第2話
さすがにこれはないです。
回想を終えたイベリスは荒唐無稽な物語にすっかり打ちひしがれた。まず意味が分からない。顔が焼かれてるのに瞳が無事なのも、炎に焼かれながらしばらく会話できているのもわからない。そして酷すぎる。残酷な終わりにしたいなら追放か業火のどちらかだけで十分ではないか。冤罪で平民にさせられたうえに消し炭になってしまう私とガロット様とカルミアがかわいそうすぎる。
頭の中は大騒ぎだが、イベリスは恙無く食事を終えた。母に会釈し、つとめて自然に食堂を後にする。部屋に戻ったら物語を整理しなければ──今すぐ走り出したい心を押し込めて、一心に私室を目指す。
「さて」
イベリスは自室の扉を閉めると深く息を吐いた。前世の記憶が蘇った瞬間は情報量の多さに圧倒されてしまったが、今は頭も冷えている。
「このまま何もしないのは、地獄への一本道を進むのと同じことよ」
自分の身を守るだけなら、全てを捨てて国外に逃げ出せばいい。しかし、いくら前世の記憶が蘇ったとてイベリスはこの国で十七年の生を歩んでおり、ブラッドバス侯爵家の長女だという自認は揺るがない。国への愛着もあるし、ガロットとカルミアのことは記憶を思い出す前も今も大切に思っている。
既に思想が狂っているであろうサンドルはともかく、二人をはじめとした無辜なる民は何としても救いたかった。
イベリスは机の引き出しから手帳と筆記用具を取り出した。使い方には慎重にならなければならないが、未来の知識は彼女にとって最大の武器である。念の為日本語を使用しながら、イベリスは目標と障害、その対策を書き綴っていく。
目標:サンドルを無力化して幸せに暮らす。
障害:
一:侯爵家の取り潰し、イベリスの王都追放。
→原因となる冤罪(横領)の発生を防ぐ。
二:ガロット様の廃嫡、王都追放。
→権力強化(前世知識で支援)、謀略の阻止。
三:サンドルによる集権と簒奪。
→謀略の阻止、小規模な『理想の世界』を与えて軟禁。
四:カルミアとサンドルの婚約。
→カルミアに早期接触、サンドルと出会わせない。
考えを書き出し終えて、イベリスはほっと息をつく。あとは粛々と実行するだけだが、たかが令嬢一人にできることは限られている。
「協力者が必要ね」
計画を確実に遂行するため、イベリスは手紙を認めた。
『誰にも聞かれない場所で話がしたい』。たった一行の短い書簡は婚約者であるガロットに宛てたものだ。
物語でも現世でもずっと大切にしてくれた彼に協力を仰ぐことに、イベリスは何の迷いもなかった。
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数日後、無事に約束を取り付けたイベリスは、王宮の図書館の隅にある小部屋でガロットと向かい合っていた。
「お時間を作って下さりありがとうございます」
「構わないよ。でも、イベリスからのこういう呼び出しは珍しいね。何か心配事でもあった?」
ガロットは穏やかだ。火急の呼び出しを怒るどころか、イベリスを心配してくれている。かけがえのないこの人は、このまま呑気にしていると炎に焼かれてしまうのだ。イベリスは胸が鉄線で締め付けられるような悲しみを感じた。
「この国が荒れ、すべてが炎に包まれてしまう未来についてお話したいのです」
「……どういうことだ?」
サンドルの危険思想、侯爵家に降りかかる冤罪、そしてゴーリーエンドでの悲劇的な結末。前世の記憶のことも含め、イベリスは冷静且つ正確にすべてをガロットに共有した。ガロットの表情は、驚愕から真剣なものへと変わっていく。
「恐れながら、殿下にお願いしたいことがあります」
イベリスは主題を切り出す。
「予知が確かならば、来月我が侯爵家は失脚いたします。つきましては、ガロット殿下には王室費の監査書類に注意を払って頂きたいのです。『侯爵家が架空の軍需品に大金を使った』という偽の証拠が既に仕込まれているはずですから」
ガロットは複雑そうに眉を曇らせる。イベリスは苦笑した。無理もない話だ。侯爵家の失脚も弟による簒奪も突拍子もない話だから、信じろと言われて呑み込めるものではないだろう。
「……信じられませんよね。わたくしも今朝は感情を整理するのに苦労いたしました」
「いや、そうではない。君は悪意ある嘘なんてつかないと知っているし、確度の高さもよく理解できた。ただ、君を失う危険がすぐそこに迫っていることが怖くなってしまって……」
ガロットはイベリスの手をそっと掴んだ。冷えた指先が、彼の不安を克明にイベリスに伝えてくる。
「必ず証拠を押さえるから、どうか安心してほしい」
「殿下……信じてくださってありがとうございます」
ガロットもイベリスを喪いたくないと思っている。互いに同じ心を抱く歓びに、イベリスはそっとガロットの手を握り返した。
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数日後、ガロットはイベリスを例の小部屋へ呼び出した。
「君の言葉は正しかったよ」
ガロットはそう切り出し、テーブルに置かれた一通の書類に指を滑らせた。それは王室費の監査報告書の控えだった。
「君の警告を受けて、僕は監査責任者であるクルオール子爵を別の任務で遠ざけた。そして、私が直接提出前の書類を検分した結果、君が言った『軍備品への不可解な支出記録』がねじ込まれようとしていたのを発見した」
「……っ」
やはり未来は物語通り進もうとしていたのだ──イベリスは息を呑む。
「信頼できる者へ指示し、関わった者の裏を取り始めているが……君の警告がなければ、私は君を失い王太子としての地位も揺らいでいただろう」
ガロットはイベリスの震える両手をそっと包み込んだ。温かく滑らかで、苦役労働も街を焼く業火も知らない手だった。
「そんな……わたくしはただ、未来をお伝えしただけです」
「それでも、話すには勇気が必要だったはずだ。対策を考えるのも一人では心細かっただろう」
ガロットは両手に力を籠める。指先から伝わる温かさが、イベリスの心まで温めてくれる。
「おまけに君は、未来の知識という比類なき武器を私に与えてくれた。私だけじゃなく、国を救う素晴らしいものだ。本当に感謝しているよ」
「ありがとうございます。望外のことです」
彼の真摯な眼差しが、イベリスの不安を溶かしていく。この人にすべてを──心を、命を預けても構わない。
イベリスは決意を新たにし、顔を上げた。
「ガロット様。次に着手すべきは食糧備蓄です。数年後大寒波による飢饉が国民を襲います。サンドル殿下はその危機を『文明を否定する理想郷』実現の足掛かりにするでしょう。私たちはその牙を叩き折る必要があります」
「豊かさこそが平和を築くと証明するのだな」
ガロットは頷く。その瞳に王太子としての威厳と、イベリスへの愛が宿っている。
「知性は武器だ。決して惰弱であるものか。君の知識を駆使して国を救おう」
「はい。必ず」
イベリスは心からガロットの言葉を肯定し、次なる戦略の仕込みを始める。
「──殿下。もう一つお願いがございます」
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