コンビニクソ客バスターズ 〜深夜コンビニ、クソ客だけ討伐可〜

@pepolon

第1章 モンスター図鑑作成編

第1話 レシートゴブリン、深夜に現る

 ——深夜のコンビニは静かだ、って聞いてた。


 嘘だった。


「ピッ……ピッ……」


 スキャン音が、やたら響く。

 外は終電もとっくに終わって、駅前ロータリーの街灯だけが白く光っている。

 だけど店内は、まだちょっとした戦場の匂いがした。


「直人、手止まってる」


 レジ横から、店長代理の声が飛ぶ。


「す、すみません!」


 俺——上原直人、十九歳。

 サンライト駅前店、初めての深夜帯シフト中。


 俺の横で、如月レイ店長代理がいつものラフな笑顔を浮かべている。

 制服の袖を肘までまくって、首にはタオル。

 ぱっと見はチャラい兄ちゃんだけど、この店の実権は全部こいつが握ってて、この店の現場を回しているのは、如月 レイさんだ。


 お客さんから見れば「店長さん」で通っているけど、レイさん自身はよく「現場係」とか「設計担当」とか言っている。


「深夜はな、ぼーっとしてると“クソ客”に刺されるから」

「……出るんですか、本当に。そんなRPGのモンスターみたいに言わないでくださいよ」

「出る出る。レベル1からラスボスまで取り揃えだ」


 言いながら、レイさんはバックヤードに引っ込んだ。グラサンでも掛けてたら完全に裏社会系だけど、手に持ってるのはゴミ袋と在庫表だ。


「店長の“クソ客図鑑”はマジで分厚いですよ」


 反対側の棚で検品していた佐伯ひよりが、淡々と言う。


 ひよりも十九歳。俺と同い年で、司法書士を目指してる法オタクだ。黒髪を一つにまとめて、制服の名札の横に小さな天秤マークのバッジをつけている。


「レベル1は?」

「一番やさしいのは“ため息だけ大きい客”ですね。数分で去るから」

「それ、ただの疲れた人じゃない?」

「クソ客は声量と滞在時間で決まりますから」


 淡々とひどいことを言うな、この人。


 レジ裏のカウンターでは、もう一人のバイトがノートPCを開いている。

 明るめのブラウンの髪をゆるく結んだ女の子が、指先だけ高速で動かしていた。


「直人くん、在庫の数字、昨日分まで入力しておきましたよ〜」

「え、もう? ありがとう、美希さん」


 花村美希。十八歳、大学一年。

 学年としては俺の後輩。なのに、バイト歴も接客スキルも俺よりだいぶ上。


 高校の頃からコールセンターでクレーム電話を捌いてきたらしく、

 クソ客系の話になるときだけ、目の奥がちょっと冷たく光る。


「ここの店、優秀な後輩ばっかりで、俺だけレベル1な気がするんだけど」

「大丈夫ですよ〜。クソ客耐性は、被害経験がある人のほうが伸びます」


 美希が、さらっと言う。胸の奥が、一瞬だけざわっとした。


 ——別の店で、俺は一度やらかした。


 新人で、焦って、お釣りを間違えた。

 レシートを渡し忘れて、その客はレシートをもらいに戻ってきて——


 「土下座しろや!」


 床に額を擦りつけた感触は、今でも思い出せる。あのとき店長は、「お客様に迷惑かけたんだから」と笑っていた。


 だから俺はこの店に来るとき、決めてきたのだ。


 ——二度と、クソ客のために地面に頭はつけない。


「直人?」

「あ、ごめん。なんでもない」


 俺が首を振ったちょうどそのときだった。ドアのチャイムが鳴る。


 カラン、コロン。


 入ってきたのは、よくある“深夜のコンビニ客”のテンプレみたいな男だった。

 よれたスーツに、ゆるんだネクタイ。

 四十代くらい。片手にスマホ、もう片方の手はポケットに突っ込んでいる。


 ただ、一つだけ普通じゃない。目が、最初から怒っている。


(あ、これ、嫌な予感)


「い、いらっしゃいませー」


 俺はいつも以上に声を張った。


 男は無言のままタバコの棚を指さし、

 「これ」「それ」「違う、それ」と銘柄だけで変えていく。


「えっと、メビウスの——」

「そっちじゃねえって言ってんだろ!」


 レジ前で、怒鳴り声が弾けた。


 背中の汗が、一気に冷たくなる。


「申し訳ございません、こちらでよろしいでしょうか」


 何とか絞り出すと、男はふんと鼻を鳴らした。


「最初からそう言えよな、ったく。新人か?」

「はい、本日深夜は初めてでして……」

「はぁ? 初めて? 深夜舐めてんのか、この店」


 舐めてるのはそっちだろと思ったが、もちろん口には出さない。


 指定された銘柄をカウンターに置いたところで、男はついでのように缶コーヒーを一本つかんで隣に並べた。


「お会計、八百三十円になります」


 タバコと缶コーヒー、合わせてその金額だ。


 会計だけはミスるまいと、心の中で何度も金額を復唱する。


 男はポケットから一枚の千円札を出して、投げるようにカウンターに置いた。


「千円お預かりします。お釣り百七十円と、こちら商品になります」

「レシートどうされますか?」

「いらねえよ、そんな紙」


 そう言い捨てると、男はレシートを弾くようにして受け取り口に残し、

 タバコの箱と缶コーヒーをぞんざいに掴んで出て行った。


 ——そこまでなら、よくある嫌な客で終わっていた。


 問題は、その十五分後だ。再び、チャイムが鳴る。同じ男が、今度はドアを蹴るような勢いで入ってきた。


「おい、さっきの兄ちゃん!」


 真っ直ぐ俺のほうに歩いてきて、カウンターをドンと叩く。


「……はい、どうされましたか」


 声が、ちょっとだけ上ずった。


「さっきの会計、お釣り足りねぇだろ!」


 ——来た。


 胸の奥で、過去の土下座シーンがフラッシュバックする。膝が勝手に震えそうになるのを、レジ台の下で拳を握って止める。


「お釣りは確か、百七十円を——」

「千円出したのに、これだけしか返ってきてねぇんだよ!」


 男はポケットから、小銭をガシャっとカウンターにぶちまけた。


 五十円玉が二枚と、十円玉が二枚。百二十円。


「な? おかしいだろ?」


 男の口角が、わずかに上がっている。

 こちらの動揺を、楽しんでいるみたいに。


「……レシートは、お持ちでしょうか?」

「捨てたっつってんだろ! お前がいらねえか聞いたんだろが!」


 レシート受けの透明な箱には、白い紙が一枚、くるっと丸まって入っている。


 俺は一瞬、それを見た。

 たぶん、さっきの。


「ねぇのに決まってんだろ! 客の言うこと信じられねえのか!」


 どす黒い怒鳴り声が、店内に響いた。


 棚の向こうで検品していたひよりが、そっと顔を上げる。カウンターの裏側では、美希がノートPCから目を離し、状況を一瞬で読み取ったようだった。


「直人くん」


 美希が、小声で俺を呼ぶ。


「——今は、“すぐ謝らない”ほうがいいですよ」


 その声で、頭の中の土下座シーンが一瞬だけ止まった。


「申し訳ありません。レジの履歴を確認させていただきますので、少々お時間をいただけますか」

「はぁ!? 俺を疑ってんのか!」

「確認は、全てのお客様に行っております」


 ひよりが、さりげなくカウンターに近づきながら言った。

 眼鏡の奥の目が、静かに男を見つめている。


「レジの履歴、見てきます」


 俺がバックヤードに行こうとしたそのとき、

 奥のカーテンが、すっとめくれた。


「履歴なら、もう出してる」


 レイ店長が、タブレットを片手に出てきた。いつものへらっとした笑顔は、半分くらいだ。


「さっきの会計、二十三時四十二分。千円お預かりで、お釣り百七十円。——ちゃんとレシートも発行済みだな」

「そんなもん信用できるかよ!」


 男はレイさんからタブレットを奪おうとするが、レイさんは一歩、すっと下がる。


「それと、防犯カメラも回ってます」


 レイさんが顎をしゃくる。


 男が振り返ると、天井の黒いドームカメラが、こちらを見下ろしていた。


 レイさんは、ゆっくりとした口調で続ける。


「今から映像とレジログ、こちらで一緒に確認します? そのうえで、お釣りが不足していると判断されたなら、警察の方にも来ていただいて、話を聞いてもらいましょう」


「は?」


「どちらも、お客様の“言葉”と、こちらの“記録”なので。客観的に見てもらったほうが、早いですから」


 一瞬、空気が止まった。


 男の目が、カメラとレイさんと俺の顔を、行ったり来たりする。


「な、何だよ、脅しか?」


 男の声が、さっきより少し小さくなっていた。ひよりが、その隙を逃さず、さらっと言葉を重ねる。


「もし本当に、こちらがお釣りをごまかしていたなら、店側の不正として指導・処分の対象になります。逆に、お釣りを多く要求されていた場合は——」


 そこで、わざと一拍置く。


「それはそれで、別の話になりますので」

「べ、別って、なんだよ」

「まあまあ」


 美希が、一歩前に出た。

 さっきまでの「後輩ムーブ」の笑顔のまま、声だけが丁寧になる。


「お客様の仰っていることが正しいかどうか、きちんと記録を残しながら確認したいだけなんです。さっきのお会計のときの“お預かり金額”も、防犯カメラに映っていますから」


 ニコッ。


 笑顔のまま、ノートPCに指を滑らせる。


「今のお話も、一応メモさせていただきますね。“レシート無しでお釣り不足を主張”っと……」


 カタカタカタ。


 その打鍵音が、やけに大きく聞こえた。


「……」


 男は、唇を噛んだ。


 俺はレジ台の下で、まだ震えている膝を押さえつけながら、ただその様子を見ていた。


 ——これが、この店の戦い方だ。


 土下座でも、愛想笑いでもなく、“記録”と“ルール”を前に出して、相手の選択肢を並べてやる。


「ま、まあいいよ!」


 男は突然声を上げた。


「そこまで言うなら、いいよ! 百七十円で! 今回は見逃してやる!」

「そうですか。念のため、さっきの状況は記録だけしておきますね」


 美希が、にこやかに頭を下げる。


 男は舌打ちしながら、小銭をポケットにねじ込み、乱暴にドアを開けて出て行った。


 チャイムが鳴る。


 カラン、コロン。


 その音が、さっきよりずっと軽く聞こえた。しばらくして、レジ前の空気がゆっくりと戻ってくる。


「……今の、よかったんですか」


 俺がようやく口を開くと、レイさんは肩をすくめた。


「よかったんだよ。“やってないのに、やったと決めつけられる”のは、誰の仕事にも許されない」


 タブレットをカウンターに置きながら、続ける。


「土下座して金出したら、ああいうタイプの“勝ち体験”が一個増える。そうすると、次の店でも、次の新人でも、同じことやるから」


「……」


「だから、この店は“記録で殴る”。殴らない代わりに、全部ログに残す。それが、“クソ客バスターズ”のやり方」


「クソ客……バスターズ?」


 聞き慣れない単語に、思わずオウム返しする。ひよりが、さっきのPC画面をくるっとこちらに回した。


 そこには、見慣れないアプリの画面が開いていた。


 ——【クソ客カルテ No.001】


 種別:レシートゴブリン

 特徴:レシート拒否→後からお釣り不足主張

 時間帯:23:00〜1:00に出現傾向

 対応:レジログ+防犯カメラで確認/警察相談候補



「さっきの人、初めてじゃないんですよ」


 ひよりが、事務的な口調で言う。


「前にも別の時間帯で同じことやってるので、“レシートゴブリン”として登録済みです」

「名前ひどくない?」

「クソ客バスターズのモンスター図鑑ですから」


 うっすら誇らしげに言うな。


「これ、全部……?」


 画面をスクロールすると、下にはまだ空欄が続いている。


 No.002:____________

 No.003:____________


「直人くんは、今日からここ、担当ですから」


 美希が俺の背中をぽんと叩く。


「“クソ客と戦った記録”を、ここに残していくんですよ」

「戦うって……俺、まだレベル1なんだけど」

「大丈夫。レベル上げは、これからです」


 美希が、いたずらっぽく笑った。


「さっきの先輩、膝、ちゃんと震え止めてましたし」

「見えてたの!?」

「防犯カメラに、ばっちり」


 やめてくれ。


 レイさんが、タオルで首筋の汗を拭きながら言う。


「直人」

「はい」

「この店のルール、最後に一個だけ教えとく」


 レイさんは、指を一本立てた。


「——“殴りたくなったら、その分だけログ増やせ”。気持ちのぶんだけ記録を残せばいい。そうすりゃ、そのうち“クソ客”のほうが勝手に自滅する」

「……そんなもんですかね」

「そういうもんだよ。人間の記憶は曖昧だけど、ログと映像は嘘つかねぇから」


 その言葉に、胸のどこかが少しだけ軽くなった気がした。


 さっきの土下座のフラッシュバックが、

 ログの文字に上書きされていくような感覚。


「——はい。俺、ログ増やします」

「よろしい」


 レイさんが、満足げに笑う。ひよりが、クソ客カルテの画面に追記する。


 担当:上原直人(初戦)/結果:撃退


 美希が、ぼそっと俺にだけ聞こえる声でささやいた。


「おめでとうございます、直人先輩」

「何が」

「これで先輩も、正式にクソ客バスターズの一員ですよ」


 チャイムが、また鳴る。


 カラン、コロン。


 今度は、ちらっと覗いた影が、値引きシールの棚に一直線に向かった。


 ひよりが、小さくため息をつく。


「……次は、“値引きハイエナ”かもしれませんね」

「名前のセンス、どうにかならない?」

「現場の心の健康のためです」


 そっと笑い合いながら、俺たちはそれぞれの持ち場に戻った。


 深夜のコンビニは、静かじゃない。

 でも——


 さっきまでとは、少しだけ違って見えた。

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