第9話 二人だけの約束事
夜十時半をすぎた頃、
一時間前にはもう風呂を済ませ、パジャマに袖を通した孝太は、ベッドに寝転がりながら漫画を広げ読んでいた。
今読んでいる漫画は、今日の放課後、街中にある商業施設の書店で宮崎咲那に熱く語った作品だ。
現代が舞台で、主人公とヒロインが悪魔と契約し、次々と現れる悪魔を倒していくバトルもの。
去年アニメ化されてから、ネットを中心に世間的に取り上げられるほど話題になった。
単純に面白い。後で咲那に貸してやろうと思っていた漫画である。
孝太は漫画を読んで自分の世界観に浸っていたのだ。
そんな静寂を破ったのは、ドアを軽く叩く三回の音。
「孝太、まだ起きてる? 入っていい?」
間違いなく
孝太は慌てて上半身を起こし、ベッドの端に腰掛けた。
喉を鳴らして、どうぞと答えると、ドアがそっと開き、黒髪を肩に垂らした女の子が顔を覗かせた。
水色のパジャマを身に纏った咲那の姿が、部屋の明かりに柔らかく映える。
咲那は躊躇いもなく近づいてきて、孝太のすぐ隣に腰を下ろしたのだ。
マットレスが小さく沈み、二人の肩が自然と触れ合う。
ふわりと甘い香りが漂ってきた。
入浴後のシャンプーの匂いだ。
孝太の鼓動が一瞬、跳ねた。
「もしかして、お風呂から上がったばかり?」
「うん。
「へ、へえ……そうなんだ」
孝太の中で変な想像が頭をよぎり、慌てて視線を逸らした。
咲那はくすりと笑って、肘で軽く突いてくる。
「ねえ、今、なんかエッチなこと考えてたでしょ?」
「ち、違うって! ただ……凛と占いの話でもしてたのかなって思っただけで……」
「占いの話をしていた事は本当だけどね」
咲那はニヤニヤしながらも、そういう事をにしておくねと、孝太の耳元で呟く。
「凛ちゃんの占いって凄いね」
咲那の瞳が楽しそうに細まる。
「私も占い好きだけど、あんなに本格的なの初めて見たよ。タロット以外の占いの知識も豊富で。凛ちゃんっていつから、あんなに占いにハマったの?」
「確か、凛は中学入ってから本格的にハマったんだよね。最初はテレビの星占い見て喜んでるだけだったんだけどさ、今じゃタロットカードとか、占い本とか色々と揃えてるからな」
「へえ~」
感心したように相槌を打ちながら、咲那は少し身を乗り出した。
「でね、凛ちゃんの部屋でも、タロット意外と方法で占ってもらったんだけどね。あなたは人に見られる仕事がすごく向いてるって言われて。モデルとかが、ぴったりだって」
咲那の頬がぽっと赤くなる。照れくさそうに、でも嬉しそうに、はにかんでいた。
「私、自分じゃ全然そんなタイプじゃないと思ってたのに、言われてみれば確かに視線集めるの慣れてるかもって思えてきて……なんか新鮮だったんだよね~」
「いいんじゃないかな。似合うと思うよ、咲那なら」
「で、でも本格的にモデルとかはね……その前に、凛ちゃんが、まずはコスプレから始めてみたらって勧めてきて」
その一言で、孝太の手がぴたりと止まった。
「……コスプレ?」
「うん」
咲那は頷く。
孝太は咄嗟に手にしていた漫画の単行本へと視線を移す。
「じゃあ、これとかどうかな? 今日さ、街中の本屋で紹介したばっかりの漫画なんだけど」
孝太は手にしていた漫画を彼女に見せる。
「あ、それって本屋で孝太が熱弁してた作品?」
独特的な漫画の表紙が、咲那の視線を釘付けにする。
表紙には、悪魔と契約した主人公とヒロインのイラストが描かれていた。
去年アニメ化され、それから爆発的に人気が出た作品だ。
「ちょっと読ませて」
「いいよ。本当に面白いから、読んで損はないと思うよ」
咲那は漫画を受け取ると、ぱらぱらとページをめくり始めた。
孝太も自然と横から覗き込む。
肩が触れて、距離が近い。息がかかりそうなほどだ。
孝太と咲那は二人きりの時間を過ごす。
「……この子、めっちゃ可愛いかも」
咲那が指差したのは、メインヒロインではなく、もう一人の人気キャラだった。
普段はおどおどして見えるのに、悪魔を前にすると人格が一変する狂戦士タイプ。
アニメの作画補正で、さらに破壊的な可愛さと魅力を手に入れた子だ。
「私……この子の衣装とか着てみたいな」
孝太は思わず横顔を見た。
咲那の長い睫毛が震えており、真剣な眼差しをしている。
「その子でいいの? じゃあ探してみる?」
孝太はスマホを取り出し、通販サイトを開く。
画面を咲那に見せるように傾けると、彼女は身を乗り出して肩越しに覗き込んできた。
吐息が耳に触れて、孝太は内心どぎまぎする。
「うわ、ほんとに売ってる……でも一万五千円かぁ。高校生には厳しいね」
コスプレ専門店サイトの通販には歴代の人気アニメキャラの衣装がズラリと表示されている。
一番安いので、六千円、一番高いのは、三万円近くもするのだ。
「自作って手もあるけど」
「無理無理! 私、裁縫とか壊滅的だから」
首を激しく振って笑う咲那。
それから少し考えて、彼女はふっと息をはいた。
「……ねえ、孝太」
小さな、でも確かに届く声。
「もし、私がそのコスプレしたら……写真、撮ってくれる?」
顔を上げた咲那の瞳が、すぐそこにあった。
距離が近すぎて、睫毛一本一本まで見える。
キスでもしまいそうな距離感に、孝太は息を呑んだ。
「と、撮るよ。当然だよ」
「ほんと?」
二人の頬がますます赤く染まる。
「最初は誰にも見せたくないから……孝太が、最初のお客さんになってね。約束だよ」
差し出された小指に、孝太は迷わず自分の小指を絡めた。
熱い。指先が、すごく熱い。
その瞬間、遠い記憶がふっと蘇った。
小学生になったばかりの頃、学校からの帰り道、公園のブランコに隣同士で座り、咲那とずっとこれからも一緒にいようねと誓い、約束をした日のことを――
あの頃の笑顔と、今の笑顔が重なって、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
夜はまだ深く、二人の小さな約束だけが、静かに灯り始めていたのだった。
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