恋人から二股されていた俺が、婚約者だと名乗る美少女と同居する事になった話

譲羽唯月

第1話 二股されていた俺、今日から婚約者と同居する事に⁉

 放課後のホームルームを終えた教室は、クラスメイトらの声で騒がしかった。

 窓から差し込む日差しが、机の影を長く伸ばしている。


 大野孝太おおの/こうたは席に座ったまま、帰宅準備をせずに、ぼんやりと外を眺めていた。

 昨日の日曜日、街中で見たあの光景が頭から離れなかったからだ。


 クラスメイトで、今も付き合っているはずの山本音羽やまもと/おとは。彼女が別の男と親しげに話していた姿。

 それが昨日から気になって仕方ないのに、自分から切り出す勇気を出せず、気づけば大半のクラスメイトが教室を後にしている。


 このまま悶々としているのは馬鹿らしい。

 孝太は意を決して立ち上がり、音羽の席へ向かった。


「ちょっと話したいことがあるんだけど」


 音羽はスマホをいじっていた手を止めて、席に座ったまま軽く顔を上げた。


「いいよ。どこで?」


 素っ気ない返事だが、拒否はされなかった。

 それだけでも少し安心する。


 孝太は彼女を連れて、校舎の屋上へと足を運んだ。

 屋上のフェンス越しに、街並みが広がっている。

 風が少し強くて、音羽の茶色いミディアムヘアが靡く。


「で、何?」


 音羽が首を傾げる。その仕草が可愛いと思う自分に、苛立つ。


「昨日さ、街で見たんだけど……音羽、誰かと一緒にいたよね?」


 孝太の質問に、音羽の表情が一瞬、凍りついた。


「……それで?」

「なんか、仲良さそうに話していたからさ。その人とはどういう関係なのかなって」


 孝太は言葉を選びながら聞く。

 その間、心臓の鼓動が騒がしくなる。

 音羽は小さくため息をついた。


「まあ、もう隠すのも面倒だし。言っとくけど、あれが本命」

「は?」

「今日で終わり。ごめんね」


 唐突すぎる言葉に、孝太は瞬きを忘れた。

 彼女は勝手に話を進めていく。


「……え⁉ 待て、どういうこと? よくわからないんだけど」


 孝太の問いかけに、音羽は肩をすくめる。

 彼女はまるでゴミを捨てるような、冷たい視線を孝太に向けた。


「バレなきゃアンタとの関係を続けてたけど。見られちゃったわけだし、もうアンタとの関係は終わりってこと」

「俺、音羽の練習台だったってこと?」


 孝太は信じられず、声が震える。

 音羽は平然と頷いた。


「私さ、知り合いに勧められて、アンタと試しに付き合ってみただけ。色々と便利だったし」


 音羽からしたら、単なる都合の良い存在。

 本命と良好に付き合う為の踏み台的役割を担っていたのだ。


 彼女から突き放された事で、二ヶ月分の思い出が砂のように崩れていく。


 絶望感が、孝太の心を蝕んでいくのだ。


「じゃあね。アンタも頑張ってね」


 音羽はくるりと背を向け、スカートが翻る。

 軽やかな足取りで階段を降りていく。

 その背中が、遠くなっていく。

 孝太はただ立ち尽くすしかなかった。




 ――下校途中。


「お兄ちゃん、顔死んでるよ、大丈夫?」


 学校近くの通学路。

 孝太の隣を歩く妹のりんが、小首を傾げた。

 ポニーテールが歩く度に揺れる。


 凛は今年から、孝太と同じ高校に通う事になった一年生である。

 入学してから二ヶ月経過しており、学校生活には慣れたようだ。


「そう見えるか?」

「うん。何かあった? 相談にのるよ」


 孝太は苦笑いしながら、ぽつぽつと話し始めた。


「フラれたんだ。二ヶ月付き合ってた子に。しかも二股されてた」

「えッ⁉ ほんとに⁉ うわぁ……」


 凛の声が裏返る。

 道を歩いていると、正面の信号機の色が赤に変わり、二人は立ち止まった。


 その時、信号待ちの交差点で――


「あはは、ほんとやばい!」

「だろ。それ、俺のクラスでも話題になっててさ」


 視線を向けると、音羽が新しい男と腕を組んでいた。

 つい最近まで自分の隣にいたはずの場所に、別の男がいる。

 楽しそうな会話が、風に乗って届いてくるのだ。


「私、大和くんのクラスになりたかったな。今のクラス、パッとしなくてさ」

「そうか? でも、まあ、放課後はどの道一緒になれるんだしいいじゃんか」

「それもそうね」


 音羽は笑顔で返答していた。


「そう言えば、あいつとの関係はどうなったんだ?」

「あいつ? あれね。さっきさ、あいつの方から私に話しかけてきて、面倒くさくなったから振ったの」

「本当にそれでよかったのか?」

「まあ、後々面倒になるのも嫌だし、さっさと振っておこうと思って」

「お前もなかなか酷い奴だな」

「いいじゃん。これで、大和くんとは何の問題もなく過ごせるね」

「そうだな。じゃあ、今日はどこに行く?」

「じゃ、カラオケがいいかな」


 聞き覚えのある笑い声。

 音羽らは街中に向かう途中らしく、孝太と凛に背を向ける形で楽しく話している。


「あれがそうなんだ」

「うわぁ……ひど」


 凛も固まっていた。


「俺はただの練習相手だったらしい」

「最初は普通だったのにね」

「人は見かけによらないってやつだな」


 孝太は大きく息をはく。

 肩の力が抜けて、足取りが重くなる。


「でも、お兄ちゃんは絶対次があるよ」

「なんで?」


 青信号になり、自宅方面に繋がっている横断歩道を渡り切ったところで、凛がニヤリと笑った。

 妹は手にしたタロットカードを見せてくる。

 運命の輪のカードが、キラキラと輝いている。


「これ、新しい出会いのサイン」

「前回の占いさ、外れてたじゃん」

「ごめんね。ここ最近、毎日勉強してるから! 今度こそ当たるって! 多分だけど」


 凛の笑顔に、心が少し軽くなった。

 妹のこういうところが救いだ。


「ありがと。聞いてくれて」


 二人は並んで歩き、三十分ほどかけて自宅へと向かった。




 自宅前に到着し、孝太が玄関のドアを開けると、空気感が違う事に気づいた。

 両親は仕事でいないはずだが、人の気配がする。

 リビングのドアが、ゆっくりと開いた。


「孝太、おかえり!」


 飛び出してきたのは、見知らぬ美少女。長い黒髪がふわりと舞い、甘い香りが漂う。

 次の瞬間、柔らかい感触が――


「ま、待って! 君は誰⁉」


 突然のハグに思考が停止する。

 制服越しに伝わる、確かな胸の存在感。


 で、でかい……って、そういう問題じゃ。


「咲那だよ。昔、婚約してたじゃん」

「婚約⁉ 俺、知らないんだけど」


 混乱する横で、凛が得意げに笑う。


「ほら、私の占い当たったでしょ?」


 急展開すぎるが、確かに新しい出会いはあった。


「ちょっと離れてくれ」


 孝太は言う。

 咲那は名残惜しそうに離れ、にこりと微笑んだ。

 その笑顔は、奇跡みたいに輝いていた。


「私のこと、忘れちゃった? 私、宮崎咲那みやざき/さな。これからよろしくね、孝太」


 突然始まった出会いに、今日からどうなるんだろうかと、孝太は頭を抱えるしかなかったのだ。

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