第2話 異世界人対プレデター
朝焼けの大地に清澄な歌声が朗々と響く。
聞こえてくるのは女性のコーラスだ。
「……朝っぱらから合唱かよ」
テントから出てきた妖精レインはあくびしながらぼやいた。
「日が昇ったら毎朝大地のどこかから朝を告げる音楽が聞こえてくる。このイセカイを作った神さまはいったいなに考えてんだ?」
時折あらわれる転生人がこの世界を異世界と呼ぶので、いつの間にかここの住人もこの世界をイセカイと呼ぶようになった。
「おはようレイン。いい天気だね」
「おっす。ウッディ、今日の目的地は?」
「『入らずの森』だよ。その森をレポートしろってお客さんのリクエストが昨日きた」
ウッディは黒革の手帳を見ながらそういった。
客が手持ちの手帳に連絡事項を書くと、それが文字となってこちらの手帳に浮かぶのだ。
「あらゆるものを見聞して記録するのが書記官の仕事だけど、入るなっていわれてる森に入るのはぞっとしねえな」
「仕事だからしかたないよ。さ、朝ごはんにしよう」
ウッディは異世界全体に響く神秘的な女性のコーラスを聞きながら、朝食の準備をした。
「なにかいる」
入らずの森に入ってすぐ、レインはウッディの耳を引っ張った。
妖精はいつも相棒の左肩に腰かけている。
「痛っ、いるってなにが?」
ウッディは薄暗い森に目をこらした。
「別になにも……」
そのとき前方でなにか爆発するような音がした。
「なに?」
「おい! 血が出てる!」
ウッディの右頬が裂けていた。
「あれ?」
「また爆発音だ!」
今度は近くの木がメキメキ音立てて倒れた。
「逃げろ! なにかがおれたちを攻撃してる!」
「なにかってなに!?」
「知らん! とにかく逃げろ!」
ウッディが走ると見えないなにかも草木をかき分け追ってきた。
レインは背中の羽根をひらめかせ、空を飛びながら背後に手を伸ばした。
「
レインが呪文を唱えると強風が吹き、一斉に木の葉が舞い上がってなにものかの視界を遮った。
その隙に二人は逃げた。
「た、助けて」
逃げる二人の前に三人の人間が現れた。
一人は冒険者風の若い男、もう一人はウッディと同じ十歳ぐらいの女の子、そしてもう一人は五歳ぐらいの男の子である。
「助けてくれ! なにかに追われてる」
「おれたちもだよ。ウッディあれ出せ」
「わかった」
ウッディが背嚢から取り出したのはハンカチみたいな布切れだ。
「消失」
呪文を唱えてウッディが布を頭上へ放ると、布切れはマントのようにバッ、と広がり五人を覆った。
「五感を遮断する魔道具だ。外の人間におれたちの姿は見えねえし声も匂いも伝わらない」
とレインが話している最中、なにかがそばへやってきた。
「……」
その場にしゃがんで息を殺す五人のまわりを地響き立ててうろつき、なにものかは去った。
「明るいうちに動くのは無理だ。夜になるまでここでじっとしていよう」
レインの言葉にみんなうなずいた。
「うえ~これ固い」
ウッディが差し出す干し肉をかじりながら、アル少年は文句をいった。
みんなまだ魔道具の布の中にいた。
姉も干し肉を食べながら弟をたしなめた。
「文句いわないの。ごめんなさい」
「気にしないで」
レインの治癒魔法で傷が癒えたウッディが笑う。
「ダイアン、きみたちはこの森になにしにきたの?」
「蝶を追っかけてきたの。森に入ってはいけないといわれてたけど、夢中になって忘れちゃった」
そういうとダイアンは悪戯っ子のようにペロッと舌を出した。
「あなたは? リノさん」
「この森にしか咲かない花を採取しにきたのさ」
冒険者リノはそういうと、てのひらで無精髭を生やした口もとをざらりと撫でた。
「豪勢な家が一軒買えるぐらいの値段で売れるからな」
「借金でもあるの?」
レインの無神経な質問にリノは苦笑いを浮かべた。
「いいや国へ帰るのさ。おれは負け組さ。故郷に錦を飾れなかった。でもせめて金ぐらい持って帰らねえとかっこつかねえ」
「お姉ちゃん負け組ってなあに?」
「アル黙って」
「ふーん、一発逆転を夢見るのはフリーランサーの悲しい性だけど、フリーランサーが若くして死ぬ理由もだいたいそれだよ」
「妖精って可愛い顔してるのに痛いこというなあ」
レインの辛辣な言葉にリノはまたしても苦笑した。
「でもやっぱおれはかっこつけたいんだ。
かっこつけてねえと、おれはおれじゃなくなるから」
まだ日が落ちきらないうちに五人は移動を開始した。
五歳のアルが暗闇を怖がったのだ。
レインは周囲を伺い、ホッと安堵した。
「気づかれてねえ。よかった、日があってもこの暗さなら相手におれたちは見えない……」
そのとき激しい爆発音をあげ、そばの木が倒れた。
「ばれた逃げろ!」
レインの号令で五人は暗い森を駆け出した。
「痛いっ」
「アル!」
「止まるな!」
転んだ弟を助けようとするダイアンを制し、リノは代わりに弟を抱き抱えた。
「レインどっちに逃げる!?」
「わからねえ。とにかく固まって逃げろ。逃げ遅れたやつから死ぬぞ! ……どうしたウッディ?」
「だめだ」
先行していたウッディが、絶望の表情で振り返った。
「これは」
相棒の前方が崖なのを見て、レインの顔も歪んだ。
「くるぞ!」
リノの声で振り向くと、目に見えないなにかが木々を薙ぎ倒しながらこちらに迫っていた。
「これまでか」
とレインがつぶやいたときだ。
不意に見えないなにかの突進が止まった。
同時に森全体に響き渡った。
一人の女性の囁くような歌声が。
リノがいった。
「夜を告げる歌だ」
「みんな飛び降りろ!」
レインに叱咤され五人は崖から飛び降りた。
「
レインが呪文を唱えると下から風が舞い上がり、その風に支えられ、五人は枯れ葉のようにゆっくり落下した。
リノは冷や汗をぬぐった。
「なんだよ、こんな魔法があるなら早くいってくれ」
「ウッディ、やつは今なにをしてたんだ?」
レインは崖の上を見ている。
「歌を聴いていたんだよ、たぶん」
「やっぱりそうか」
暮れゆく蒼い空にまだ歌声が流れている。
レインはこの日初めて笑った。
「音楽を聴くってことは、やつには心がある。
心があるなら殺せるぞ」
異世界に夜の帳が降りると、崖下の地面が激しく揺れた。
「……」
崖から飛び降りたなにかは周囲に視線を巡らせた。
満月に照らされ、水が青く染まった細い川が流れている。
その川の上流に向かう足跡があった。
なにかは足跡を辿って歩いた。
暗視スコープを使わなくても月の光でまわりがよく見える。
それにしても静かだ。
自分の足音と川のせせらぎしか聞こえない。
すると
「おい」
声をかけられ振り向くとそこにいた。
自分自身が。
なにかは絶叫し、その恐ろしい声の響きで近くの崖の岩が地震のように崩落した。
川べりに大きな鏡が置かれていた。
覗き込んだ者のすべてを写す鏡が。
転生者コータの置き土産である。
ずっと姿を消していたなにかは、このときようやく正体をあらわにした。
なにかは頭を抱えてのたうち回った。
鏡で見た自分のあまりの醜さにショックを受けたのだ。
ここまではレインの予定通りだったが
「キャアア!」
なにかはバッ! と振り向いた。
岩に隠れていたダイアンが、震えながら自分の口もとを押さえている。
あらわになったなにかの姿を見て、思わず声をあげてしまったのだ。
正体を見られたなにかは猛然とダイアンに襲いかかった。
(ヤバい)
ダイアンのそばにいたウッディは瞬時に悟った。
(怪物がいつも姿を消してるのは醜い自分を見られたくないからだ。怪物は自分を見たものを絶対殺す)
とウッディが思ったとき、恐怖で身動きできないダイアンの前に影が躍り出た。
「死ね!」
リノが振り下ろした剣は、怪物の頭に触れると枯れ枝のようにあっさり折れた。
怪物が腕を振るうとリノの首筋から鮮血がほとばしり、ダイアンはまた悲鳴をあげた。
「リノ!」
「動くな」
そこで怪物の動きがピタッと止まった。
怪物の後頭部にレインがいる。
レインは怪物の頭に小さなてのひらをあてがっていた。
「この距離なら殺せる。
コンプレックスは他人ではなく自分に向けろよ。臆病な狩人さんよ」
「!」
怒号とともに怪物が振り向こうとするとレインは呪文を唱えた。
「
レインのかざすてのひらの先に五芒星が浮かび、その中心から青い光が放たれた。
光を浴びて怪物の頭は粉微塵に吹っ飛んだ。
ウッディは倒れたリノに駆け寄った。
「リノ!」
「ごめんなさい」ダイアンは涙をこぼした。「わたしのせいで」
「いいんだお嬢ちゃん」
血を吐いて、しかし冒険者は満足そうにつぶやいた。
「最期までかっこつけることができた。おれは嬉しいんだぜ。ウッディ、レイン、あとは頼む」
そういうとリノは笑顔のまま死んだ。
「ダイアン、アル、無事でよかった」
夜が明けて姉弟は両親と再会し、二人を心配していた村人たちも喜んだ。
その村人の一人がいった。
「一緒にいた冒険者が死んだ? 気にすることはない、冒険者なんてみんなならず者……」
「リノさんはならず者なんかじゃない。リノさんはいい人だよ!」
「アル?」
いつもはおとなしい少年に怒鳴られ、村人は戸惑った。
「アル、やめなさい……」
「いわせてやれよ」
弟を止めようとするダイアンを、レインは逆に制した。
「あんたの弟は今かっこつけてんだ。
男として大切なことだよ」
朝焼けの大地に、そのとき一日の始まりを告げる女性のコーラスが響き渡った。
無名の勇者に捧げる鎮魂歌だ、とレインは思った。
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