第20話 今週から始まるテストに向けて

 夏の気配をほのかに孕んだ朝の風が、校舎の影を長く伸ばしながら通学路を撫でていく。


 大野孝太おおの/こうたは右に妹のりんを、左には数日前から同居を始めた宮崎咲那みやざき/さなを連れて歩いていた。

 三人の影が地面に重なり、離れ、また重なり合う。

 妹の凛は孝太の方へ視線を向けた。


「ねえ、お兄ちゃん、私が昨日スーパーで買ってきたハンバーグ弁当どうだった?」


 妹は肘で兄である孝太を小突くと、咲那がくすりと笑う。


「美味しかったよ」

「じゃあ、昨日、咲那さんと一緒に行ったファミレスで食べたハンバーグとどっちが良かった?」

「それ聞くのか?」

「うん」


 凛は知りたがっている表情を見せていた。


「まあ、正直なところ、ファミレスで食べたハンバーグの方がよかったかもな」

「あー、そっか。やっぱり、ファミレスかぁ……だよね、ファミレスだと作り立てが出てくるもんね」

「まあ、ファミレスの方が本格的だからさ。そうだ、時間がある時に、俺が咲那と一緒に行ったファミレスに連れて行こうか?」

「いいの! 行きたい!」


 妹は目を輝かせていた。


「咲那、昨日のファミレスのハンバーグ美味しかったよな」

「うん。懐かしい味わいだったし、私もまた行きたいかも」

「じゃあ、後で時間がある時に三人で行こうか」


 三人は今後の約束を立てながら学校へ向かって進んで行くのだった。




 通学路を歩いていると学校の校門が見えてきて、三人は校舎まで向かうと昇降口で靴を履き替える。


 凛がまたお昼休みねと軽やかに手を振って一学年の教室がある場所へ駆けていく。

 残された二人は、自然と肩が触れそうな距離まで近づきながら、いつも教室へと向かって歩き出すのだった。


 廊下に響く上履きの音が、今日は妙に胸に響く。

 咲那の制服の袖が時折、孝太の腕をかすめるたびに、彼女の肩が小さく震えた。

 転校してまだ数日間程。しかし、彼女は学校に馴染めている感じだ。

 そこに関しては、孝太も心配はなかった。




 二人は教室前に辿り着き、ドアを開ける。すると、期末テスト前の重苦しい空気が二人を迎える。

 とあるクラスメイトの机の上にはプリントの山があった。

 クラスメイトたちは眉間に皺を寄せ、ため息を連発していたのだ。


 孝太と咲那は、その周辺の状態を眺めながら各々の席へ向かい、机の上に鞄を置く。そして、孝太は椅子を逆向きにしてすぐに振り返る。


「テスト期間って今日からなの?」


 咲那が質問してきた。


「違う違う。今週の金曜日からだよ」

「金曜日からね」


 咲那は小さく頷いて腰を下ろす。

 二人の席は前後でちょうど隣同士だった。


「咲那、テスト範囲って把握してる?」


 咲那は少し困ったように首を横に振った。

 彼女の黒髪に朝の光が透けて、淡い蜂蜜色に見える。


「……ほとんど聞いてないかも」

「じゃあ、俺が今から全部教えてあげるよ」

「ほんと?」


 その一言に、咲那の瞳がぱっと明るくなった。


「助かる!」


 細い指を胸の前でぎゅっと絡めて、頬を染める。その仕草があまりにも可愛くて、孝太は息を呑んだ。


 孝太は早速説明を始めた。


「今回の期末は新学期二回目だから、そんなに範囲広くないよ。まあ科目は九つあるけど」

「九つ⁉ 多いね……」

「うちの高校さ、見た目より進学校寄りなんだよ。偏差値は五十五くらいなんだけどね」

「へえ、そうなんだ」


 咲那は素直に目を丸くする。


「そういえば、咲那って転入試験を受けたんでしょ? どうだった?」

「普通にできたよ。全教科七十以上は取れてたはず」

「マジか。俺より頭良さそうじゃん」

「そんなことないってばー」


 咲那が頬を膨らませる。

 その様子が妙に可愛くて、孝太はつい笑ってしまった。

 周囲から“静かにしろよ”とか“朝からイチャイチャすんな”という視線が刺さる。

 二人は慌てて声をひそめた。


「……じゃあ、さっそく範囲教えるね。まず国語から。現代文Aが八割で、古文は“伊勢物語”の芭蕉の句までと、“徒然草”の兼好法師のところが出るって先生が言ってた。漢文は返り点の基本だけだから、復習しとけば大丈夫だと思う」


 咲那は慌てて通学用のバッグから取り出したノートを開き、ペンを走らせる。


「数学は二次関数のグラフと最大最小、放物線の頂点の求め方まで。夏休み前の総復習だから、去年の範囲も少し混ざるけど、基本問題が多いはず」

「二次関数ね……私、ちょっと苦手なんだよね」

「大丈夫。後で一緒に問題解こう。そこらへんは得意だから」


 咲那が顔を上げて、にこっと笑う。その笑顔に孝太の胸がどきりと鳴った。


「えっと、他は……英語は長文が二題と英作文。テーマは“将来の夢”と“環境問題”だって。文法は関係代名詞と比較級の復習が中心だね」

「英語なら……私、ちょっとだけ得意かも」

「え、そうなの? 凄いね!」

「私、小学生の頃、二年間くらいだけど英会話に通ってたから、リスニングとか長文読むのは好きなの」


 その瞬間、孝太の中で何かが弾けた。


「……じゃあ、今度俺にも教えてくれない? 俺、リスニングとか壊滅的で」

「うん、いいよ! 後でイヤホン分けっこして練習でもする?」


 イヤホン分けっこ――その言葉だけで、耳元で咲那の吐息を感じる妄想が頭を駆け巡り、孝太は慌てて咳払いした。


「えっ、えっと……さ、理科は物理分野で、力のつり合いと圧力とか、社会は日本史が明治維新までと、地理の気候区分。公民は三権分立の基本」


 孝太は少し焦って早口になる。


 咲那は、そんな孝太の姿をチラチラと見ながら一生懸命メモを取り始める。

 そのたびに目が合って、孝太は少し恥じらいを持って視線を逸らす。

 でもすぐにまた目が合って、咲那はくすくすと笑う。


 孝太は頬を紅潮させながらも、咲那に向かって笑みを浮かべた。


「えっと……体育はダンスの実技で、内容に関しては斉藤さいとう先生が言っていたダンスの範囲だから」

「ダンスは得意だから問題ないかも」

「だよね。凄く上手だったからね」


 咲那のダンスはプロ並みだった。

 ステップの踏み方も優秀で、学校内でも上位を狙えるほどだ。


「話を戻すけど、あとは情報と音楽、家庭科。情報のテスト範囲はエクセルとワードの操作で、音楽と家庭科は筆記」

「パソコンは……家で練習すればなんとかなるかも。音楽と家庭科は筆記ね」


 咲那はシャーペンを走らせながら、こくこくと頷く。


「まあ、大体こんな感じ」


 説明が終わり、孝太は息をはく。

 咲那はノートを胸に抱きしめて、ふっと息を漏らした。


「すごくわかりやすかったし、ありがと、孝太」


 名前を呼ばれて、孝太は少し照れた。

 その時、ドアが開いて担任の女性教師である橋本はしもと先生が入ってきたのである。先生のポニーテールが朝の光に揺れていた。


「おはようございます。今から朝のホームルームを始めます。その前に、出席を取りますね」


 先生の声で、勉強していた手を止め、教室の空気がふっと和らいだ。

 孝太は担任教師の方へ体の正面を向けて椅子に座り直す。

 そんな中、背後からは、今日のお昼は一緒にご飯を食べようねと、咲那から囁かれたのであった。

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