駅で待ち合わせて一緒に遊びに出かける例のアレ





 土曜日にバイトに入ってないのはいつぶりだろう。思い入れの深いカフェだけに、そこで働くのはやりがいも楽しみも多くて、疲れはしても苦痛はなかった。それでお金が入るんだからもう、やらない理由がない。


 なんて、今はそんなことはどうでもいい。問題は、そんなバイトを休んでまでもやることができてしまったこと。


「土曜の午後二時、駅前集合ね」


 そんな言葉を聞いたのは、三日前の水曜日。「連れて行って欲しいところがある」なんて言葉が冗談ではないにしろ、まさか二人きりなんてことはないだろうと僕は思い込んでいた。肩を叩かれ振り返る先、いつも通りぐるみの机に、隣から拝借したであろう椅子をくっつけた黒瀬さんに尋ねる。


「あやとぐるみは?」

「え?」


 とぼけているわけでもなく、面白がっているわけでもなく、ただ単純に疑問を浮かべたその表情。思わず見遣るあやとぐるみは、僕らの様子を気にかけることもなく二人で弁当をつつきながら談笑していた。


 憧れの黒瀬さんは、男に痛い目に遭わされたその直後に、またしても男と二人で出かけようとしている。危機感がないのかな? なんて疑問は浮かんだけれど、それを素直に聞くのもなんだかはばかられて。


「あ、もしかしてバイト?」

「いや、バイトは……いつでも、行ったり行かなかったり」

「すごい。フレキシブルにもほどがある」

「まぁ。だから、大丈夫ではある、んだけど」

「じゃあ決まり! 遅れちゃダメだよー」


 そうしてあやとぐるみの方へ向き直る黒瀬さん口調は、そりゃあもう軽快なもので。


 そこから今日までの記憶は、正直なところ大部分が曖昧だ。緊張はするし、舞い上がりもするし、足元が冷えるのに頭がかっかと熱いみたいな妙な心地がずっと続いた。今も続いている。


 駅で待ち合わせて、二人きりで街まで一緒に。これはまさか、いわゆる一つの、アレなんじゃないだろうか。


 もちろん黒瀬さんには明確な目的があって、そのガイド役に僕が適役だった、というのはわかってる。であれば、彼女にそのつもり・・・・・がないことも。


 ともあれ僕は憧れの人と二人で電車に乗って出かけるわけで、それは紛れもない事実なのである。


 小さな町の小さな駅は、電車の本数もまばらなら人通りもまばらだ。とはいえ観光地、駅前広場はよくよく整備された白と茶のタイル敷きで、これまたきれいに整えられた樹木が等間隔に植えられている。そんな風に開けた場所だから、駅舎の壁に背を預けていれば、目当ての人が来たらすぐにでも見つけられる。


 ……ほら。


 春めいたパステルカラーの上着にパンツルックで、あの日キャンプ場で見た時とは少し印象が違う。そんな淡い色遣いながら、濡れたような漆黒の髪をまるで重く感じないのは、風にさらさらとなびくその軽やかさのおかげだろう。清楚さを残しながら、やっぱりどこかアクティブなところが本当にらしい・・・


 らしいってほど、そもそも彼女を知らないなんてのは、置いといて。


 僕の目から見ると「無駄におしゃれ」なこの駅前広場も、彼女を中心に据えるとどうしたことか、本当におしゃれな空間に様変わりする。


 そんなおしゃれの中心、黒瀬さんが僕に気づくと微笑んで手を振るんだ。今更ながらに慌てて自分の服装を確認するけど、あいにくと私服は似たようなものしか持っていない。それこそセルジュの制服のような。


 ファッションに気を遣ってこなかった自分に凹みもするけれど、凹んでばかりもいられない。


「おまたせー。絶好のデート日和だねー」

「天気はいいけど……デートなんだ」

「デート、じゃない? わかんねーけど」

「適当だなぁ」


 性質の悪い冗談・・に内心の動揺を悟られないよう軽く笑うけれど、うまくできたかどうかは自信がない。頬がひきつるような自覚だけは、あったけど。


 ともあれ壁から背をはがし、僕らは並んで改札を抜ける。


 短いホームから見える景色は本当に手付かずの自然ってくらいで、駅前広場のおしゃれさとはまた対照的だ。黒瀬さんも最初は新鮮だっただろうけど、一年も住めばさすがに慣れる。ぼんやりと前を見ながら電車を待つ彼女は、けれどどこか楽しそうにその風景を眺めていて。


「で、今日はどこに?」

「そりゃあもちろん――ひみつ」

「そっか」

「引き下がるの早いな」


 気にはなるけど、僕にとってはそんなことより「出かける」ということそのものの方がずっと大事だいじだ。大事おおごとと言ってもいい。


 どこであろうとついていく。それこそ犬のように。


 それを面白がる黒瀬さんは、右手を見て「おっ」と声を上げた。


「来た来た。こっちは電車が来たらそれに乗ればいいから楽だよねー」

「あー。どこそこ行き、みたいなのはないね」


 何しろド田舎。まずはこれに乗って大きな街の大きな駅まで行かないと、他のどこにも行けない。そんなド級の不便を、黒瀬さんは楽しそうに笑う。


 嫌味か? とは思わない。憧れは時に感性をマヒさせるのだ。


 一両編成――編成と言うのかはおいといて、そのたった一両に乗り込んだ僕らは、先頭左の座席に並んで座った。僕が窓側に、彼女が通路側に。なんというか、非常に近い。


 見れば、その瞳に映るものさえ見えてしまいそうだ。けれどやっぱり、その顔がこっちに向くと思わず目を逸らしてしまう。


「顔見ろー」

「そのノリ続くの?」

「ノリってか、その練習も兼ねてでしょ? そこ嘘ついたつもりないよ?」

「あ、そうだったんだ」

「もちろん。迷惑だったら言ってね?」

「いや、うん。ありがたくはあるんだけど。逆に迷惑かけるかな、って」


 僕はそこで言葉を切って黒瀬さんを見る。さっきからずっと逸らしていなかったであろうその目と目が合うと、やはり逸らしてしまいそうになるけれど。


 とろりと濡れたような――彼女のその瞳は、それを知ってしまうと、どうにも引き付けられてしまう。惹かれてしまう。


「気にしない気にしない。私から言い出したことなんだし」


 爽やかな造りの彼女の顔は、微笑むとそれが一層際立つ。涼やかな風が吹くように、胸に清涼感を与えてくれる。


「じゃあ、今日はお願いします」

「あはは、敬語だ。こっちこそ、お願いしまーす」


 どこへ行くのかは知らないけれど、黒瀬さんが望むならできる限りの協力はしたい。可愛らしく頭を下げる彼女に、僕は小さくうなずくように頭を下げ返した。



 電車から降りれば、そこはもう異世界だ。いつの間にやら増えていた人がぞろぞろと一緒に降り、どんどんとホームを移動していく。ホームから見える景色もまるで違って、まずもって緑の方が少ないってところが新鮮ですらある。


 何度来ても、きょろきょろと辺りを見渡してしまう。


「あんまり来ない感じ?」

「うん。たまーに、バイトで買い出しに来るくらい」

「へー。食材とかコーヒー豆とか?」

「そう。その時も基本原付で来るからなぁ」

「あー、荷物増えるとねー」


 基本ぼっちの僕は、人が増えるとどうにも落ち着かない。けれど隣を黒瀬さんが歩いているというだけで、なんだか「許されてる」みたいな感じがして、心に少しだけゆとりが生まれる。


 ホームの階段を降り、改札を抜け、駅前の繁華街へ。僕らの住む葛木町とはまるで別世界、木の代わりにビルの並ぶ街並みは、色鮮やかでとても忙しい。人も車もあっちへこっちへ、まるで時間の流れが違うみたいで。でも、これも別に嫌いってわけじゃなかったりする。


「じゃあ、こっちこっち」


 一歩先行く黒瀬さんの隣に並び、僕らはその人波の一部になって歩き出す。はぐれないように、けれど触れないように、僕らの今の距離感で。


郡浜こおりはま来ても、この時期はあんまり変わんないよね」

「うん。葛木は夏暑くて冬寒いし」

「ガチでそれ。虫もえぐいし」

「わかる。飲食店だともう天敵」


 僕のつたない話に明るく笑ってくれる。信号待ちのたびにこっちを見て、歩き出せばきちんと前を見て自然と僕を誘導してくれる。「合わせてくれてる」と思わないでもないものの、彼女の笑顔はその疑念を浮かんだそばから隠していく。


 ほめ殺しと言えばそれまで。彼女の仕草が、笑顔とその声が、僕を熱くのぼせ上げるんだ。


 けれど改めて話していて思うのは、やっぱりあやとぐるみと接する時とは違うということ。どこが、と問われると難しいけれど、やっぱりどこか違うのだ。


「でも私、言い方悪いかもだけど、田舎暮らしの方が性に合ってたかもなー」

「そうなの?」

「うん。なんだろ、スペースが多いというか」

「あー……なんとなく?」


 黒瀬さんが以前住んでいた街と比べれば、この郡浜もまだまだ「田舎」の部類だ。それでも葛木から降りてくれば感じる、視界の違い。基本どこを見ても遮られることのない葛木に比べ、ここにはそれがたくさんある。


 それを少し「せせこましく」感じてしまう部分は、正直僕にもある。何より人に慣れない僕にとって、人ごみというのはそれなりの圧迫感を伴う。だから用事がなければ来ることもないし、用事を済ませればさっさと帰ることが多い。


 だというのにどうしたことか、二人で歩くこの楽しさときたら。


「あ、そだ。先に連絡先聞いとこっかな。はぐれたりしてもアレだし」

「あぇ、うん。……えっと、番号? メール? talpトープ?」

「トープ」


 なお「トープ」というのはおそらく最も多く使われているトークアプリである。なのでぼっちの僕も当然入れているし、友達の多い黒瀬さんなら尚更だ。フレンド欄の寂しさに関しては今更気にすることでもない。何しろあの日、連絡先を開いて見せたのは僕なんだから。


「……そういえばスマホ、帰ってきたんだ」

「ううん、買い直した。アカウントも色々変えたからめんどくさかったー」

「あー、そっか、それはお疲れ様です」

「いえいえ。あはは」


 前のアカウントは、山に置き去りにしたという例のOBとやらも知っているはずだ。ブロックだけじゃ不安だ、という気持ちは大いに理解できる。


 ともあれ僕の差し出した画面からQRコードを読み取り、黒瀬さんはすっすっと素早く画面を操作してフレンド登録を終わらせた。「でけた」との声に自分の画面を見れば、テニスのラケットとボールをアイコンにした「くろせさおり」の名前が確かにそこにあって。


 なんとなく、胸に来るものがある。


「おぉ……」

「ほんとにあるんだね、マンガとかでよく見るその感動シチュエーション」

「……いやまぁ、マンガ的ではあるけど」


 ぼっちの主人公が他の登場人物と連絡先を交換して、増える登録数に感動を覚える。確かに、よく見る。


「読むんだ、マンガ」

「そりゃ読むよ。私を何だと思ってるんだい。あーやのツレだぞ」

「あー」


 何を隠そうあやは少女マンガの愛読者であり、スマホには冊数にして数百というマンガが入っている。特に気に入ったものに関してはわざわざ紙媒体で買い直すくらいで、厳選された十数作百冊ほどが本棚に並ぶ。


 ぐるみにも色々と布教しているみたいだから、黒瀬さんにもと考えれば不思議はない。となれば――


「僕もいくつかは読んだよ。くるみ色サーフェスとか」

「おー! わかってる、そこでくるフェス出してくる辺りわかってる!」


 だと思った。何しろ没交渉になってからあやに薦められた唯一のマンガだ。ありがとうあや、おかげで話題がなくなるという当面の心配はなくなった気がするよ。


 それから目的地まで、僕らは十分ほどを「くるフェス」の話で盛り上がった。推しキャラや推しシチュに声を高くする黒瀬さんは、そうして見るとごく普通の少女で。そんな一面を独占している現状にどうにも舞い上がってしまう。


 そのせいで目的地までの道のりもあやふやなまま、あっという間の道のりだった。目の前の大きなショッピングモール――の、その脇にある店舗を指差し黒瀬さんは笑った。



「キャンプ用品店「SWAN」で初心者セットを教えてくれ!」




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