第17話 体育祭、応援席の特等席
秋晴れ、という言葉をそのままキャンバスに描いたような、雲一つない青空。
年に一度の体育祭。しかし、立花リリア《たちばなりりあ》にとって、それは二番目の関心事でしかなかった。
「みるくさん、紫外線はお肌の大敵ですわ。みるくさんのお肌はわたくしの大切な宝物なのですから、一瞬たりとも焼かせるわけにはまいりません」
リリアはそう宣言すると、1年A組の応援席で、桜庭みるくの隣にぴたりと寄り添い、白いレースの日傘を彼女の頭上へ恭しく差しかけた。
みるくは体操服姿でも、その
「あはは、ありがとう、リリアちゃん。でも、リリアちゃんも日差し、大丈夫?」
「わたくしは構いません。わたくしが守りたいのは、みるくさんですもの」
「うーん、じゃあ、もっとこっちにおいでよ」
みるくはそう言うと、リリアの細い腰を引き寄せ、自分の膝の上に乗せて、後ろから抱きしめて、ゼロ距離にした。
「……! みるくさんの汗の匂い……ご褒美ですわ」
「も、もう、リリアちゃんたら…!」
その、応援席の一角だけ明らかに異質な糖度を放つ空間に、鋭いツッコミが飛んだ。
「おーい! そこ! 応援席でバカンスしてる姫と侍女(?)はどっちだ!」
声の主はもちろん、早乙女ミユ《さおとめみゆ》だ。普段はリリアとみるくの観察とツッコミに勤しんでいるが、今日の彼女はクラスの応援団としてハチマキを巻いている。
「ミユさん、ごきげんよう。見ての通り、わたくしが姫で、みるくさんがわたくしを甘やかしてくれる大天使ですわ」
リリアは日傘を傾け、ミユにお人形めいた完璧な笑顔を向ける。
「どっちも姫みたいなもんじゃねーか! つーか立花! お前、桜庭が競技に出てる時もそれ持って追いかける気か!?」
「当然ですわ。みるくさんが走るコースの横を、わたくしが日傘を持って並走します。それがわたくしの愛ですわ」
「お前はどこのセコンドだ! 邪魔だっつーの! みるくも! みるくもなんとか言え!」
ミユがみるくに矛先を向ける。
みるくは、日傘の下でリリアと密着しながら、至福の表情で答えた。
「うーん、でも、リリアちゃんがこうしてくれると、日差しも涼しいし、リリアちゃんの匂いもして……私、すごく頑張れる気がするなぁ」
「ダメだこりゃ! 甘さでパフォーマンスアップすんな! お前らもう二人で国でも作ってろ!」
ミユはそう言い捨てると、応援団の持ち場に戻っていった。
***
昼休み。
体育祭の喧騒が一時的に遠のき、生徒たちが思い思いの場所で弁当を広げる、幸福な時間。
もちろん、リリアとみるくが向かうのは、二人だけの巣……ではなく、事前に確保しておいた木陰の特等席だ。
「さぁ、リリアちゃん。お待たせ。今年のみるく特製・体育祭応援弁当だよ!」
みるくが広げたのは、巨大な三段重。
パカ、と蓋が開けられる。
一段目。タコさんウインナー、ふっくらとした卵焼き、アスパラの肉巻き。
二段目。リリアの大好物であるエビフライと、ジューシーな唐揚げ。
三段目。彩り豊かな五目いなりと、リリアの髪を模した(ように見える)錦糸卵が乗ったちらし寿司。
「み、みるくさん……!?」
リリアは息を呑んだ。
「これは……もはや芸術品。いえ、みるくさんからの愛の結晶ですわ!」
「あはは、ちょっと張り切りすぎちゃったかな? リリアちゃんに、いっぱい力をつけてほしくて」
「わたくしが、ですか? 競技に出られるのは、みるくさんなのに」
「うん。でも、リリアちゃんは、私を応援するっていう大仕事があるでしょ? だから、二人分、だよ」
リリアは、そっとエビフライを一つまみ、口に運ぶ。
サクッ、という軽やかな衣の音。
衣の食感、プリプリのエビの弾力、口内に広がる甘みと旨味。
「……っ! 美味、ですわ! 美味しすぎますわ、みるくさん!」
リリアの瞳に、幸福の涙がうっすらと浮かぶ。
「わたくし、このエビフライを食べるために生まれてきたのかもしれません。みるくさんの愛が、衣の一枚一枚にまで染み込んでいますわ!」
「そ、そんな大げさだよぉ」
照れながらも、みるくはリリアの口元についたパン粉を、自分の指で優しく拭う。
「でも、よかった。はい、こっちの卵焼きもどうぞ。リリアちゃん好みの、甘いやつ」
みるくが差し出す卵焼きを、リリアはこく、と頷いて受け入れた。
「あーん……んんっ! 蕩けます……! みるくさんの甘やかしが、わたくしの全身を駆け巡りますわ!」
「ふふ、いっぱい食べてね。リリアちゃんが美味しそうに食べてくれるのが、私の一番の幸せだから」
「はい、もちろん。みるくさんの幸せは、わたくしの幸せ。わたくし、このお弁当、宇宙の果てまで食べ続けますわ!」
クラスメイトたちが、遠巻きにその光景を見ている。
(リリア様と桜庭さん、また二人の
(うわ、あそこの空気だけ甘さで飽和してる…)
(あんな弁当、一生に一度でいいから食べさせてほしい…)
そんなクラスメイトたちの視線(=祝福)を浴びながら、二人のためだけの昼食は、幸福の頂点で続いた。
***
午後の部、最終種目。クラス対抗リレー。
1年A組は、アンカーのミユ(意外と俊足)と、その前の第3走者であるみるくの活躍にかかっていた。
「みるくさん、行ってらっしゃいませ」
スタート地点に向かうみるくに、リリアは声をかける。
「うん、いってくるね!」
「みるくさんなら、大丈夫。貴女はわたくしの自慢なのですから」
「……!」
みるくは一瞬目を見開くと、ふわりと笑った。
「うん。リリアちゃんの応援があるから、私、飛べちゃうかも」
パン! と乾いた音が響く。
レースは進み、A組は3位で第3走者・みるくへバトンが渡った。
「みるく、行けー!」
ミユが叫ぶ。
みるくは、その恵体をしなやかに使い、トップランナーにも迫る広いストライドと柔らかいフォームでぐんぐんと加速する。
「みるくさーーん!!」
応援席の最前列で、リリアが日傘も忘れ、声を張り上げていた。
「みるくさん! 素敵ですわ! 世界で一番かっこいいですわー!」
リリアの、鈴の鳴るような、しかし芯の通った声が、グラウンドの喧騒を突き抜けてみるくの耳に届く。
(――リリアちゃんが、見てる)
みるくの走りが、一段と加速する。
一人抜き、二人目を捉える。
そのまま、ほぼトップタイでアンカーのミユにバトンを渡した!
「っしゃあ!」
ミユが激走し、A組は見事1位でゴールテープを切った。
「「「やったーーー!!」」」
A組の応援席が沸き立つ。
その中心で、リリアはみるくが戻ってくるのを待っていた。
「はぁ、はぁ……リリアちゃん、やったよ!」
息を切らして戻ってきたみるくに、リリアは駆け寄る。
そして、周囲の目も、汗も、土埃も一切気にせず、その胸に全力で飛び込んだ。
「みるくさーーん!! さすがですわ! わたくしのみるくさん! 最高に輝いていましたわ!」
「わっ! リ、リリアちゃん、ありがとう! えっへへ…」
汗だくの体操服に顔をうずめ、リリアはみるくの匂いを吸い込む。
「みるくさん、本当に凄かったですわ。わたくし、感動で涙が出ました」
「あはは、大げさだよ。でもね、私、本当にリリアちゃんの声が聞こえたんだ。そしたら、なんだか翼が生えたみたいに、足が軽くなって」
「翼、ですの? では、わたくしがみるくさんの翼、ですわね」
リリアは顔を上げ、至近距離でみるくを見つめる。
「うん、そうかも。リリアちゃんは、私の翼」
みるくが優しくリリアの頭を撫でようと手を伸ばす。
しかし、リリアはその手を掴むと、自分の頬に持っていった。
「みるくさん。わたくし、今日は最高の応援をしましたわ」
「うん、知ってるよ。リリアちゃんのおかげ」
「ですから、ですわ」
リリアは、みるくの手のひらに、自分の頬をすり、と擦り付けた。
「ご褒美に、今日はわたくしが貴女を撫で回します。家に帰ったら、わたくしの膝の上で、わたくしがみるくさんを徹底的に撫でて甘やかしますわ。覚悟してくださいませ」
(次は文化祭。……ふふ、わたくしたちの巣そのものを、学園に顕現させてさしあげますわ)
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