金の髪の少女は剣を抱いて震えて眠る 〜アルテアと銀の剣外伝〜

日向風

Zwölfjährige〈十二歳〉

脈打つ灯火は儚く消えて①


 グゥゥゥ……。


 わかってる。そんなに訴えなくても、ちゃんとわかってるよ——


 少女は自分の腹にそっと手を当てた。

 悪いのは、目と鼻の先から漂ってくる、どうしたって抗えないあの匂いだ。


 吸い寄せられるように、香りの源へ足が向く。

 屋台の陰から、ひょこん、と金の前髪がのぞいた。


「おや、かわいいお客さんだねぇ。美味いよ、ひとつどうだい?」


 焼き台の向こうで、中年の女が朗らかに声をかけてきた。

 薄く伸ばしたパンがぷくりと膨らみ、それをぱかりと割って香ばしい鶏肉を詰めていく。

 脂がじゅ、と落ちて煙が立ちのぼった瞬間——少女の喉が、ごくり、と勝手に鳴った。


「い、いくら……?」


「大銅貨一枚だよ」


 少女は懐の小袋を取り出した。

 ころん、と掌に転がる銅貨が二枚。

 袋を振っても、空気だけがしゃらりと揺れるばかりだった。


「なんだい、こんなのも買えないのかい! 客じゃないならあっちへお行き!」


 ぶつりとした声に、少女はちいさく肩を落として歩き出す。

 やっぱりわかってないじゃないか、そう言わんばかりに、腹だけが恨めしげに鳴いた。


 風が吹いた。

 肩にかかった金の髪がひるがえり、陽光をつかんできらりと揺れる。

 少女の身には少し大きい剣が、肩でひっそりと重みを主張していた。


「……お金、稼がなきゃなぁ」


 旅人の幼い少女に出来ることは多くない。

 依頼を受けようにも、年齢のせいでまず信用されない。

 それでも、生きていかなきゃならない。


 道端の水溜まりに映る自分の顔を覗き込む。

 幼い面影の残る頬は煤け、痩せた輪郭がわずかに痛々しい。


「次の街へ向かおう。その前に……」


 はぁ、とひとつ息を吐き、少女は街を後にして森へと向かった。

 木の実や薬草を採ってわずかな路銀に変える——

 それが、彼女の日常だった。




 ◇




 薬草が見つからない。

 いつもなら足もとにちらほら顔を出しているはずの葉も、今日はどれも土の匂いに沈んだままだ。

 木の実も落ちていない。


 少女は腕を組んで首を傾げた。

 森をひらりと吹き抜けた風が、乾いた葉だけをさらさらと転がしていく。


 仕方がないので、食べられそうな野草だけを摘む。

 これを炒って食べるしかないか、と気が重くなる。

 野草の独特の苦味はどうにも苦手だった。


 ——前に街で聞いたことがあった。

「小麦粉を塗して油で揚げれば、野草は美味しくなるよ」

 大人たちが嬉しそうに笑っていたので、試しに真似してみたことがあった。


 けれど結果は……苦いままだった。

 たしかに香ばしさは出たが、油は少女には高価で、あの一度きりで終わりになった。


 大人たちはどうしてこんなものを美味しそうに食べられるのだろう。

 少女は摘んだ草を籠に入れながら、小さな疑問を胸の中で転がした。


 その時、ふと野草を摘もうとした手が止まった。

 少女は胸の奥がひゅんと、すぼまるような感覚に背を押され、森の奥へ目を向ける。


「きゃぁぁぁぁ——」


 か細い。

 だが確かに、怯えが混ざった“悲鳴”だった。


 思考より先に脚が動いた。

 少女は草を蹴り、枝をはらい、声の方へ駆け出す。


「そんなには遠くないはず——」




 呼吸を整えた少女の視線の先に、声の主はいた。

 木々の間に、年端もいかない女の子が尻餅をつき、肩を震わせている。


 その目の前で野犬が背を丸め、喉の奥から低く唸り声を漏らしていた。


 しかし、その野犬に真正面から立ち向かう小さな影がある。


 子犬だ。


 小さな身体をめいっぱい膨らませ、足を踏ん張り、ぶるぶる震えながらも少女を庇うように牙を剝いていた。


 風が止む。

 森の湿った空気が、一瞬で静まり返った。


 少女は周囲を見渡す。群れの気配はない。


 ——“はぐれ”だろう。自分と同じだ。


 アルテアは背の剣をチラリと見た。


(ここは……よし)


 野犬が子犬へと飛びかかった。

 その瞬間——。


 ぱしん、と鋭い音が響く。

 ぶつかった石に片目を押さえるように、野犬の茶色の体が地面を転がった。


「ほら、こっちだよ!」


 少女は小石を握りしめていた。


 唸り声が濁る。

 野犬が少女の方へと標的を切り替え、地を蹴る。


「——全部あげるよ!」


 少女は両手いっぱいの石を散弾のように投げつけた。

 野犬はそれを避けるように跳ね、距離を取る。


 そのわずかな隙——。


 少女は地面に落ちていた尖った太い枝をつかみ、そのまま一気に踏み込んだ。

 驚きで見開かれた野犬の目。

 振り下ろさずに、突き出す。

 最短距離で進んだ枝先が、野犬の喉元をかすめた。


 ギャン! 

 短い悲鳴がこだました。

 野犬は跳ねるようにもんどりうって、そして森の奥へと逃げ去っていった。


「ふう。なんとかなった。……ねぇ、君、大丈夫?」


 声をかけると、尻餅をついていた女の子はじっと少女を見上げた。

 次の瞬間、瞳に涙がふくらみ——勢いよく抱きついてきた。

 子犬も嬉しそうに駆け寄り、尻尾を全力で振っている。


 少女は驚きつつも、小さな頭をそっと撫でた。


「お嬢ー! お嬢ー!」

「お嬢さまー!!」


 森の奥から声が重なる。

 女の子の顔がぱあっと明るくなった。


「ランデルと爺やの声だ!」


 やってきたのは、三十代ほどの男と、落ち着いた初老の男だった。

 ランデルが少女を見るなり、怒気をこめた声を張り上げる。


「何者だ! お嬢から離れろ!」

 短剣を抜き、少女へ向けて構える。


「えっ——」


 少女が言葉を発するより早く、女の子がぱっと両手を広げ、少女の前に立ちふさがった。


「だめー! このおねえちゃんは、わたしの命のおんじんなのー!!」


 ランデルも少女も、同時に目をぱちくりとした。




 その後、女の子が野犬から助けてもらったことを身振り手振りで一人三役を演じ、二人に説明した。

 

「知らぬこととはいえ、本当に失礼しました。私はバルナードと申します。ミレッタお嬢さまを助けていただき本当にありがとうございました」


 初老の男——バルナードが深々と頭を下げる。

 隣の男も、短剣を収めながら気まずそうに頬をかいた。

 

「俺はランデル。その……悪かったな、刃物を向けちまって」

「ううん、大丈夫……です」

 少女の声にバルナードとランデルはホッとした顔で見合わせた。

 

「その、差し支えなければお名前を教えていただいてもよろしいですか?」

「あ、失礼しました」

 少女は小さくぺこりとお辞儀をした。

 金の髪が肩でさらりと揺れる。

 

「私はアルテア。——旅人です」


 颯爽と名乗ったその直後だった。


 グゥゥゥゥ……。


 少女の腹が、静かな森に、堂々たる名乗りを響かせた。


 バルナードが瞬きをし、ランデルが思わず吹き出しそうになって口元を押さえる。

 ミレッタは頬を染め、きらきらした目で言った。


「おねえちゃん、おなかすいてるの?」


 アルテアは耳まで赤くして視線を落とし、

 

「……ちょっとだけ」

 

 そう、消え入りそうな声で答えた。


 

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