第4話 鎖を解く湯
「今日は特別に湯浴みの仕方を教えてあげるよ。でも、次からは一人で出来るようにしてね」
「……教えてくれるのか? お前が?」
少し躊躇いながら聞き返した。
「うん。使用人に任せたら、君が暴れて大変なことになりそうだからね」
正直こんなガキに何かを教わるのは屈辱だが、『湯浴み』というものを毎日やりたいって欲望には勝てない。それに知らない奴に触られるよりはマシだ。ま、ちょっとだけ抵抗はしておくか。
「……俺、次からは絶対一人でやるからな!」
「当たり前でしょ? そのくらいできてもらわないと困るよ。ほら、早くそのボロ雑巾を脱いで」
俺の抵抗は秒で瞬殺された。
あと、これはボロ雑巾じゃない。服だ。土や砂でここまでボロくなっただけだ。
渋々と服を脱ぐと、痩せこけた体と傷だらけの肌が露わになった。思わず腕で体を隠し、低く唸る。
「……見るな」
「うん、なるべく見ないようにするね」
なんかリオル、さっきから怒ってるのか悲しんでるのか、よくわからない匂いがする。野生の勘みたいなもんだが。
「ほら、こっちに座って。こうするとお湯が出るから、それでまず全体の汚れを落とすんだよ」
言われた通りに椅子に腰を下ろすと、恐る恐る手を伸ばして取っ手をひねる。
「こ、こうか?」
ジャッ────!
「うわあああ! 痛ってぇぇ!!!」
反射的に後ろに飛び退くと、耳と尻尾が完全に下がった。
「あははっ、最初は手で温度を確認しないと〜」
おい、こいつわざとか?面白そうに笑いやがって。俺は今攻撃されたんだぞ?
「て、てめぇ……!」
真っ赤になった俺の顔を見て、しょうがなさそうにお手本を見せた。
「こうやって手で確かめて……ほら、今度は大丈夫でしょ?」
お湯が俺の手を撫でる。
あったかい……痛くねぇ。
「最初からこうして教えろよ……」
自分の体を慎重に洗い流す。それと同時に土や泥も流れ落ちていった。やることが多くて大変だな。一瞬で終わる方法はないのか?そもそもこの泡をつけてどうなるんだ。
どうにも扱い方がわからず、俺は結局リオルに任せた。
「なんだこれ……しゅわしゅわする……」
「こうして頭の汚れを落とすんだよ。って、一回じゃ落ちないね」
そんな言葉に耳を傾けながら、目をぎゅっと閉じて泡に包まれた頭を預ける。最初は泡が黒く濁っていたが、何度も洗ううちに白くなり汚れもすっかり落ちたようだった。
リオルが感心したように言う。
「わぁ……髪、こんなに綺麗な金色だったんだね!」
自分でもびっくりだ。土や泥で汚れてた俺の毛が、こんな透き通った金色になるなんて。なるほど、この泡は俺の見た目をよくしてくれる魔法の泡だったんだな。
「次はね、石鹸を使って体を洗うんだよ」
石鹸と言うものを受け取るが、つるつるして滑る。
「なんだこれ! 暴れ回るぞ!!」
リオルは俺の様子を、ただ面白そうに見ているだけだった。
なんとか爪で石鹸を掴んで手のひらで泡を作った。おお、この泡も俺を綺麗にしてくれるのか。
お湯の扱いにもだいぶ慣れてきた。体を流しているうちに、その温かさがじんわりと体に沁みわたる。俺はぽつりと呟いていた。
「人間にこんなふうに扱われるのは初めてだ……」
リオルの手がほんの一瞬止まった。
「そうみたいだね。今までどんなことされてきたの?」
「見りゃ分かんだろ。まともな扱いなんて受けたことがねぇ」
「ふーん、ほんとこの世の中腐ってるよね!」
口調は軽いが、リオルの言葉には同感する。
この世の中に希望なんてものはない。そう思ってきたはずなのに……なんでこんなに心がぐらつくんだ。
「人間はみんなクソだと思ってた。けど……お前は、少し違うのかもな」
お湯の音にかき消されそうなほどの声で呟くと、リオルはふふっと笑いながら俺を見つめて言った。
「勘違いしない方がいいよ。僕は自分のために君を買ったんだからね。まあ、ついてくるって決めたのは君自身だけどね」
一瞬その言葉にたじろぎながらも、決意に満ちた目で見返した。
「わかってる。俺が決めたことだ。だから約束は守れよ」
「もちろんだよ。僕の言うことをちゃんと聞いてくれたらね!」
あの読めねぇ笑みで俺を捉えてきやがる。俺の決意があいつに伝わってんのかどうかなんて、さっぱり分かんねぇな。
♢♢♢
湯浴みを終えて、リオルの指示に従いタオルで体を拭き始めた。肩や背中に触れる感触に少し身をこわばらせながらも、丁寧に汗や水滴を拭き取っていった。
湯気を背に二人は湯殿を後にした。濡れた足音が廊下に吸い込まれ、ひやっとした空気が火照った肌に触れる。
こいつは俺をぞんざいに扱わない。道具じゃなくて、人間として見てくれているように感じる。
前を歩くリオルに目をやる。
「……お前の呼び方、どうすりゃいいんだ?」
リオルは振り返らず淡々と答える。
「そうだね……僕のことは、ご主人様とでも呼んで」
「ぷっ……ご主人様ってガラじゃねぇけどな。どう見ても坊ちゃんって感じだぜ?」
吹き出した瞬間、リオルの足がピタリと止まった。背中越しでも空気が変わったのがわかる。
「……僕の命令が、聞けないの?」
低い声で放たれた言葉は、さっきの子供っぽさが嘘みたいに消えていた。
「わかった……ご主人様」
檻の中の自分がすっと遠ざかっていく。
それと同時に、見えない首輪をかけられる感覚――けど、嫌じゃねぇ。
「違う人生が……始まるのか……?」
無意識に俺の口から漏れた言葉に、リオルが反応した。
「そうだよ。昨日までの君は、もういない」
リオルが振り返り、その瞳が俺を捉える。
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