【第二章完】町はずれの大魔道士は魔術を嫌う
雨山木一
零章
零
矢の刺さった足を庇いながらトルキン・シェフォードはあちこちに落ちている仲間を見て茫然としていた。
一昨年から始まったアルバラルト戦争。きっかけが国境を巡ったいつもの小競り合いだったとは思えないほどに苛烈に、熾烈に、大陸を戦渦へと引きずり込んでいった。
身分を偽り志願兵として前線に配属されたとき、トルキンは内心で歓喜していた。
ここが俺の人生の転換点になる舞台かと。
きっとこんなことを考えていたのは、このときトルキンだけだっただろう。周りの仲間はこれから死地に向かうことへの拒絶と絶望と恐怖に顔を歪め、腰をぬかし、大小を漏らしていた。
そんな姿を見て、情けない奴らだと見下すことはない。彼らは自分の舞台を彩る名脇役であり、そんな姿も引き立てる最高の材料になると思えた。
故郷や家族を守りたいという気持ちはもちろんある。しかし、なによりも男と生まれたのなら人生を誇れるような功績がほしい。そんなトルキンの欲求を満たすには戦争は都合がよく、我先にと死地へ志願したのだ。
体は強くなく、学もない。これまでの人生でなにかを成し遂げたことなど一度もなかった。いつも誰かの作ったレールに乗って、決められた道をひたすらに邁進する。そうしていればこんな自分でもなにかしら生きていた痕跡を残すことができると信じていた。
しかし、現実はそう甘くない。レールから外されて挫折し、落ちこぼれた。そのまましばらくなんの仕事も役目も与えられず飼い殺しされていたところに降って湧いた戦争。
これだと思った。この戦いでトルキン・シェフォードという男の価値を証明できれば、それは自他共に認める歴史になるはずだと思った。
しかし、重ねて言うが現実は甘くない。一度骨身に染みるまで理解させられたはずなのに、また同じ過ちを犯していることに気がついていなかった。
今朝早くに索敵隊からもたらされた情報により、トルキンの所属する第十一大隊と途中で合流した第十三大隊は、敵が放棄した
敵軍が敗走時に、食料や燃料を強奪し町を破壊することで利用されないようにしたのか。
だが、守るべき自国の民を殺すことになんの意味があるのか。トルキンにはわからなかった。
見るものもほとんど残されていない村を抜け、しばらく進んだところにある小高い丘を越えようとしたとき。
背後で誰かが驚くような声を上げた。何事だと振り向いて、そしてトルキンは飛び込んできた光景に言葉を失った。
すぐ後ろの仲間の胸に矢が突き刺さっていたのだ。その仲間──マルコはじっと胸の矢を見つめ、それからなにが起こったのかわからないといった表情を浮かべた後に白目を剥いて仰向けに崩れ落ちた。
その初撃が合図だったのだろう。敵襲を知らせようとトルキンが声を上げようした次の瞬間には、空を覆う無数の矢が大隊を襲っていた。
阿鼻叫喚とはまさにこのことだ。まさか今の時代に弓矢による不意打ちがあるなど誰も考えもしない。いや、熟練した兵士であればそんな事態も想定していたのかもしれないが、残念なことにトルキンを始め、大隊の四割強がまともな訓練を受けたことのない素人の集まりだったことが災いして、部隊は一気に混乱の様相を呈した。ただ、それも長くは続かなかった。
矢の雨が降り終わり、息をつく間もなく飛来してきた炎の槍による攻撃で熟練兵のほとんどが殺されたからだ。そこからトルキンの意識は途切れる。
そして、冒頭に戻るのだ。
「いっ……た」
太ももに刺さった矢を抜こうとしてあまりの痛さに諦めた。どうやら矢尻に返しがついていて、簡単には抜けないようになっているらしい。
「哀れだな」
背後で誰かの声がする。振り見上げると小高い丘に整然と並ぶ敵兵の姿があった。
「神聖なる我らが土地に汚らわしい蛮族が足を踏み入れるからこうなるのだ。未来のある若者は死に、残されるのは権力に溺れた老害ばかり。哀れで、愚かで、滑稽だ」
恐らく敵部隊の指揮官であろう男がトルキンを、いや、死体の山となった大隊だった者たちを見下ろして吐き捨てる。彼の背後にいる部下らしきものたちの嘲り笑う声が響く。
「ほら、情けだ。仲間の死体と共に大地へ帰れ」
指揮官がなにかをトルキンに向けて投げつけた。
「あ……あ……」
それは人の生首だった。地面に転がる首の主とは確か二、三度言葉を交わしたことがあったはず。名前は思い出せない。ただ、士気の低い部隊を盛り上げようとよく笑う気持ちのいい男だったことは覚えている。
首だけになった彼の顔は土と血にまみれて汚れていた。張り付いているのは苦痛の表情。どれだけの拷問をされたのかは想像に難くない。
「彼の助言のおかげで我々はさして労せず戦果を挙げることができた。感謝を」
指揮官の男は嫌らしく笑みを浮かべて言う。その表情は悪魔が憑りついているのかと思うほどに醜悪だった。
「おい、あいつ漏らしてるぜ」
敵兵の誰かが言った。足を伝う生々しい感覚に自身が失禁したことを知る。
羞恥はない。代わりにそんな自分を俯瞰してはっと気がつくことがった。
俺も変わらないんじゃないか。仲間を名脇役と勝手に決めて心のどこかで優越感に浸っていたが、彼らとの間には違いなんてこれっぽっちもない。
そう自覚した途端、どうしようもない恐怖に襲われた。焦げた死体。血を吹いた死体。体がちぎれた死体。
死体。死体。死体。
なんだこれは。どうして俺は──。
「馬鹿な……思い違いを」
自他ともに認める歴史だと? お前はなんにもわかっていない。
圧倒的な力の前に凡人の思いなど紙屑程度の価値しかなく、いとも簡単に踏みつぶされてしまう。俺はそれを一度学んだはずだ。それなのにどうしてまた同じ轍を踏んだんだ。
無理だったんだ。地に足のついていない思い上がり野郎が、なにかを成すなど。
そんなことを思ってトルキンはようやく理解した。なにかを成すって。
俺は自分がなにを成したいかもわかっていないじゃないか。
「さて、魔術兵士たち。この生き残りごと大地を焼き払って全てを灰燼に帰してしまえ」
指揮官の命令に彼の背後にいた五人の兵士が前に出る。
魔術兵士。その言葉にこの地に降り立ったときに上官が真剣な顔で話していた姿が脳裏を駆け巡った。
奇跡の魔術を扱う戦闘兵士。戦場で出会えば死は免れず、運よく流れられたとしても生涯に渡って残りる傷を与えられる。
逃げろ。奴らを見たら親兄弟であろうと捨てて逃げろ。
そんな話を半ば冗談として聞き流していたが、まさか実践導入されていたとは思いもしなかった。恐らく矢の雨の後に降ってきた炎の槍はこの五人が使った魔術なのだろう。
たった五人の魔術兵士に二つの大隊は壊滅状態に追い込まれた。
化け物だ。こんなの人じゃない。
茫然自失とするトルキンをおいて、五人の魔術兵士たちが円を描くように並び空に向かって手を掲げる。そして、聞き慣れない言葉を各々が呟くと宙に渦巻く炎が現れ、次第に巨大化し火炎の大玉を形作った。
「さらばだ、青年。恨むなら……戦いを望んだ為政者たちを恨め」
敵陣から喝采が上がる。これからなされる大焼却に誰もが目を剥き、唾を飛ばして、異常なほどに興奮している。
「ああ……。母さん……父さん……」
宙に浮かび今まさにすべてを滅さんとする火球を前に、不意に故郷に残してきた両親の顔が浮かんだ。
色々あったけど、最後に愛していると伝えたかった。
地響きのような音を奏でていた火球の巨大化が止り、そして、圧縮される。
トルキンは最後の瞬間を悟り目を瞑った。神への祈りを捧げ、きたる死を前に全てを受け入れた。
だが──。
「させない!」
それは少女の声だった。
「大丈夫ですか」
まだ幼さの残る声に導かれて目を開ける。そこにいたのは──。
「休んでいてください。ここはあたしが引き受けます」
肩口で切りそろえられた白銀の髪。猫のような大きな瞳を彩るのはヘーゼル。身にまとう黒衣の戦闘服はトルキンが着ているものとは仕立てが異なるもので、手には槍にしては短いが、杖にしては鋭利な刃物のついたものを持っていた。
あどけなさの残る顔から推測するに、年の頃は十代半ばだろうか。
「君は……」
「どうした!? どうして火球が消えたんだ!」
敵指揮官の叫びでトルキンははっとした。
そうだ。敵の魔術は……。
そう思って空を見やる。しかし、そこには先ほどまであったはずの火球はない。
「それなら私が消したよ」
「消した、だと……」
答えたのは目の前の少女だ。
「あの児戯の如き魔術もどきなど指一本あればかき消すのは容易です」
その発言に魔術兵士たちの顔が引きつる。年端もいかぬ子供に児戯と蔑まれて怒りに──ではない。その目に浮かぶのは怯え。
「殺せ!」
そして、指揮官も恐らく同じ怯えを抱いてしまったのだろう。唾を巻き散らかし命令を飛ばす。五人の魔術兵士も即座に反応し、攻撃を加えようと構えるが──。
「ディデュミアード」
少女が手にしていたもので地面を軽くついた。次の瞬間、指揮官と魔術兵士たちは大地から現れた黒い
彼らが立っていた場所に残されたのは、抉れた大地と残り香のように漂う黒い粒子のみ。
「この戦場はあたしのもの」
そうして残された敵兵に向けられた言葉は死刑宣告。つい先程まで兵士たちが浮かべていた嘲笑は消え、代わりに張り付いているのは驚愕。
まさか二つの大隊のほとんどを葬った五人の魔術兵士が、たった一人の少女に一瞬の間に消されるなど誰が想像しただろうか。
驚愕が戦慄に変わればその後にする行動はどんな人間も同じ。一人が悲鳴を上げ、武器を捨てて一目散に逃げてしまえば、亀裂の入った反撃の意思など砂の壁のように脆く崩れ去る。
我先に。仲間を押しのけて、踏みつけて、殴りつけて、誰よりも先に逃げようとする。
少女はその後をゆっくりと歩きながら追う。その様は優雅で、まるで華々しい舞台を行く演者のよう。
そして、姿が丘の先に消えた途端。目もくらむ閃光と鼓膜が破れそうなほどの破壊音が轟く。続けて聞こえてくるのは人の悲鳴とわずかに戦意の残った者たちによる無意味な抵抗の音。
なにが起こっているのかは考えたくなかった。
「君は第十一大隊の生き残りか」
「え……は、はい」
声をかけられて、ようやくいつの間にか隣に誰かがいたことに気がついた。
「あ、貴方は……」
戦場であっても汚れ一つない綺麗な漆黒の軍服。胸につけた星を模った勲章は誇らしげに輝いているところを見るに、高位階級であることは間違いない。
軍帽を深く被り、白髪の髭を蓄えた人物はトルキンに向き合う。
「私は戦術魔道第三遊星部隊指揮官のトールソン・ラキドラム少佐だ。君たちの救援にきた」
「救援……」
「しかし、間に合わなかったようだ。すまない。我々も急いできたのだが」
ラキドラムは背後を一瞥し、憂いを滲ませた声で言う。だが、咳払いをするとそれらは既に過去のものと言わんばかりに無表情になり、トルキンに左手を差し出してきた。
「ともかく君だけでも助けることができてよかった。たったひとりだけでも仲間を救えたのなら、我々がきた意味があった」
反射的に右手を差し出そうとしてそこで初めてラキドラムが隻腕だということに気がつく。トルキンは慌てて左手を差し出す。
ラキドラムの手は男のトルキンからしても大きく、そして力強かった。
「君の名を教えてもらえないだろうか」
「あ……トルキン・シェフォード三等兵です」
「三等兵? ああ、となると君は志願兵か」
「そうであります」
「ふむ」
ラキドラムはトルキンの手を掴んだまま感情の読めない顔で逡巡する。
「……これも星の導きか」
「え、なんでしょうか……?」
「いいや、こちらの話だ。シェフォード三等兵、これから君の体は私の部隊に預けてもらう」
「は、い……? それは、どういう意味、でしょうか」
「質疑はやめてもらおう。君は既に私の指揮下にある。命令に従いたまえ。まずは……治療だ。陣に引き返す。きなさい」
「は、はい」
わけがわからない。だが拒絶できるような雰囲気ではなかった。それに拒絶したところで他に行くべきところもない。
ラキドラムはトルキンが頷くのを見届けると、背を向けて歩き出した。トルキンも後に続こうとして、いや、と足を止める。
「ラキドラム少佐。彼女は……彼女を置いていくので?」
ラキドラムは半身だけで振り返ると、薄く笑みを浮かべた。
「必要ない。彼女はあれでいい」
ラキドラムが断言した瞬間、翠色の光りの柱が空を射抜いた。大地の唸るような音と噎せ返るような熱気が二人の元まで届く。
トルキンは
「彼女は、一体何者なんでしょうか」
「彼女は
「極色星の魔術師……」
「我々の未来を再び救うために現れた救世の魔女だ」
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