頑張れ麒麟谷くん
ひしばい さかな
1. こんにちは麒麟谷くん
麒麟谷くんと出会ったのは大学2年生の春だった。
私が専攻している分子細胞生物学。その講義こそ、彼と初めて出会った場所だった。
ただし、彼は講義室の椅子に座っているのではなく、机の下にいた―――――
「え!?」
たまらず大きい声が出た。授業開始2分前。
今月は金欠だからと、家から駅までのバス代をケチって歩いてきたのがいけなかった。思ったよりも時間がかかったうえに、電車まで遅延していたなんて。
慌てて教室に入り適当な席に着くと――――机の下に、人がいた。
机は大学によくある長机なのだが、私の席の隣の、机の下に、体操座りをしている男がいる。これはよくあることではない。
「えっ!!変質者!?」
「しっーー!!騒ぐな!!僕は変質者ではない!うっ!!」
男は大きい声で叫ばれて焦ったのか、口に人差し指を当てて訂正をする。
そして、騒ぐ私を止めようとして急に立ち上がろうとしたからか、頭を机にぶつけ、ガンッという大きな音が響き渡る。
「変質者じゃないわけないでしょ!!何してるんですか!」
「やめてくれ、大声を出すなうるさいな!僕はこの授業を受けたいだけなんだ。どうか静かにしてくれないか!」
そう言ってブロンド髪の男は私を見つめてくる。…机の下から。
「うるさいなんて失礼ですね!だいたい授業を受けたいなら椅子に座って受けたらいいじゃないですか。なんでそんな変なところにいるんですか」
「…この講義は名前を呼んで点呼を取る。そして、分子細胞生物学を専攻とする生命科学科の学生にしか開講されていない。…僕は受ける資格がないから、隠れて聞くしかないんだ」
男はぶつけた頭をおさえながら、ばつが悪そうに答える。
「あなたは理学部生命科学科の学生じゃないんですか」
「僕は医学部医学科だ」
「あぁ、かしこいんですね…。でも、別に座っててもばれないんじゃないんですか。学科生だけって言っても軽く30人はいるし、点呼で呼ばれない人がいてもべつに気が付かないでしょ。」
「そうはいかないんだ…僕は小谷に嫌われている。出席できない授業に出ていることがばれたら、僕の教授にチクられる…」
「小谷…あぁ、今日の講義の教授か。いったい先生となにがあったんですか…というか、そんなことより、じゃあ受けられないならでてってくださいよ。あと1分で授業は始まるし、机の下にいるとかきもいし」
「はぁ!?僕はきもくない!それに受けられないと自覚しているからこうして机の下で講義をきこうとしているのだが!」
「だーかーら!机の下にいるのがきもいんですよ!もし私がスカートはいてきてたら、パンツ見えてるし!この変態!」
「うるさい声をおさえろ君は!僕は君の下着になんて興味はない!それに見ていないから変態ではない!とにかく静かにしていてくれないか!」
「そこにいるだけできもいっつーの!というかなんで私があなたに怒られなきゃいけないの!!!」
…頭が痛くなってきた。何なんだこの男は。
あと30秒で授業が始まる。それまでにこいつをどうにかしないと。
「…はぁ。今すぐ私が大声で『ここに変質者がいます』て叫んでもいいんですよ?」
いい加減うざいので脅しをかけると、彼の顔は青ざめる。
「やめろ。やめて、やめてくれ。お願いだ。ここで終わるわけにはいかない」
「セリフが完全に悪者だ…。
そんなことを言われても、机の下に男がいるとかきもいんだけど。」
「どうだ、じゃあ、君の言うことを一つ聞く。僕がこの教室から退出する以外で。だから僕のことを見逃してくれ」
男はしどろもどろになりながら答える。心なしか、彼の顔には冷や汗がうかんでいる。そんなに教授に怒られたくないのか?というか、そんなにこの授業を受けたいのか??
授業が始まる10秒前。
この男をどうしてやろうか、と考えていると
「グーーーーーッ」
私のおなかの音が教室に響き渡る。
…今月は金欠だ。バス代をケチらなければいけないほど。
もちろん朝ごはんを食べていない。
「……お昼ご飯おごってくれるなら、いいよ」
あぁ、食欲に負けてしまうなんて。
「よしきた!!交渉成立だ!~~っつ!!」
男はガッツポーズをして、そのはずみで今度は盛大に拳を机にぶつける。
「僕は麒麟谷だ、君は」
そう言って男は――麒麟谷君は手を伸ばす。
「如月、です」
私はもちろん握手しない。
――――これが彼との、麒麟谷君との出会いだった。
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