第11話: 霧槍と、弓兵のゼロ距離戦闘


 南の森の入口を越えたあたりから、霧の“質”が変わった。


 昨日までは、まだ“向こうが見える白さ”だった。

 薄い布越しに景色が透けている、そんな感じ。


 今日は違う。


 「……視界、悪っ」


 目の前が、ほとんど見えない。


 白、というより灰色。

 霧が層を重ねすぎて、濃いところは完全に壁だ。

 距離感が狂う。

 一本先の木が、幻みたいにぼやけて見える。


 足元の土も、湿りすぎてぬかるんでいた。


 (やな感じしかしないんだが)


 霧の奥に、何かが“詰まっている”。

 そんな圧迫感だけが、肌にべったり張りついてくる。


 「ぬし」


 隣から、控えめな声。


 ルミナが袖を軽くつまんだ。


 「いつも以上に、気配を逃すな。

 霧の向こうから来る“揺らぎ”を、全身で読め」


 「……音で探せってこと?」


 「音だけでは足りん。匂いも、風も、土の震えも。

 全部ひとつにまとめて、“線”にせよ」


 要求スペックが高い。


 けど、ここまで来たらやるしかない。


 深く息を吸って、吐く。

 霧で肺が冷たくなる感覚に、まだ少し慣れない。


 (見えないなら、視えればいい)


 俺は“あの感覚”――霊脈の揺らぎを探る意識を、じわじわと広げていった。


 ♢


 南へ進むほど、霧の密度は増していく。


 枝葉が揺れる音も、鳥の鳴き声も、いつしか聞こえなくなる。

 代わりに、ギ……ギィ……という、あの嫌な軋み音が耳の奥で鳴り始めた。


 「……おい」


 思わず立ち止まる。


 「前より音、近くない?」


 「近いのう。霧の層が、こちらへ押し寄せてきておる」


 ルミナの声は落ち着いている。

 でも、その金の瞳は笑っていなかった。


 「――来るぞ」


 ルミナの言葉と同時に。


 霧が“尖った”。


 目の前の霧が、一本の線に収束していく。

 細く、長く、鋭く。


 (やば)


 次の瞬間。


 ズドンッ――!!


 視界を裂くように、霧の“槍”が突っ込んできた。


 反応する間もない速さだった。


 「ッ!」


 考えるより先に、身体が動く。


 弓を、縦に構えた。

 盾のように、胸の前に。


 ガキィン――!!


 木の弓に、金属同士がぶつかったような音が響いた。


 手の中で霊力が暴れる。

 弓身を走る蒼い線が、一瞬だけ眩しく明滅した。


 霧の槍は、弓の表面で弾ける。

 尖った先端がぐにゃりと歪み、そのまま弓の左右へ割れて流れ落ちた。


 「……っだあっぶね!!」


 腕がしびれている。

 あれ、普通の木だったら貫通してたな。


 槍状になっていた霧が、わらわらと再び形を変えていく。

 膨らみ、引き締まり、獣とも人影ともつかない“細長い影”に変わる。


 目がない。

 顔もない。

 ただ、槍のように尖った上半身だけが、妙にくっきりしていた。


 「新種かよ……」


 ぼそっと漏らすと、ルミナが短く告げた。


 「“霧槍”じゃな。霧獣の中でも、突撃特化の個体じゃ」


 どの世界にも、“槍特化型”っているんだな。


 「遠くから弓を構える猶予を、槍で潰す。

 弓兵を狙い撃ちにするには、ある意味理にかなった形じゃ」


 「解説してる場合か!!」


 霧槍が再び地面を蹴った。


 速い。


 霧狼とは違うベクトルの速さ。

 弾丸みたいな直線。

 わずかに霧を残しながら、一直線にこちらへ襲いかかる。


 (距離、ゼロじゃん)


 矢を生やす暇なんて、ない。


 俺は弓を半歩だけ前に出し、斜めに構え直す。


 「ふっ――!」


 ガッ!!


 霧槍の突き出した“先端”を、弓身で斜めに受け流す。

 盾のときと違い、真っ正面からは受けない。

 滑らせるように、霧槍の軌道を逸らす。


 霧が、弓の表面でじゅっと音を立てて弾けた。


 「なかなかじゃな」


 ルミナの声が後ろから飛んでくる。


 「受けて、流し、横腹を空けよ。そこが“線”の弱点じゃ」


 「弱点とか言われても――」


 霧槍が振り返る。

 槍状の上半身がくねり、横薙ぎの刺突に変わる。


 (こいつ、柔らかいな)


 矢を生やす時間は、やっぱりない。


 なら――殴るしかない。


 「うおらぁ!」


 弓を、横薙ぎに振り抜いた。


 バチィッ――!!


 弓身に纏っていた霊力が、一瞬で爆ぜる。

 霧槍の“腰のあたり”に直撃し、そのまま体ごと大きく吹き飛ばした。


 霧が大げさなほど散る。


 「……ふぅ……」


 振り抜いた勢いで一回転。

 踏ん張って体勢を立て直す。


 (やばい。今の、普通に気持ちよかった)


 野球のフルスイングより、バッティングセンターのあたり球より、

 もっと“ビシッ”と決まった感触。


 そして――


 「まだじゃぞ」


 ルミナの警告。


 霧槍が、散った霧を再び集めて形を取り戻していた。


 「再生すんのかよ、お前もか!!」


 「槍は一撃で折れねば意味がない。じゃが、折れば弱る」


 霧槍が、さっきよりわずかに揺らいで見える。


 動きは早いが、あの一撃で“中身”を削れた感覚はある。


 「……じゃ、削るか」


 俺は弓を持ち替え、改めて構えた。


 ♢


 近い。


 霧槍との距離は、常に数メートル。

 遠距離戦なんて夢のまた夢だ。


 霧槍は突っ込み、刺し、薙ぎ払う。

 直線と曲線、その切り替えがやたら早い。


 (遠距離で構えてる余裕、本当にないな)


 前までの戦い方――遠くから“線”を見て矢を通すスタイルは、完全に封じられている。


 なら、やることはひとつ。


 「近づくぞ……!」


 自分で言ってて嫌になる。


 弓兵って、こんなに前に出る職業だったっけ?


 でも、身体はもう迷っていなかった。


 霧槍が突っ込む。

 弓で受ける。

 半歩、斜め後ろにステップして軌道を外す。


 霧の爪が肩先を掠める。

 霊力の皮膜が、肩のあたりで一瞬だけ火花を散らした。


 (今の受け、ギリギリだったな)


 踏み込み。

 霧の密度を裂くように、一歩“前”へ出る。


 霧槍の懐に潜り込む。

 向こうは細長い分、近距離のやり取りは案外苦手だ。


 矢を生やす。

 今回は、短く、薄く。


 「っ――!」


 弦を、細かく弾く。


 シュッ、シュシュッ――!!


 中距離でやっていた連射を、そのままゼロ距離に持ち込むイメージ。


 霧槍の側面に、霊力の矢が“刺さる”というより、

 霧そのものに染み込んでいく。


 霧の内部で、何かが削れていく感覚。

 心臓を狙うというより、“血管そのもの”を潰しにいくイメージだ。


 霧槍が不自然にひしゃげる。

 突き出された上半身がぐらりと揺れた。


 (いける)


 弓身で、槍の根元を殴る。

 殴るというか、“線”の境目に合わせて叩く。


 バチンッ。


 霊力が炸裂し、霧槍の輪郭が破けた。


 槍の形が崩れ、霧が地面にばらばらと落ちていく。


 すかさず、半歩ステップ。

 回転の勢いをつける。


 「はっ!」


 回転の終点で、さらに短い霊力矢を一気にばら撒いた。


 シュババッ――!


 霧の“芯”に当たる部分が、細かく砕ける。


 霧槍が、悲鳴とも風音ともつかない音を立てて――


 すぅ、と消えた。


 完全に。


 残ったのは、ほんの少しの霧と、蒼い残光だけ。


 「……」


 「……」


 静寂。


 呼吸だけがやけに大きく聞こえる。


 俺は、驚きと……少しの興奮を抱えながら、弓を見下ろした。


 (……今の、遠距離でやってたときより手数出てたな)


 間違いなく、DPS(ダメージ効率)は上がっている。


 弓身で受けて。

 半歩ずらして。

 近づいて。

 殴って。

 連射して。

 またステップして。


 遠距離でじっくり狙うよりも、近距離でぐるぐる動いている方が、

 自分の“線読み”と“霊力操作”が噛み合っている気がした。


 「……ぬし」


 背後から、呆れたような、感心したような声。


 ルミナが小さく息を吐いた。


 「今のぬし……弓兵というより、“弓を持った前衛”では?」


 「誰が前衛やねん!!」


 全力でツッコむ。


 「遠距離から支援するのが弓兵って相場決まってるだろ!

 俺の中の弓兵像、どんどん壊れていってるんだけど!?」


 「知らん。少なくともこの世界では、今のぬしは前に立つ者の動きじゃ」


 ルミナは真面目な顔で続ける。


 「霧槍相手に、遠距離で悠長に構えておったら、

 ぬしは今頃串刺しじゃ。

 弓で受け、近づき、回り込み、連射で削る――

 その“ゼロ距離戦”こそ、今のぬしに合っておる」


 「ゼロ距離戦……」


 自分の足元を見る。


 霧槍がいた場所と、自分の立ち位置の距離は、ほとんどなかった。


 (遠距離職のはずなのに)


 笑えてくる。


 「ぬしの“線読み”は、近くても遠くても変わらん。

 むしろ近い方が、霧獣の揺らぎが濃く視えるじゃろ」


 「……まあ、正直、“当て感”は今の距離のほうが強い」


 半歩。

 一歩。

 その差が、霧の動きとぴったり重なる。


 遠距離のような余裕はないけど、その分、

 直感と身体がいい意味で追い詰められている感覚だ。


 「弓兵のくせに、距離を詰めたほうが強いってどうなの」


 ぼやくと、ルミナが肩をすくめる。


 「よいではないか。ぬしは“遠距離職”などという枠に収まりきれんだけじゃ。

 弓を持った前衛。あるいは、前衛寄りの弓兵。どちらでもよい」


 「どちらでもよくないわ!!」


 でも――心のどこかで、否定しきれない自分もいる。


 だって、今の戦い方。

 普通に楽しかったから。


 霧の中を駆け抜けて、槍を受けて、回転して、矢をばら撒いて。

 格ゲーかアクションゲームみたいな動きをしている自覚はある。


 (……完全に、俺の中の“弓道”死んだな)


 十字を切ってお悔やみするレベルだ。


 ♢


 「とはいえ」


 ルミナが言った。


 「今の戦い方は、霊力の消費も激しい。

 ぬし一人で何十戦もやれば、すぐに倒れるじゃろう」


 「いやもう既に、ちょっと足重くなってきてるしな」


 膝がじんわり笑っている。

 さっきの回転が地味に効いている。


 「ゼロ距離戦は、ここぞというときの切り札にしておけ。

 普段は中距離からの連射と組み合わせるのじゃ」


 「はいはい、理解してますよ教官」


 軽口を叩きながらも、頭の中では、

 “距離ごとの戦い方”を整理していた。


 遠距離:霊力矢で狙撃。線を読んで一点突破。

 中距離:軽い連射で牽制&削り。

 近距離:弓でガード→接近→殴り+連射で一気に崩す。


 (……三スタイル持ちは、さすがに欲張りか?)


 けど、この森はそれくらいしないと死ぬ場所だ。


 「ぬし」


 ルミナが少しだけ真剣な声で言った。


 「ここから先は、今の槍より厄介なのが増える。

 前に出るのもよいが――“引き際”だけは絶対に見誤るな」


 「……うん」


 さっきの一戦で、妙な高揚感が胸に残っていた。


 それを見透かしたように、釘を刺される。


 (調子に乗ると死ぬ)


 ゲームと違って、やり直しはきかない。


 「分かってる。……つもり」


 正直に言うと、ルミナはふっと笑った。


 「その慎重さを保ったままなら、“前衛弓兵”でも構わん」


 「だから前衛って言うなって」


 口では否定しながらも、足はしっかり前へ出ていた。


 霧は、さらに濃くなる。

 視界の白は、ほとんど“壁”。


 でも――


 弓を握る手は、さっきより軽かった。


 遠距離職の看板は、もうどこかに置いてきたのかもしれない。


 ゼロ距離で矢を生やし、殴り、走る。

 そんな“弓兵らしくない弓兵”として。


 南の森の奥へ踏み込む準備は、少しずつ整いつつあった。

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