秘密はいつもティーカップの向こう側 ~楽しい半分こ~

天月りん

楽しい半分こ

 美貌の紳士、食文化研究家にしてフードライターの西園寺亜嵐は、今、大いに悩んでいる。


「……どうしてだ」


 真っ赤なソースと黄金色の衣が、彼の脳裏で死闘を繰り広げる。

 そこへ、のんびりとした声が響いた。


「お客さーん、決まりましたぁ?」

「……いや、もうちょっと待ってくれ」


 彼が立ち尽くしているのは、丘の上にある大学近くの弁当屋。

 ひょんなことから親しくなった大学生、藤宮湊に教えてもらった店だ。


「安くてボリュームがあって美味しいんですよ!特におすすめなのが、日替わり弁当です」


 湊は言っていた――日替わりは店主の気まぐれメニューだから、同じおかずが二度出ることはないと。

 そして今日の店主の気分は……。


(なぜ今日に限って、日替わりが二種類もあるんだ!?)


 サンプルを前にかれこれ十五分――亜嵐は悩み尽くし、店主は諦めて腕を組み、同時にため息を吐いた。


 ***


「いやぁ、お客さんごめんね!思い付いたはいいけど、どっちかに決められなくてさ。つい二種類作っちゃったんだよ」


 はっはっはと笑う店主を、亜嵐はジト目で睨んだ。


 日替わりがいつも通り一種類であれば、こんなことにはならなかったのに……。

 せめてどちらかが亜嵐の食指の範囲外であれば、ことは簡単だった。

 しかし目の前の弁当ときたら――。


 片や、鮮やかなトマトソースがかかったチキンピカタ。もう一方は、分厚い衣に照りが食欲をそそる排骨。

 並び立つ両雄は、どちらも甲乙つけがたい。


(一期一会の日替わり弁当なのに……選べない!)


 頭を抱える亜嵐に、店主は呆れ顔で提案した。


「お客さん、いっそ両方買っていったら?まだ若いんだし、二個くらい食べられるよ」

「……明後日が健康診断でなければ、そうしていたのだがな……」

「あれま。そりゃあ間が悪いねぇ」


 そうこうしているうちに、時計の針は大学の昼休憩に近付いていく。

 混み合う前に済ませようと早めに来たのに、結局この有様だ。


 亜嵐は頭を振り、煩悩という名の迷いを振り払った。


「……よし、決めた!店主、こちらの――」


 そう口を開いた瞬間、背後から聞き覚えのある声が掛けられた。


「あれ?西園寺さんじゃないですか」

「み、湊!?」


 慌てて振り返ると、件の藤宮湊その人が、春の陽だまりのような笑みを浮かべて立っていた。


「どうして……?」

「二限目が休講になったんです。それで自習してたんですけど……天気もいいし、どうせなら昼は外で食べようと思って」


 亜嵐はまじまじと湊を観察した。

 学友たちと食べる弁当を、湊が代表して買いに来た可能性は――なさそうだ。

 黒いバッグから取り出した折り畳み式の袋は小さめで、どう見ても弁当をいくつも入れることはできない。


(それならば……)


 亜嵐はコホンと咳払いを一つすると、緊張を隠して目の前の青年に尋ねた。


「あー……湊。確認だが、昼食は一人だろうか?」

「え?はい、そうですけど」

「それならば――私が誘ったら、君はそれを受けてくれるだろうか?」

「えっ?」


 湊は目を丸くして驚いたが、次の瞬間満面の笑みを浮かべてコクコクと頷いた。


「受けます!ぜひ西園寺さんと一緒に食べたいです!」

「よし、決まりだ!――店主、日替わり弁当を一つずつ頼む!」

「はいよ!毎度ありがとうございまーす!」


 三者三様、喜びの声が店内を満たす。

 こうして亜嵐はようやく、脳内のメニュー対決から解放されたのだった。


 ***


 文系キャンパスにある管理棟の脇。あまり人の来ない物陰のベンチに、二人は陣取った。

 亜嵐の容貌はどうしても目立つし、日向で食べるには暑い季節だからだ。


 亜嵐が弁当を袋から取り出すと、湊は目を輝かせた。


「うわぁ、今日は日替わりが二種類だったんですね!」

「そうなのだ。おかげで随分悩む羽目になった」


 二種類の弁当を中央に置き、両脇に腰かける。

 いただきますと言って行儀よく手を合わせ、軽く頭を下げる湊の様子に、亜嵐の唇は弧を描いた。

 けれどすぐに表情を引き締めると、言いにくそうに口を開いた。


「……それでだな、湊。大変申し訳ないのだが……」

「はい?」

「その……この弁当だが……」

「……はい」


 歯切れの悪い亜嵐の様子に、湊は眉を寄せた。

 何か無茶を言われるのだろうか?そう思った矢先――。


「君さえ良ければ、シェアをしてもらえないだろうか!?」

「……は?」


 湊はキョトンと目を丸くした。

 それを見た亜嵐は顔を真っ赤にして、さっと目を逸らした。


「嫌ならいいんだ!君が食べたいほうを取ってくれて構わない」

「そんな、嫌だなんて……」

「いいんだ!さあ、どちらでも好きな方を……」


 顔を見ることもせず捲し立てる亜嵐の態度に、湊はぷぅと頬を膨らませた。


「そんなもったいないこと、できません!」

「そうか、もったいない――え?もったいない?」


 意外な返答に亜嵐が顔を上げると、湊は二つの弁当を見比べて、目の前の男に非難の目を向けた。


「だってどっちもすごく美味しそうじゃないですか!どっちか片方しか食べないなんて、もったいないですよ!」

「そ……そう、なのか?」


 亜嵐は拍子抜けした顔で、目の前の大学生を眺めた。


「そうですよ!それに西園寺さんも、両方食べてみたいんでしょう?」

「あ、ああ。そうだが……」


 首を縦に振って肯定すると、湊はうれしそうに笑った。


「じゃあ、半分こで決まりですね!」


 その笑顔に、亜嵐の心はほわほわと弾んだ。


 ***


「どっちも美味しかったですねー!」

「うむ。ピカタの衣の隠し味はチーズだろう。トマトソースの酸味と相性が良かった」

「排骨はカリじゅわでしたね。スパイシーで、ちょっとカレーっぽい味がしました」


 ペットボトルのお茶を手に、味の余韻を語り合う。

 ローズメリーを出るときには想像もしていなかった展開――満腹以上の満足感が、亜嵐の心を満たしていった。


「やっぱり西園寺さんと食べるご飯は、すごく楽しいし美味しいです!」

「私もだ。それに――シェアしてもらえて、とても助かった」


 ふっと息を吐いた亜嵐に、湊は意外そうな表情を浮かべた。


「助かったって……二人だったんだから、当り前でしょう?」


 その言葉に、亜嵐は小首を傾げた。


「君は食事を共にする相手と、いつも料理をシェアするのか?」

「いつもっていうか……実習で作ったものは、みんなで食べますけど……」


 湊は顎に手を当てて、うーんと唸った。


「でも俺、基本ボッチ飯だし。やっぱり誰かとシェアなんてしないかなぁ……あれ?でも、西園寺さんとシェアするのは当たり前っていうか……ん?あれれ?」


 ブツブツと呟いていると、ベンチの反対側から「ぷっ」と息が漏れた。


「……西園寺さん?」

「ぷふっ……いや、失礼。――そうか、私とのシェアを当たり前だと、君は思ってくれるのだな」

「……?はい。思いますけど……」


 目の前の紳士が何を笑っているのか、湊にはまったくわからない。

 ただ、彼がどこかうれしそうなことだけは感じる。


「西園寺さん――何か良いことでもあったんですか?」


 首を傾げながら湊が問うと、亜嵐は一瞬呆気に取られ――次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。


「ちょっ……西園寺さん!?」

「ははっ!ああ、あったとも。君は――実に興味深いな」


 さわりとした風が、二人が座るベンチを撫でる。

 空は清々しく青い。

 広いキャンパスの片隅で、昼下がりの時間は、ほんのり甘く流れていった。




 秘密はいつもティーカップの向こう側

 SNACK SNAP

 楽しい半分こ / 完


 こちらの作品の本編は、アルファポリスにて連載中です。

 ぜひお立ち寄りください☕

 https://www.alphapolis.co.jp/novel/400679482/624998094

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