殺そうとした盗賊団が、食事会に招待されていたきみを娘と勘違いし攫った。

 確かに君には感謝している。もし娘だったなら、間違いなく殺されていた。君であればこそ、生きて帰ってこられたんだ。」


「その恩を今利子付きで返していただきましょう。

 さあ、もう一度お願いします。あの男の命を救ってください。」


 王は面白そうに笑った。


「いいだろう、だがダダでは譲れないな。条件がある」

 王はそばの召使いに耳打ちした。


 しばらくすると、召使いは机と椅子を持ってきて、その机の上にたくさんの宝貝が入った箱を二つと、十字の布を置いた。それに四色の大理石でできた駒をそれぞれ四つも。


「パチーシだ。ルールはわかっているだろう。

 元々は4人二組でやるものだが、それぞれ2人分でやろう。

 私に勝てたら、あの盗賊を赦してやろうぞ。」


 パチーシというのは、宝貝の表が出た分だけ駒を進め、一周させゴールに入れる遊戯である。4つある駒を先にすべてゴールにいれたほうが勝ちだ。


 西の国ではルドーと呼ばれているらしいが、この辺りに昔からあるゲームだ。


 王は椅子に座った。


 召使いが扉を閉めて王と二人きりになった。奥にある部屋なので、扉を閉めればもう日光は入らない。


 ゆらめく篝火に照らされた王の顔が怪しく照らされて見えた。


「いいでしょう。受けて立ちます。わたしが先行でいいですね。」


 ショーバニーは、椅子に座り、サイコロを持った。

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