2038年10月5日のあなた

新宿の外れ、地図にも載らない古い公園の一角。

そこに、時代遅れの赤い電話ボックスがぽつんと佇んでいる。


夜になると、照明は消えるはずなのに、

この電話ボックスだけはかすかに灯りがともる。


浦島孝行(30)は、その前に立ち尽くしていた。

片手には、小さなフォトプリント。

それは先週、突然スマホに送りつけられた“未来”の写真だった。


——2038年10月5日。

彼女・**桐島奈波(28)**の名前が、写真の裏に書かれていた。


写真に写る奈波は、孝行の知らない笑顔をしていた。

腕の中には、小さな男の子。

その横には、誰なのかわからない男。

三人はまるで「家族」のように結ばれていた。


奈波は一週間前、理由もなく孝行の前から消えた。

「時間をちょうだい」とだけメッセージを残して。


孝行は、その理由を知りたかった。

いや、正確には——

“奈波が自分を選ばない未来”が本当なのか、確かめたかった。


電話ボックスの扉を押し開ける。

古い受話器を取ると、不意に暖かい風が吹き抜けた。


「行きたい西暦日付を押してください」


合成音声とは思えない、柔らかい女の声。

孝行は躊躇したのち、指を伸ばした。


2

0

3

8

1

0

0

5


最後の 5 を押した瞬間、視界が白い光に包まれた。


気がつくと、未来の新宿駅西口。

街の雰囲気は見慣れたままなのに、どこか人工的だ。

空を行き交うドローンと、無音の電動バス。

自動広告パネルが人の目線を追い、微妙に表情を変える。


孝行はすぐに気づく。

2038年の今日が、写真の日付そのものだということに。


「奈波は……どこにいる?」


写真の背景に写っていた公園を探し、

AIマップに頼りながら、息を切らして走る。


やがて、小さなコミュニティパークにたどり着いた。

遊具の近くに——奈波がいた。


写真のとおり、三人の姿がそこにあった。

奈波は子どもを抱きながら、優しくあやしている。

そして横に立つ落ち着いた雰囲気の男性。

彼女が消えてから一週間の間にできた“距離”ではありえない。


孝行は言葉を飲み込んだ。

胸の奥で、なにかがゆっくりと壊れる音がした。


奈波が気づいた。

「……孝行?」


驚いた表情の奥に、微かな罪悪感が滲んでいる。


二人は園の脇のベンチに座った。

奈波の腕の中で眠る子どもは、写真より少し頬が赤い。


「その子……君の、子どもなの?」


奈波はゆっくりとうなずく。

「海斗(かいと)。三歳」


孝行は喉がひりついた。

彼は言葉を絞り出す。


「俺は……いらないんだね。

未来の君にとって、俺は」


奈波は否定しなかった。

ただ、孝行の手をそっと握って言った。


「あなたのことを……ずっと大切に思ってたよ。

でもね、孝行。

“未来のあなた”はもっと大きな夢を追いかけてる。

私のいるこの道とは、どうしても交わらなかった」


「俺が、君を不幸にした?」


「違う。あなたは優しすぎたの。

私、あなたを支えられる自信がなくなったの。

だから……ここに来たの」


孝行は写真を取り出す。

「この写真を送ったのは誰だ? 君なのか?」


奈波は首を振る。


「知らない。

でも、見たときわかった。

——あなたに未来を知らせるための“合図”なんだって」


孝行はうつむいた。

この24時間が過ぎれば、元の時間に戻らなければならない。

彼女に触れられるのは、これきり。


「最後に……頼みがあるんだ」


「なに?」


「君の“笑ってる未来”があるなら、

俺はもう、追いかけない。

だから——その笑顔、見せてくれ」


奈波は泣き笑いのような顔で、子どもを抱きしめた。


その瞬間、孝行は悟った。

この未来は“間違い”ではなく、奈波が自分で選んだ未来だと。


夕暮れ時。

電話ボックスへ戻る時間が近づいていた。


孝行は奈波たちの姿をもう一度だけ振り返る。

未来の風景の中で、三人がゆっくり歩いていく。

小さな子どもが笑い、奈波も柔らかく微笑んでいた。


その光景を胸に刻み込むと、孝行は呟いた。


「……笑っててくれれば、もうそれでいい」


電話ボックスに入り、ゆっくりと受話器を取る。


「元の時間に戻りますか?」


優しい声が問いかける。


孝行は息を整え、絞り出すように言った。


「……はい」


最後のボタンを押した瞬間、

未来の風景が波のように溶けていった。


がつくと、元の公園。

夕日は同じ色なのに、胸の奥は静かに変わっている。


孝行は写真を見つめる。

未来の奈波は、どこにいても幸せそうだった。


彼はポケットに写真をしまい、ゆっくり立ち上がる。


「未来は……選び直せる」


静かに歩き出す背中は、

もう奈波を失った男ではなく、

“自分の未来を選び直そうとする人間”だった。


赤い電話ボックスは、

まるで次の訪問者を待つように淡く光り続けていた。

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