ミハルとゆら

雪峰

11月15日

「イルミネーションだねえ、ゆらくん」


 空気の冴える初冬の街を見渡してミハルは言った。

 よく手入れされたミルクティーベージュのロングヘアに、駅前の光の粒が反射している。


「綺麗じゃん」

「綺麗だし、ワクワクはするんだけど、なんか」

「なに?」

「現代って娯楽が多すぎて、イベントごとのありがたみ薄く感じちゃうよね?」

「何てこと言うんだ…」


 由良ゆらは己より少し低い位置にあるミハルの頭へと視線を下ろす。

 首を下げた拍子に、内側を藍色に染めた襟足がゆるく跳ねた。


「で、夕飯どうする?」

「あれ? 予約ってしてたんだっけ?」

「してないよ。ミハルが当日も肉の気分かわからないって言ったんじゃん」

「言った」

「ちなみにいま何の気分?」

「肉」


 肉じゃん、と由良が呟いて返す。


「よく考えたらさ、肉の気分にならないことなんて無かったよね。あとカレー」

「カレーいいな。カレー食べるか」

「お腹空いてきた」


 そんな会話をしていたにも関わらず、実際に入ったのはリゾットの専門店であったが、二人にはよくあることであった。


「ゆらくん決まった?」

「俺は本日のおすすめでいい」

「即決? ちょっと待ってね」

「いやめっちゃ迷ってるよ。ドルチェをシャーベットに変えるかどうかとか」

「ほんとだドルチェ種類多い」


 テーブル席が六つ、カウンター席が四つ。小規模な店内はほとんど満席で、調理スペース含め三人の店員が働いている様子が見えた。


「決めた」


 ミハルがメニューを指差した時、店内が不意に真っ暗になる。手元のメニューも向かいの相手の顔も、全てが闇の中に包まれる。


「え、なに!? サプライズ?」

「違うんじゃない? 店員さんも混乱してるっぽい声聞こえるし」


 ざわつく店内。明かりがつくと、カウンター席から悲鳴が上がった。

 由良とミハルが振り向いて同時に息を呑む。


 食事中だったと思われる男が、左腕を押さえてカウンターに突っ伏していた。その手には血が滲んでいる。


「誰かに……腕を刺されました」


 えええ、とミハルが叫んで両手で口元を抑える。店内のどよめきが大きくなった。


「大丈夫、大丈夫です。僕は探偵です」


 腕から血を流した男が、そう言いながら立ち上がった。

 額には脂汗が浮かんでいる。


 何が大丈夫なんだろう、と由良は思ったが声には出さなかった。

 その代わり、こう提案する。


「あの、救急車と警察呼んだ方がいいんじゃ」

「大丈夫です」

「……??」


 この男は自分が刺されたというのに、どうしてこう悠長なのだろう。

 由良の脳内に大量の疑問符が浮かび、ミハルは「これもしかしてしばらくご飯食べれない感じ……?」と小声で由良に囁いている。


 店員が慌てて彼に駆け寄り、本当に大丈夫か、本当に警察を呼ばなくていいのかと何度も繰り返している。


 男はそれには及ばないが、店内にいる客の事情聴取をさせてほしいと言い出した。


「え、何でですか?」

「この店内に僕を刺した何者かがいるのなら、僕自身が暴きたいんです」


 どうする、と店員同士がアイコンタクトを取っている間に、探偵を名乗る男は由良たちのいるテーブルに近づいてきた。


「先ほど、救急車と警察を呼ぶよう発言したそこのあなた。名前と職業をお願いします」

「俺? 別に言ってもいいけど……由良渉ゆら わたる。大学生」

「私は溝呂木心晴みぞろぎ みはる。大学生」

「ミハル、知らない人に個人情報教えちゃだめだって」

「ゆらくんは言ったのに?」

「俺はいいの別に」


 自称探偵は、由良とミハルの発言に頷いた。


「なるほど。今日はどこから来ましたか」

「それは言わない。ミハルも言わないでね」

「わかった」


 由良は眉根をひそめて男を睨んだ。


「なんで俺たちから聞きに来たの?」

「どういう意味です?」

「だって、ふつう一番近い席にいる人から聞かない? 何が起きたのか、とか」


 男のいたカウンターには、席をひとつ挟んで初老の女性が座っていた。肝が据わっているのか、この状況下で黙々とリゾットを食べ続けている。

 いま料理が運ばれていたら、ミハルも同じことをしてたかもなあ、と由良は思う。


 リゾットを食べ終えた客が、会計のために立ち上がる。

 それに続く形で、どうしてよいか迷っていた他の客たちも続々と席を立った。


「あ、待ってください。事情聴取を」


 自称探偵が一人の女性客に向かって行こうとするのを、由良が進行方向に腕を伸ばして止めた。


「やっぱ変だよ、探偵さん」

「……何がです?」

「全部。救急車も警察もいらないって言うのも、急に始まった事情聴取も全部」

「それは私もヘンだと思った!」


 ミハルが呑気に叫ぶ。


「それに、話聞こうとする人の順番も。何グループかが席を立った時、探偵さんは真っ先にあの人に声を掛けようとしたよね。なんで?」

「そ、それは」

「カウンターから一番近い人ってわけでもないし。先に帰ろうとしてる人でもないのに。なんでかなって」


 由良は横目で女性に視線を投げる。黒髪で落ち着いた印象の女性だった。


「私わかったよ。ゆらくん」

「ん?」

「まず私たちから聞いたのは、いきなり本命にいったら恥ずかしいっていうカモフラージュ」

「うん?」

「探偵さんが本当に事情聴取したいのは、あの子だったんだ!」


 ミハルが自信満々に言い放つと、自称探偵はがっくりと床に膝を落とした。


「え、当たり?」

「みたいだね」

「ってことは、どういうこと?」

「そこわかってなかったんだ」


 由良が気だるげに呟く。


「ひとが刺されたとかいう特殊な場面で、事情聴取だって言われて聞かれたら、うっかり個人情報教えちゃう子もいるかもってこと」

「ゆらくんもじゃん」

「俺はなんかノリで。ミハルも言い出すから焦った」

「ねーっそういうのよくないよ!」

「なんでそこまでして、あの人に聞き出したかったのかは知らないけど」


 自称探偵は這いつくばりながら、しどろもどろに感情を吐き出した。


「この店に入って目が合った瞬間、脳が痺れるような運命を感じて……彼女が食事を終えて去ってしまったらもう二度と会えないって、そんなことを思ったら胸が苦しくなって、そしたら停電があって。これはもう本当の運命だ、運命に違いないと思ったら、気づいたら腕を刺していました」


「え、その腕って血のりとかじゃなくてガチで刺してんの?」

「血のりなんか都合よく持ち歩いてるわけないじゃないですか……その後はもう、何も考えないまま喋っていて」


 由良の顔が引きつる。ミハルは瞳にきらりと光を溜めた。


「すごーいっ! 好きになった子のために自分を刺せるなんて、それってすっごく愛だよね!」

「愛かなあ……」


 うっとりと血まみれの腕を見つめるミハル。

 ミハルの思考との間の温度差に、由良は頭がくらくらとした。


 その時、チリンと店のドアが開く音がする。

 ドアの先にいたのは警察だった。


「フツーに不審な状況だったんで、呼んでました」

「だよね……」


 店員との方がよっぽど意見が合いそうだ、と由良は安心する。

 それでも、由良が共にいるのはミハルである。

 理由はない。なんか知らないけど、仲が良いから傍にいる。





「次はカレーリベンジしようね」

「リベンジ……って別に負けてないし、絶対その時はカレーの気分じゃなくなってるでしょ」

「カレーの気分じゃない時なんてないから!」

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ミハルとゆら 雪峰 @atalayoata

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