人はなかなか変わらない
カウンターに腰掛けたぐるみは、じとりと僕や沙織をねめつける。周囲の客は常連ばかりで、まるで空気を読むかのように我関せずで雑談に興じている。
とはいえあくまで仕事中。どんなに疑問を抱こうと、どんなに不満を抱こうと、ぐるみにできることはコーヒーを注文することのみ。
「ずるい……」
訂正。不満を口にすることも可能だ。
穏やかな顔つきのまま、眉をひそめることも口をとがらせることもせずに。素直に口に出してくれればいいものの、表情からはまるでわからないのは昔からだ。これに関してはあやよりも、僕の方が察するのが得意だった。……というのも昔の話。
今のぐるみはずいぶん大人びた容姿になった。けれど、言動はどことなく昔を思わせる。
「ずるい」
はっきり言った。
「部活休んでバイトやりますはほら、言いづらいじゃん。ね?」
「でもよりにもよってここで」
「コネがあったら働きやすいって思って」
「うぅ……ずるい」
必死になってぐるみを宥める沙織だけれど、どうにも効果は薄いようだ。そもそも不満を抱きにくい子だけあって、一度凝り固まるとなかなか解けない。
そもそもを言うならもう一つ。
「何がそんなに不満なの?」
「え?」
「え?」
「え?」
ぐるみだけじゃなく、意外なところからも疑問が返ってきた。沙織と、隣でコーヒーを淹れていた店長までも。
さすがの僕でも気付く。
「……僕?」
「昔っからくるみはお前にめちゃくちゃ懐いてただろうが」
「いやでも、昔の話で」
「今もぐるみがあんなにも気安く接してる子いないよー」
「えぇ」
僕らはもう何年も疎遠のまま。ここセルジュに来てくれた時、一言二言交わすくらいだ。一緒に働く沙織に嫉妬する要素もあんまりない、と思っていたんだけれど。
どうやらそういう話でもないらしい。
店長からコーヒーを受け取り、ミルクと砂糖を少しずつ。ふぅふぅと冷ましてから一口飲むと、ほぅと一息。
動作がのんびりしていて、心が落ち着く。
「ひーねぇのもおいしぃねぇ」
「だろ? で、実際どうなんだ?」
問われたぐるみはカップをソーサーに置いて、うーんと首を傾げる。
「だって、せっかくまた仲良くなれたのに」
「あー、なる。こっからだったのに、どこぞの馬の骨にあっちこっちに引っ張られ、挙句の果てにバイトまでと」
「おめーだろーが」
「さーちゃんずるい」
とはいえ「拗ねる」程度で「怒る」ほどじゃない。コーヒーをもう一口飲み込んだ後は、すっかりぐるみの機嫌も戻ったようだった。
とはいえ、それで問題が解決したわけじゃない。
僕は今でもあやとぐるみには感謝している。あの時寄り添ってくれたことには報いたいと思ってる。でも、そんな「報いる」なんて気持ちで一緒に遊んでも欲しくないだろうな、なんてことも思う。
だから僕にできることと言えば。
「前に約束してたよね。弾くよ、ギター」
「いいの? じゃあ、今日行くねぇ」
「うん。ご飯どうする?」
「一緒に食べる。じゃあついでに泊まってこーかなぁ」
「いいと思うよ。あやも親も喜ぶだろうし」
これでもまだぐるみに恩を返しきれた、なんて到底言えたものじゃないけれど。少なくとも現状の機嫌は取れたようだ。にこにこといつもの笑顔を取り戻したぐるみに皆が、特に店長がほっと胸を撫で下ろしていた。
店長は昔からぐるみに弱い。大人しくて自己主張に乏しい割に、やけに頑固で周りに流されない。小学生だった当時のぐるみを宥める高校生の彼女は、困りながらもどこか楽しそうで。
そんな昔を懐かしむ空気に、置いて行かれた少女が一人。
「……さーちゃんも来る?」
「え、いいの? 私が行ったらダメな流れかなって」
「ほんとはちょっとやだけどぉ」
「やなんだ……」
そりゃあ沙織に嫉妬していた以上、沙織がその埋め合わせに参加するのは違うよね。でも所在なさげな彼女を見てそれを放っておくのは、ぐるみの矜持に反するのだ。
ちなみにその許可をぐるみが出すことに関しては何の問題もない。綾瀬家と衣縫家の仲はそれくらいに親密なのだ。
「さてじゃあお前ら、仕事に戻れよー」
「はい」
「はーい」
常連ばかりの店内であっても、やっぱり仕事は仕事。雑談ばかりして時間を潰すわけにもいかない。僕は会計に、沙織はテーブルの片付けに向かった。
午後六時。沙織とぐるみは一旦家に帰り、僕はバイトに残る。
つもりだったんだけど、店長に「帰れ」と言われて帰ることにした。そういえばぐるみが「ご飯を一緒に食べる」って言ってたっけ、なんてことを思い出す。呆れた目の店長に背中を叩かれ、「しっかりしろよ」と渇を入れられた。
着替えを終えて店の前で待ってくれていた沙織とぐるみに、僕は「ごめん」と謝る。
「ほんの三十分前だよ?」
「本当に申し訳ない」
「りょーちゃんにはがっかりだよ」
「つい、習慣で」
見慣れたセーラー服姿の沙織。同じくぐるみ。並んで立っていると、そこにあやがいないというだけで少し物足りなさを感じてしまう。けれど呆れるくらいにスタイルの良い二人は、並ぶだけでどこか近寄りがたいくらいで。
僕を挟んで歩き出すこの構図に、きっと僕だけが違和感を覚えている。
「で、初めてのバイト、どぉ?」
「めちゃくちゃ緊張した。でもだいぶ慣れた気がするなー」
「そっかぁ。さーちゃん、なんでも飲み込み早いからなぁ」
「そうかなぁ」
そうだと思う。
それに元々の愛想がいいから、慣れて笑顔が出せるようになれば当然、客からの受けも良好で。あるいは接客だけに絞れば、もう僕は超えられたと言っていいような気がする。
制服姿も、たった一日ですっかり板についたような。「バイト仲間」として、何の違和感もなくなっていた、気がする。
「でも、やっぱり一言言ってほしかったなぁ」
「それは、ごめん」
「……もうない?」
覗き込むように僕の肩越しに顔を出すぐるみの問い。沙織は一瞬口ごもった後、
「……まだある」
とだけ答えた。詳細は、もちろん言わないまま。
「そっかぁ」
やっぱり少し落胆した様子で姿勢を戻したぐるみは、探るように僕を見る。
当然、大会不参加の話だろう。そして僕は、沙織が言わない以上絶対に言わない。ぐるみはそれをよく知ってるから――
「そっかぁ」
と、少し落胆した様子で前を見る。
どのみち、ほんの数日後にはわかる話だ。大会が始まってしまえば隠しようもない。あるいはその前にミーティングか何かでバレることもあるだろう。
バレるより、正直に話した方がいい。そんな一般論で説明できない何かが、きっと沙織にはあるんだろう。
言い出しづらいだけ、というのも十分あり得る。そしてそれもまた、十分納得できる理由の一つだ。
正直に言えば、あやとぐるみくらいには話して欲しい。そんな気持ちもあるけれど。
「つまりそれは、揉めてもいいって決意表明だね?」
「えっ」
「えっ」
だからこそ、ぐるみの発言に驚きを隠せなかった。沙織も同様だ。
「だってそんなに大事なことを秘密にするって、そういうことだよね? そんなに大事なこと、バレないなんて無理だよ。バレたら揉めるよ、当たり前だよ」
「あっ、はい」
しどろもどろの沙織。
当然ながら、こういう頑固なところはこの一年と少しの付き合いで、それこそ何度も目にしてきただろう。スイッチが入った時の驚きももちろんあるけれど、やっぱりこの逆らえない奇妙な圧力に何より驚く。
沙織ったらまぁ、びくびくしちゃって。
「わたしはともかく、あーやは怖いよぉ。大迫力だよ」
「いや今のところぐるみの方が」
「え?」
「なんでもないっす」
あやは確かに怖い。すごむとそりゃあもう、結構な迫力だ。
でもなぜだろう。スイッチの入ったぐるみには、昔からあやもビビってたんだよなぁ。何より厄介なのは、当のぐるみにその自覚がないってところだ。
「りょーちゃんも共犯だからね?」
「え、それは違くない?」
「違くない」
「違くないかぁ」
言い逃れは許されない。だって何しろ秘密を共有していることに変わりはないのだ。
結局ぐるみの追及はそれきり。沙織を家に送り二人の家の辺りまで、穏やかな笑顔で楽しく会話を重ねた。
何しろ楽しいパジャマパーティーである。男の僕にはあまり関係ない話ではあるけれど、隣の部屋で盛り上がれば嫌でも声くらいは聞こえてくるもので。
……何度経験しても居たたまれないあの空気。今の僕なら、少し違う感じ方をするんだろうか。
なんて、そんな
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