ウォーキングイベント ――「現業軍団、3度目の挑戦」

蓮田蓮

ウォーキングイベント ――「現業軍団、3度目の挑戦」

 JS社主催のウォーキングイベントの告知があった。

今回で3回目。

 そして――汐海、佐伯、中野の3名は、3回とも参加賞止まり。

「もうちょっと頑張れば10位いけそうなんですけどね……」中野がぼやく。

 しかし現業者は歩数を稼ぎづらい。乗務だと立ってるだけで歩数が伸びない。

 上位は毎回、デスクワーク組の内勤者ばかり。“現業で10位以内”、それはほぼ都市伝説だった。

ところが今回、発表スライドに突然、新項目が映し出された。

『チーム参加可能(5~10名)』

『現業部門・内勤部門で別集計』

「よっしゃああああ!!」

 最初の雄叫びは、もちろん佐伯だった。

体育会系バリバリの3人は一瞬でテンションが跳ね上がった。現業仲間の周りも一気にざわつき始める。普段はお調子者の中野でさえ、拳を軽く握るほどの熱量だ。

「じゃ、チーム組むぞ!」と佐伯が気合十分で発言すると、

「残り2人どうします?」と汐海が引き継いだ、

「汐海さんの同期の小田原さん、いけるっしょ?」と中野が受け継いで、

「あと、中野と俺の同期を一人ずつ……計6名!」と佐伯が締めた。

「あそこにいる森下大地に声かけてきます!」休憩中におにぎりを食べていた森下大地に声を掛けて、引き摺る様に中野が戻って来た。


こうして現業体育会系“チーム佐伯”が形成された。


【ライバル、燃え上がる】

 他にも参加を検討している者達が出始め、やれ、どうやって対策をするとか、歩数を稼ぐための効率の良い方法とかを話し合っている声で、声の大きい集団が多く控室がにわかに騒々しくなっていた。

 だがその時、佐伯の同期 神田智也が姿を現した。

SB線、TKN線を主に乗務する、大学時代からの古~いライバル。お互い野球部所属で年中対抗戦で試合をしていた。勝敗は五分五分だった。

「今度は俺らが勝ちを貰うぜ、佐伯!」不敵な神田の宣言。その瞬間、佐伯の背中に炎が立ち上がった。

「上等だコラァ!!」腐れ縁は簡単には断ち切れない。特に勝負ごとになるとお互いが引かなかった。

 そして、何故か神田の発言に、中野とその同期 森下大地まで便乗して火柱を上げる。

「……これ健康促進イベントですよね?」小田原啓太の冷静なツッコミが、虚空に消えた。

 しかし小田原も体育会系。売られた喧嘩は買う。歩数も稼ぐ。休日は歩き倒す――作戦会議は即、白熱した。


【チーム市川の「うちはうち、よそはよそ」のウォーキングイベント】

 ウォーキングイベントの開催が発表された日、控室で男子達が大騒ぎしている声が聞こえた。

「絶対に勝つ!」「うぉらぁ負けねえ!」そんな声ばかり。

 市川美咲はペットボトルのレモンティーを飲みながら、“また始まった…”と、静かに眺めていた。体育会系のノリは、嫌いではない。だが、――勝負より季節と景色、美味しい物が大事なタイプだった。

 今年はチーム参加もできるらしいし、内勤と現業別エントリー。それで彼らのテンションが爆上がりしたのが良く分かる。

 先輩の佐伯は、もう興奮で声がひと回り大きくなってるし、後輩の中野の目もやたらギラギラしてる。同期の汐海は「いや、ちょっと…」と言いつつ結局参加する。

 見てて面白いな~。と市川は思いつつも、その横で、女子仲間にLINEを送った。「今年もゆるゆる歩く? スイーツ優先で」

 既読が秒でついた。「もちろん♡」「紅葉見に行こう!」結果、女子チームは速攻で結成された。

 市川は、先輩の佐伯とライバルの同期 神田が「俺らが勝つぜ!」と宣戦布告してきた時、完全に傍観者になっていた。

「だって、歩くイベントだよ?健康促進だよ?何故バチバチの戦場になるのか、理解不能。」と言うのが本音で、小田原が「健康促進イベントですよね…」とぼそっと言っていたので意外と常識人なんだと知った。が、彼も、売られた喧嘩は買うタイプらしい。と気が付いて「体育会系の遺伝子、恐るべし!」と認識させられた。

 女子チームを結成した他の女子達も、その盛り上がりを横目で見ながら、「男子は男子で楽しんでるねー」「うちはうち」とLINEを送り合っていた。


【イベント開始】

 データ管理によって順位が毎日更新され、チーム名がランキングを上下する。

「よし、今日俺ら3位!」

「くっ、また“チーム神田”抜いてきやがった!」

 彼らのチーム名“チーム佐伯”は何となくつけたが勢いが良く、ライバルの“チーム神田”と抜きつ抜かれつを続ける。

 だが、時々謎のダークホース三番チーム”緑の車窓”が首を出してきていた。どこかの部署らしいが正体は不明。

「これ、どこの所属だろう?」と参加者が皆、首をかしげていた

汐海は帰宅時に一駅歩いたり、休みの日は沿線を散歩したりして歩数を稼いだ。春のウォークイベントで寄り道した温泉や、道の駅で食べたこんにゃく田楽を思い出して笑う余裕もある。

 一方、市川チームは注意しようにも……

「美咲さん、そっちの歩数どうです?」と中野が尋ねても、

「……うち? そんなに気にしてないよ」と市川に尋ねても何故か逃げられた。中野と森下の同期に尋ねても返答は似たり寄ったりだった。

 女子チームは完全に“楽しむウォーキング”を決め込んでいて、紅葉を見に行ったり、美味しい物を食べたり、寄り道だらけらしい。

 まあ、男性職員の熱い戦いに、巻き込まれるのもめんどくさい、と思っていたのは内緒の話。「ウチらは、ウチらだし。この際だから楽しんじゃおう!」が合言葉になっていた。実際、上位には程遠い順位だったし、そもそも、上位を狙っていなかった。

 彼女達の目的は “歩数稼ぎ”ではなく、“季節を満喫すること”だったので、休みの日に紅葉の名所を巡ったり、途中でスイーツ食べたり、ちょっと足湯に立ち寄ったりもしていた。

 ある日は、「今日の目的地はパン屋さんね!」と言いながら、パン屋を中心に歩くコースを決めた。

 男子みたいに“休憩中に一駅歩く”とか“帰りは駅まで遠回り”とかそんな根性系はしていない。ただ歩いて、写真撮って、笑って、食べる。「楽しいイベント参加でいいじゃない。」と言っていた。

彼女たちのポリシーは“景色、美味しい物>歩数”だった。


【個人戦】

 今回の特徴は「現業と内勤で別枠」。そのおかげか、現業勢のトップ10に中野、佐伯、神田が頻繁に名前を出した。

 唯一、汐海は休日出勤が続き、自分の歩数が思うほど伸びなかった。

「歩数稼げなくて、すみません。」と本人はあっさりと謝っていた。

 佐伯の同期 黒川慎吾も汐海と似た状況で中々歩数が伸びなかった。

「夜勤が立て込んでると、睡眠時間確保のため、なかなか歩けない。すまんな」と黒川が言っていた。お互いに事情を理解する身なので、2人に対して誰からも文句は出なかった。

「それは仕方ない、仕事だからな。業務優先で!」と言うのが一致した意見だった。


 市川率いる女子チームは、男子チームの目が完全に戦っている状態を警戒しているのか、余計なことを言って燃料投下になるのを避けるために、そっと距離を取るという賢い選択をしていた。


【1か月後――結果発表】

 1か月後の結果発表の日、全社メールで結果が一斉送信された。

◎1位――”緑の車窓”

「は?」

「えっ!?」佐伯も同期の神田も同時に叫んだ。

 圧倒的な歩数でぶっちぎり。謎の第三勢力”緑の車窓”が、みごとに優勝。

そして順位は、2位――チーム佐伯、同歩数2位――チーム神田、奇跡の同歩数で並んだ。

 驚きの声が聞こえて来て、休憩室が一瞬だけ静まった後――また悲鳴と歓声が飛び交い始めた。

 個人戦の1位は女性。JY線の所属だった。陸上の競歩選手。昨年までは大会期間と被っていたので参加していなかった。

「大会に向けてちょうど良かったのよ~」そんなコメントが添えられていた。

 それは勝てん。


 ランキングが発表された瞬間、詰所の空気が一瞬だけ静まった。名前が並ぶ中、上位常連の佐伯・中野・神田の三人が予想通り10位以内に入っており、周囲も「まあそうだよね」と、納得の頷きを交わす。

 しかし、そこから下へ視線を滑らせていった一同が、同時に固まった。

「……え?」

 静かなざわつき。五位以内の欄に、思いがけない名前があった。


──安曇(ベテラン・40代前半)


 誰かが思わず声を漏らした。「安曇さん、5位以内なんて凄いな~。」

汐海が半ば呆れ、半ば感心したように言うと、小田原が腕を組みながら眉を上げる。

「でもさ、あの人、普段のほほんとしてるけどさ…内面は凄い負けず嫌いで、こういうイベントだったら絶対負けたくないタイプなんじゃないか?」

 中野が振り向いて、ひと言。「……恐ろしい人だな。」

 黒川が、苦笑混じりにぼそっと言う。

「だって元C大野球部だろ? 基礎体力、半端じゃないよ。」

 中野が吹き出した。

「ははは……敵に回しちゃいけないタイプですね。」

 ランク外の汐海は、苦笑いして肩をすくめ、黒川が再びつぶやいた。

「いやだってさ…昨日もおとといも滅茶苦茶、業務押してたし。俺、途中からイベントの事すら思い出せなかったわ。」

 小田原も同意するようにため息。

「駅間で線路の点検の余波を受けて、臨時放送ずっと流してましたからね…俺も、ウォーキングイベントは、ちょっと横に置いときましたよ。」

 佐伯は静かに「まあ、仕方ないよ」と言ったが、目だけは妙に遠い。それを見た黒川が笑いながら言った。

「そういう時もあるって。でも──安曇さん、やっぱすげぇわ。」

 少し遅れて控室の扉が空く。

 当の本人・安曇がゆるい表情で入って来た。

何も知らない顔で「お疲れ」と言いながらポットのお湯を沸かし始める。全員の視線が、そろってその背中に集まった。本人は視線に気づかず、マイカップの蓋を外しながら言った。

「そういや昨日までウォーキングイベントあったろ? みんなどうだった?」

 汐海が無言でスマホのランキング表を指し示す。

 安曇は「ああ、これか」と近づいて……笑顔のままで固まった。

「……あらら。俺、五位以内? ウソだろ……」

「ウソじゃないです。あなたが五位です。」と森下が真面目に伝えた。

「……やっぱ恐ろしいわ。」と小田原がつぶやいた。

「敵には回したくない。」と黒川がしみじみと言っていた。

 安曇は照れたように笑い、頭をかいた。

「いや……スポーツのイベントって聞くとさ、負けたくないんだよ。身体が勝手に動いちゃって。」その言葉に全員が目を合わせ、心の中で同じ結論に至る。

 ──やっぱり、この人は油断できない。

誰もが、ウォーキングイベントの主旨が健康促進イベントだった事を忘れていた。


 市川チームはというと……

「1位の”緑の車窓”ってどこ?!」

「え、競歩選手がいたの? そりゃ勝てないわ~」

と、笑いながら控室で休憩時間にプリンやお菓子を食べていた。完全に“エンジョイ勢”なので上位など眼中なし。ただし、歩いた分だけ楽しい思い出はいっぱい出来ていた。

 市川はと言うと、

「いやー紅葉きれいだったよ。コスモス畑も、コキアの紅葉も見に行っちゃった♡」

と汐海に記念写真を送って来た。


 途中で寄り道したのか、紅芋のソフトクリームを片手に微笑むチームのメンバーの写真も添付されていた。

 完全に観光目的の記念撮影。

健康促進イベントが正しい形で実施された尊いチームがここにいた。

 社内には「楽しみながら、健康促進、ウォーキングに参加しよう」と紅葉やコスモス、スイーツの写真と共に、遠足のような雰囲気のモデル(社員)が、楽しく歩いている姿のポスターが張り出されていた


【イベント打ち上げ ― 六人の夜】

 イベント終了後、六人は自然な流れで例の居酒屋へ向かった。

職場の近くで大騒ぎできる店が一軒しかない──というのは本当に考え物だ。イベントに参加したチームが皆ここで打ち上げをしているので、店中が同業者で埋め尽くされ、入口から、もう熱気でむんむんしている。

 それでも、笑い声が響き、肩の力が抜けるこの空間は、どこか安心できた。

 六人は奥のテーブルをなんとか押さえ、半分ぐったりしながらも乾杯。

「おつかさまでしたー!」とグラスが触れ合う軽快な音が響いた。

「いや、連日マジで脚が死んだ…」

「汐海、途中から休日出勤だらけだったし、黒川も夜勤続きだったからな。別の意味で疲れたんじゃね?」

 一杯目が喉に落ちると、疲労より先に笑いが勝つ。業務中は絶対に見せない笑いのゆるさがあった。

 飲みすぎないように酒量を調整しながらも、会話の熱だけは止まらなかった。

 しばらくして、離れたテーブルからライバル(同期)の神田が顔を出した。

「おいッ! 次は絶対うちが勝つからな!!」叫ぶように宣戦布告して、すぐ戻っていく。

 六人は一拍おいて、ほぼ同時に吹き出した。

「いや近い近い、声でかいし!」

「でもあのテンションが一番“イベント後”って感じだわ。」

 店の奥では別チームがすでに二次会みたいな空気を作っていて、「負けたー!」という叫びや「来年は練習する!」という声が入り乱れている。どこも同じような会話だ。

 料理が運ばれ、なんとなく落ち着いた頃、佐伯が、ジョッキを少し掲げて言った。

「来年は絶対一位を取るぞ!」

 その言葉に拍手が起きかけたところで。

「でも競歩選手が来たら無理っすよ。」中野の冷静なツッコミが、場の空気を一瞬で現実に戻す。

「JY線って、あのチームしか出てなかったんですかね。」小田原が箸を止めて首をかしげる。

「どうだろうな。結構、参加者が少ないイメージだけどな」

 昨年までの結果で、10位以内にJY線の人の名前は無かった。内勤者でもいなかったので、あまりイベントには熱心に参加しないのかもしれないと思われていた。だから逆に、今年の優勝が目立っていた。

「競歩選手は、今年、急にチーム登録したんでしょうね。昨年に個人で登録していたら、上位を狙えただろうに」

「なんでも昨年までは大会と重なってたらしいぞ。だから出られなかったとか。」

「本人も遠慮してたみたいだし。 “現役アスリート”って、自覚あるんだろうな。」汐海が補足するように言う。 

「やっぱり凄いですね、現役って。」森下が、しみじみと言った。

 場の空気が少しだけ敬意に傾く。ジョッキを回しながら、話題は自然に“来年の作戦会議”に移っていく。

「来年、安曇さん達をチームに誘おうか。」と小田原がつぶやいた。

 現在、チーム佐伯はメンバーが6人なので、後4人は所属できる。

「いや無理でしょ。大先輩だし。」と中野が答えると、汐海が「今年も、同期3人だとチーム組めないから、個人で出たらしいですよ。」と答えた。

「でもその同期全員が10位以内なんだよな。どんだけ体力バケモノなんだ。」と佐伯が結果を思い出したのか、身震いしていた。安曇の同期は全員40代だった。

「他のチームが狙いそうだよな、安曇さん達、先に声かけてみるかな~。」黒川が思案顔で言った。

 安曇さんと同期の2人を合わせても、チーム佐伯は9人なので、登録には問題なさそうだったが、大先輩を誘うのは勇気がいった。安曇の同期の一人は見習い時代に指導車掌だったので、その厳しさを思い出すと戸惑いを覚えた。


 全員苦笑して、それぞれの料理に箸を伸ばした。

「声かけるのは自由だけど……多分、安曇さん、 “いやいや、俺は個人でいいよ”とか言って笑うんだろうな。」と佐伯。

「そして期間中、本気出しちゃうんですよね。“身体が勝手に動いちゃった”って。」汐海は見習い時代、安曇が指導車掌で、それ以来仲が良く安曇の人となりも良く分かっていた。

 一斉にうなずく六人。

どこかで誰かが「よーし二次会行くぞ!」と叫んでいた。

店内はますますうるさくなる。

 でも彼らのテーブルだけは、妙に居心地のいい空気で満たされていた。

笑いながら、肩を寄せ合いながら、仕事の疲れも、イベントの達成感も、ひとつになって漂っていた。

 そこでふと汐海が提案した。

「来年の春のウォーキングイベント、皆で参加しませんか? ほら、沿線の地域活性のやつ」

「いいね!」「やるか!」

満場一致で乗り気になった。


 一方の市川達女子チームも、別の日に打ち上げを行った。

イベントの感想が主な話題だったが、駅構内で見かけたイベントに参加した男子チームの事も話題になった。

 イベント中は目の前を、見覚えのある制服姿が通り過ぎた。──汐海さん、中野くん、佐伯さん。それぞれ違う方向に歩いているのに、妙に早足で、しかもスマホを見ながら歩いている。

 他の時間帯では、小田原さん、森下くん、黒川さんが、帽子を外して上着も脱いで、駅の外を足早に歩いていた。

「……あ、これ、歩数稼ぎだ。」と思ったり、別の日は、神田さんと、そのチームの人達が階段を使ってホームを行き来している。エスカレーターを使わず、肩で息をしながら駆け上がっている姿も目撃された。

 みんな顔は真剣なのに、やっていることはウォーキングイベントの“地味な努力”そのものだ。どうやら休憩中も、歩けるだけ歩いているらしい。


 さらに後日、駅の構内でも歩数稼ぎをしている姿を見た。

以前は3人で歩いていた今は、汐海さんが離脱していた。休日出勤がかなり入っているらしく、休憩時間に休んでいることが多くなった。

 休まないと乗り切れない時もある。チームメンバーも休めと言っているらしい。


「勝ち負けなんて関係ないでしょ」と言いながら始めた女子チームだったが、あんなに汗だくで頑張っている背中を見ると、ちょっと胸が熱くなる。

 仕事では冷静で頼もしい人たちが、こういうイベントになると子供みたいに真剣になるのが、なんだか微笑ましかったあの時の光景が頭をよぎる。

 皆、真剣で、それでも、どの顔も楽しそうだった。負けず嫌いで、真っすぐで、ちょっと不器用で。“必死”という言葉が、こんなにまっすぐ似合う人たちに出会えることは少ないだろう。

──だから来年も、私達は応援したい。

少し離れた場所から、あの人たちの“必死”を、また見ていたい。


 そして安曇さんの凄さを思い知らされた。

研修時代にお世話になった、あの穏やかな指導車掌。物腰が柔らかくて、いつも冗談を交えながら教えてくれた。

 ミスをして落ち込んでいた時に、「まあ、電車も人も、一息置いてからが本番だよ」なんて、さりげなくフォローしてくれた言葉はいまでも忘れられない。

 そんな人が、まさか5位以内に入るなんて。

普段はどちらかといえば、のんびりした印象の人だ。でも、よく考えればあの人、昔、野球部だったって聞いた。内面はすごく負けず嫌いだって、誰かが言ってたっけ。

──あぁ、なるほど。

本気になったら、こういう結果を出す人なんだ。

 思わず笑ってしまう。

自分のチームは紅葉やカフェ巡り中心の“癒やしウォーク”だったけれど、あの人はきっと、誰に見せるでもなく、淡々と歩き続けていたんだろう。仕事帰りに一駅分歩いたり、休日に山道を散策したりして。

 その姿を思い浮かべると、なんだか胸が温かくなった。

そういえば研修の最終日、帰りのホームで安曇さんが言っていた。

「仕事も人生も、ペース配分だよ。焦らず、でも止まらず。そうすれば、ちゃんと前に進める。」

 あの言葉は、ずっと心に残っている。

ウォーキングイベントって、もしかしたらそれを試されるような企画だったのかもしれない。

 数字じゃなく、誰と歩くか。どんな気持ちで歩くか。そう考えたら、順位よりも、自分たちの時間が少し誇らしく思えた。

 スマホの画面をもう一度見つめて、小さく呟く。

「……安曇さん、やっぱりすごいな。」

 来年もこのイベントがあったら、今度はもう少しだけ本気で歩いてみようかな。そんなことを思いながら、打ち上げは続いていた。


 そして数日後に届いた参加賞は――

駅ナカコンビニのプリペイドカード、チームの順位と、個人10位以内入賞と、参加賞、人によっても貰える枚数は違うが、順位によって金額が違ったのは微妙に嬉しかったし有難かった。

 このプリペイドカードが昼食代に使えて、ちょっと豪華な食事になって得した気分だった。

「これはこれで嬉しいな」と皆で笑った。


おわり

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