記憶喪失から始まる異世界転生譚【悪魔編】

龍谷 晟

前編 邂逅

クレス王国


広大な農地から得られる多種多様な作物が強みであるこの国は、大陸における位置関係にも恵まれており、食品の輸出による強い経済力をも備えている。

優秀かつ厳格な王のもとで、徹底的に管理され、建国五百年を超える栄華の国。

それこそが、クレス王国である。


「邂逅である!」


その国の王座に、唐突に一人の男が現れた。病的に白い肌、墨のように黒い瞳と髪の短髪の男。

野生を感じさせる笑顔で、堂々と、跪くことなく憚ることもなく、一国の王に向かって吠えた。


「重ねて言おう、これは邂逅である!! 我ら魔人と、キサマら人間の、祝福すべき邂逅である。」


一瞬、思考を止めていたその場の官僚や兵士たちも、自分のやるべきことを理解する。


「族だぁ! 兵士ども! かこめぇ!!」

「「「はっ」」」


クレス王国は、国の位置的に輸出に優れている。それはつまり、周囲を他のいくつかの国に囲まれているということである。

広大な農地を先祖代々守り抜いてきた彼らは、軍としても優れる。

好戦的でないというだけで、官僚でさえも、ある程度の剣の腕と指揮の能力が求められるのだ。

即座に、槍と剣による包囲が下手人を囲い込み、その周囲と王の安全を近衛と一部の官僚達が警戒する。


その中で、下手人は三日月のように深く笑った。


「そしてこれは、貴様らにとっては侵略であり、絶望である」

「殺せ」


ドスっ!

という音と共に、兵士の槍が下手人の心臓を貫いた。

下手人の発言を宣戦布告だと認識した官僚が、殺害命令を下したが故に。

その後もドスドスと、複数の槍が肉を突き破る。

あらゆる急所を確実に破壊する槍の交差攻撃。


「あぁ」


生きているはずがなかった。故に、その場の誰もがその微かな言葉が下手人の最後の悲鳴だと思った。


違う。下手人は安堵していたのだ。


「やっぱり、ここが最初でよかった」


喉も、眼球も、脳髄も槍は貫いている。

なのに、なぜ喋れるのか。


違和感


そしてもう一つ、その場の違和感に気づけた人間が、一人だけいた。

陣形の最前列、下手人のすぐ背後にいた、一人の兵士。彼だけが気づいた。


血が赤くない


貫いた直後は確かに赤かった。

だが、地面に水溜りを作るその色は、赤でなく黒に近い紫。

そしてその紫の血が彼の足先に触れたその瞬間。一瞬で彼の全本能が警告を発し、衝動的に叫びを上げていた。


「逃げろ!! コイツの血に触れるな!!」


その判断は正しい。すでに血に触れた彼はもう助からないのだから。

叫んだのとほぼ同時に、床板が抜けた様に彼の体は血溜まりの中に引きずり込まれた。

悲鳴すらなく、引きずり込まれた後は一瞬で全身の血肉と骨をぐちゃぐちゃに砕かれ、そのまま彼は死んだ。

紫色の中に赤い血が滲みそのすぐ後、血溜まりから這い出る影があった。

引きずり込まれた兵士では当然無い。


「あぁ、やはり美味い。鍛え上げられた人間の肉と脳は格別であるな」


這い出てきたのは、すぐ後ろで槍に貫かれている男と、同じ顔、同じ声の男だった。紛れもなく、先ほどの下手人そのものである。

だが、もはやそれは人とは呼べない。

自己申告通り、まさに『魔人』であった。


魔人は、他の獲物へとその視線を移す。


「食い放題、であるな」


次に死んだのは、後ろで指揮を取っていた官僚の一人であった。

誰一人、魔人から眼を離していない。魔人は、人間の動体視力では追いきれないほどの速度で、方位の隙間をしながら通り抜けただけだ。


魔人は官僚に、愛しき恋人にそうするかのように抱きつき、そのまま全身で官僚を自分の中に押し込んだ。


「あぁ、良いぞ。さぞ良い物を食べ、よく鍛え、よく考えてきたのだろう。そしてやはり、槍使いと剣士では肉の味も違う物だな」


それが、官僚が殺された理由であった。ただ、魔人が最初に眼をつけた剣士であったというだけで、彼は殺された。


「ふむ、では今度はまた槍使いを喰らうか。なぁに、心配するな。我の舌は繊細でな、多少似通った味でも、その差をしっかりと味わい尽くしてくれようぞ」


ここで、彼らは初めて恐怖を覚えた。

数年振り、人によっては数十年振りに感じる恐怖。自分ではどう足掻いても勝てないと感じる絶望。


だが、民の絶望を許さぬ王がここにはいる。


「それ以上、俺のモノに手を出すな」


引き止める部下の言葉を無視して、クレス王国国王は玉座を降り、魔人の前に降り立った。


「いいなぁ、貴様が王というやつか。実に相応しい。この邂逅の場面において、強く、高潔な王はとても相応しい『引き立て役』だ。それに王の肉は、きっと格別に美味……」


魔人の言葉は、最後まで続けられなかった。

王は自身が身につけていた大きなマントを、魔人に覆い被せるように投げつけた為である。


目隠し、では無い。


覆い被さった布を引き剥がそうと魔人がもがくが、引き剥がせない。

それどころか、顔にピタリと張り付いて離れない。


魔法


一部の限られた人間のみがその身に宿す神秘。そしてこの剥がれないマントこそ、王の魔法である。

王の魔法は『接着』

自身の所有物を他の元に貼り付ける、だけ。

シンプルゆえに、そのチカラは絶対的。

このような事態に備えて作られた、魔物素材のマントは強靭かつ、空気を通さない。


だんだんと、魔人のもがく動きが大きくなる。顔面に張り付いたマントが、呼吸を妨げているためだ。


窒息死なら、血は出ない。


「俺は、お前の復活の条件を、『出血』そして『死亡』のどちらか、あるいはその両方だと推測している」


王はそう言い終わるや否や、もがく魔人に足払いをかける。転倒した魔人は、今度はもがくことすらできなくなる。


地面もまた、城という王の所有物であるがために。


王はマントの一部を正確に剣で切り裂き、魔人の口元だけを露出させる。


「お前は殺さない。血も出させない。そのままここで拘束されたまま、俺の質問に答えろ」

「面白い」


一瞬で呼吸を整えた魔人は、王の言葉に答えず、ただポツリと呟いた。

王のつま先が、魔人の腹に突き刺さる。


「血を流させずに拷問する手は限られるが、それでも二十は用意出来る。滅多に使わない拷問もある。ひとつひとつ体験してみるか?」

「素晴らしい。惚れ惚れするぞ人間。先ほどの命令も、今の提案も、普段なら諸手を挙げて大賛成するところであるが……残念ながら、時間がない」


魔人は、心の底から悲しそうだった。


「答え合わせをしよう。貴様は先ほど我の能力を、『出血、死亡を条件とする蘇生』であると推察していたが、それは違う「復活ではなく、増殖である」」


最後のセリフは、二重に聞こえた。

一度目と同じように、魔人は紫色の血だまりの中から這い出てきた。

同じ顔の魔人が二人、死んでいるのを含めれば三人。


「「こちらからも推測を述べよう。貴様はわざわざ玉座から降りて魔法を使ったな? その魔法、射程距離が短いな?」」


這い出た魔人と、拘束された魔人の声が重なる。

そして這い出た魔人は近くの既に死んでいる魔人に刺さったままになっていま槍を一つ取って、そこら辺にいる兵士の鳩尾に突き刺した。


「「あははは! ほら、早く止めないと皆殺しにしてしまうぞ!」」


王は即座に、笑い続ける拘束された魔人の首の骨のみをバキっと折った。

ほぼ出血はなく、それでいて絞殺よりも圧倒的に早い殺し方で殺した。


ただ、その間に残った魔人は二人殺して食ってた。

ぷちりと、王の血管がキレた。


「だったらぁ!! ぶち殺し続けてやるよ! 下郎!!」

「あはは、いい口説き文句であるが、さっき言った通り時間がない。我の仕事は二つ。一つは『この城の人間を皆殺しにすること』。だがこのままひとりずつ味わっていては時間がきてしまう。しかし、ここの肉は食いたい。だから」


魔人は、手に持っていた槍を投げる。

王はそれを避ける。

だから槍は、マントに包まれた死体に突き刺さり、さらには突き破った。

どくどくと、紫色の血溜まりがもう一つできる。


「だから、に頼ることとする」


魔人はまたも自分の死体から槍を引き抜き、その穂先を喰らうように、口腔内から心臓まで、真っ直ぐに突き刺した。

どくどくと、三つ目の血溜まりができる。

その中から、当たり前のように四人目の魔人が這い出てきた。


「答えよ、我が権能」


そして三つの血溜まりが、ボコボコと泡立ち、蠢き始める。


「『生命創造』『魔猿マエン』『怪鳥カイチョウ』『黒犬クロイヌ』」


魔人のその言葉を皮切りにして、三つの血溜まりは空中に浮き上がりながら激しく変形し続け、やがて三匹の獣となる。


犬、猿、鳥。この世界でも当たり前に存在する獣。

だがそのスケールとデザインは、通常のそれとはまるで違う。

牙も、嘴も、爪も。大振りのナイフのように鋭い。体格も人間の数倍ある。一口で人間の上半身を食いちぎれるだろう。

それが三体。


「この部屋以外の城の人間を皆殺しにしてこい」


魔人の命令に従い、三匹の獣は壁と床をぶち抜き、それぞれの方向へ殺戮を広めに向かった。


「残念ながらアレらとは感覚を共有してないから味は分からんがな。その分コチラを堪能すれば良いだけのことだ」

「…………お前ら、気合い入れろ。可能な限り早くコイツを殺してさっきの化け物止めに行くぞ」

「「「はっ」」」


兵士たちに恐怖はない。外にも他の兵士たちがいるが、王よりも強い者はいない。そして、城に勤める人間はほとんどが非戦闘員である。

一刻も早く、助けにいかなければならないのに、恐怖などしてられない。


「できると思うのか? 貴様らに。我を殺せるか?」

「あの血を消費した以上、もうお前は自分を増やせない。俺たちはこのまま、お前に血を流させずに殺すだけだ」


両雄、激突


□ □ □


「きぃやぁぁぁぁぁ!!!」

「お逃げください! 姫様!」


クレス王国、第一王女カーラ・クレスは現在、正体不明の魔物に襲われていた。

全身黒に近い紫色に塗れた鳥。明らかに超常の存在。

護衛の兵士が、あるいは使用人が身を挺してカーラを逃しているが、怪鳥が口を開く、足を振る、翼を動かす、その度にひとりふたりずつ死んでいく。


カーラはただ、使用人メイドの一人に手を引かれるまま、逃げることしかできなかった。


「玉座の間に行きます! 陛下さえいればあのような魔物でも対処できるはずです」


怪鳥の姿が見えなくなったあと、僅かに速度を落としながら、手を引く使用人はそう言ってカーラを励ました。


陛下

その言葉に、カーラの身は僅かに竦んでしまう。

カーラは王である自身の父が苦手だった。


子供の時、父はよく頭を撫でてくれた。

優しく、心の底から慈しむように。

城下町の視察について行った時、王は同じように街の子供達の頭を撫でていた。


父の助けになりたいと、訓練の指導を頼んだことがある。

厳しく、それでいてカーラの体に合う鍛え方をしてくれた。

その翌日、同じように城の兵士の為に鍛え方を考える王の姿を見た。


王は完璧だった。

人として、王としての臨界を極めていた。

だからいつの間に、カーラも他の人間と同じ様に、王を敬い恐れることしかできなくなっていた。

圧倒的な王としての強さとカリスマが、父と娘としての関係を許さなかった。


だが、、だ。


ドンっ


考えながら走っていたカーラの体が強く突き飛ばされた。

突き飛ばしたのは、前を行く使用人。

そして上から降ってきた紫色の手が、使用人の身体を薙ぎ飛ばし、廊下の壁に叩きつけた。

思わず、カーラは視線を上に向ける。


そこにいたのは、紫色の猿だった。足を広げて廊下の壁に張り付き、逆さになって手を振っている。


魔猿


と呼ぶべき怪物。


「お、お逃げください、姫様。ここを戻っても玉座の間に行く道は他にもあります。ここは、ゴホッ。私に任せて、行ってください。」


使用人は生きていた。ふらつきながらも立ち上がり、魔猿を睨みつけながら拳を構える。

カーラは、即座に身体を反転して、使用人の言葉に従い。逃げた。


「きゃっ、きゃきゃきゃ」


それを見て、魔猿は笑う。

魔猿は他の二匹と比べて、戦闘力で劣る。

だがそのぶん知能が高く、悪意を持って効率よく行動する。


逃げるということは、弱いということ。

弱いのに守られるということは、それだけ大切な存在だということ。


なら、だろう。


助けようと、寄ってくるだろう。


その姿を想像して、魔猿は一歩足を踏み出す。

だが、二歩目は踏み出せなかった。


「待てやクソ野郎」


踏み出そうとした右足を、小さな生き物が踏みつけていたから。


「てめぇ、なに姫様見てゲスい笑顔浮かべてんだぁ? あぁん!? てめぇごとき下賎な獣が、目で追っていい尻じゃねぇんだよ!!」


ぐっぐっ、と。魔猿は足を動かそうと試みるが、それも出来ない。


「不思議そうな顔してんなぁバケモン。王族専属の使用人が、弱いわけねぇだろうが」


女の小さな体躯で、数倍の大きさの敵を力尽くで抑え込む。

明らかな異常。神秘。つまりは、『魔法』


「『強化』。陛下のと違って特別ユニークでもなんでもない。弱い魔法だけどよ、それでも」


使用人は魔猿の足を正拳でド突く。体格的にそこが限界。

『強化』にも時間制限がある。

つまり、どれだけ叫んでも、啖呵を切っても勝てない。


「それでも! 時間稼ぎぐらいはやってやんよ!」


□ □ □


カーラは泣いていた。泣きながら廊下を走っていた。

多くの兵士が、使用人が死んだ。

怖かった。逃げたくなかった。そばにいてほしかった。

今だって、本当はすぐに戻って、みんなの元に行きたい。

けど、足は止められなかった。


託された願いに突き動かされて、カーラの足は勝手に動いた。


陛下! 陛下に、助けを! 王の元へ!


そしてカーラはたどり着いた。王のいる場所、玉座へ。

ゆっくりと荘厳な扉を開く。


中にいたのは、巨大な肉の塊だった。


まぁるい、肉団子。

よく見るとそれは、人の形をした肉が丸まっている様。


そしてもう一つ。視界全体が、紫色だった。濃い紫の液体が玉座の間を塗り尽くしていた。

床も壁も、天井までも。


「は、はははは、はははははは!」


その肉団子の中心から、人の声がした。

違う。人の声ではなく、魔人の声だ。

そして、肉団子が裂け、なかから魔人が姿を現す。

病的なほど白い肌。黒い瞳と髪を持つ。短髪の魔人


「よもや死んだ部下の死体まで貼り付けるとは恐れ入った。最後はほぼ動けずに苦労したぞ!! あははは、最高に楽しかった!」


そして、先ほどは肉団子に隠れて見えなかったが、王の姿は確かにあった。


王はゆっくりと足から腰にかけて、床に広がる紫色の液体の中に、ズブズブと沈み込んでいた。

今もなお、少しずつ、少しずつ沈んでいっている。暴れる様子はない。そしてその体に生気も、ない。


希望の、消失。


カーラはその場に崩れ落ちた。


「貴様は特別に! 我が原初の海の中に取り込んでやろう! 一度海へと帰り、その魂は新たな生命として! 我が権能『生命創造』により生まれ変わるのだ! これは最高の誉であるぞ! 名も知らぬ王よ! あははは、はは…………あ?」


楽しそうに、背後のカーラにも気付かず笑っていた魔人は、唐突に笑うのをやめて、両手で顔を覆い、よろよろと後退する。


「し、しまったぁぁ!! な、名前! 聞いていなかったぁぁ!! そ、そういえば我も名乗っていない! これでは脚本として成り立たん!! これまでの死闘はなんだったのだ!! い、今からでも名前を知る方法はないか! 何か、何かぁ……お?」


今度こそ、魔人の目がカーラを捉えた。


「ふむ、ふむふむふむ。いい服着てる。お前、もしや姫というやつか?」


崩れ落ち、絶望したカーラに、魔人は一歩一歩近寄り、しゃがんでその顔を覗き込んだ。


「なら、貴様は知ってるだろう? 父親の名前を。教えてくれれば褒美として、ここから投げ捨てて『最初から城の中にはいなかった』ということにしてやってもいいのである」


魔人のその言葉に、カーラはパクパクと口を動かすことしかできなかった。


「怯えている……たけでないな。貴様、。なら殺すか」


そう、カーラは生まれつき、声を出せなかったのだ。

王族にあって、不完全な、存在。

誰もがカーラを憐れんだ。誰もがカーラを気遣った。けれどそれでも、王はカーラを決して


それを、こいつが。


「うん? その目の光……もしや貴様、我を殺したいのか? 我は見たら分かるぞ、貴様は実に不味そうだ。転じて弱いな。だが、うん、そうだな」


魔人は面白そうにカーラの瞳を覗き込み、笑った。


「一つ、提案をしよう。お前に我を殺すチャンスをやるのだ。我の目的は『この城の人間を皆殺しにすること』そしてもう一つ。『この城のどこかにあるを破壊すること』だが、我は二つ目は嫌だった」


魔人は目的を明かし、協力を持ちかける。弱者に対して、あくまで楽しそうに


「『勇者』なんて面白いもの、呼び出さない選択肢があるか? 鮮烈な人間の極致を、我は見てみたいのだ。だから」


魔人は笑う。三日月の様に、口を広げる。


「だから、お前が勇者召喚魔法陣まで我を案内し、そしてその場で。そうすればきっと、勇者が我を殺してくれるぞ!」


スッと、魔人はカーラに手を差し伸ばす。

カーラは、迷いなくその手を取った。

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