第24話 聖女様と幼馴染とラブコメ波動
「ふふ、寝顔可愛いなぁ……今ならキスしても……バレないかな……? 」
微睡みの中、そんな甘い声が鼓膜をくすぐった気がした。
夢か現か。意識が覚醒しかけた俺が、重いまぶたをゆっくりと持ち上げると――。
「えっ」
視界いっぱいに、莉奈の顔があった。
整った鼻筋も、長いまつ毛も、ほんのりと上気した頬も、すべてが息のかかる距離にある。
俺の目が開いた瞬間、莉奈の目が大きく見開かれた。
「ひゃっ! ? 」
まるでバネ仕掛けのように、莉奈が勢いよく顔を離す。
俺はまだ半分夢の中にいるような心地で、ぼんやりと彼女を見上げた。
「莉奈……? おはよう……起こしに来てくれたのか? 」
寝ぼけ眼をこすりながら尋ねると、莉奈は顔を真っ赤にして、あたふたと視線を泳がせた。
「そ、そうよ! 泊めてくれたお礼に私が早起きして朝ごはん作ってあげたんだから、さっさと顔を洗ってリビングに来なさい! 」
大声でまくし立てると、彼女は脱兎のごとく部屋から走り去っていった。
バタン、と閉まったドアを見つめながら、俺はふあぁと欠伸を噛み殺す。
(今さっき……『キスしても』とか聞こえた気がしたけど……)
いや、まさかな。
あの莉奈がそんなことを言うわけがない。
きっとあいつが俺の家に泊まったことで、都合のいい夢でも見ていたのだろう。
俺はぶんぶんと頭を振って、勝手な妄想を振り払った。
◇
一階に降りて洗面所で顔を洗っていると、背後からペタペタという足音が近づいてきた。
鏡越しに振り返ると、そこにはパジャマ姿のリリアーナが立っていた。
銀色の髪は少し寝癖で跳ねていて、手にはいつもの聖女のドレスが抱えられている。
「おはよう、リリアーナ」
「ふわぁ……おはようございます、悠人様。本日もいいお天気ですね」
リリアーナはへにゃっとした締まりのない笑顔で挨拶を返してきた。
まだ目が半分しか開いていない。完全に寝起きモードだ。
こんな油断しきった状態でも可愛いとか凄いな聖女。
「昨日は遅くまで起きてたのか? 」
「はい……。友人と一緒に寝るという経験が初めてでしたので、嬉しくて……」
リリアーナは夢見心地な表情で、ドレスを抱きしめた。
「莉奈さんとたくさんお話しした後、お布団に潜り込んで手を繋いでいただいて眠ったのです。莉奈様は本当に素敵な方ですね」
両手を合わせてうっとりとするその姿は、まるで女神に祈りを捧げているようだが、話題は女子高生とのパジャマパーティーだ。
「そうだな。あいつは時々口は悪いけど、根は良いやつだから」
俺がタオルで顔を拭きながらニコリと笑うと、リリアーナも嬉しそうに微笑んだ。
そして、彼女はおもむろに、パジャマのボタンに手をかけた。
――え?
俺の思考が停止する間に、リリアーナはスルスルとパジャマを脱ぎ捨てていく。
白磁のような肌が露わになり、豊満な胸元と俺が選んであげた下着が目に飛び込んできた瞬間、まだ眠かった俺の脳が完全覚醒する。
「な、何やってんだ! ? 」
俺が裏返った声で叫ぶと、リリアーナは下着姿のままキョトンとして首を傾げた。
「え? お風呂の時にご説明いただきましたが、着替えをする際はこの脱衣所で行うようにとお伺いしましたので、ここでお着替えしようと思ったのですが……? 」
曇りのない紫の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
「何か間違えたのでしょうか? 」
「間違ってないけど間違ってる! 男性がいる時に脱ぐなって言ってるの! 」
俺は脱衣所から転がるように飛び出し、ピシャリと戸を閉めた。
心臓が早鐘を打っている。
危ない。あと数秒あの姿を目視したら、朝から刺激が強すぎて鼻血を出すところだった。
リリアーナの常識のなさには慣れてきたつもりだったが油断した。あの無防備さは心臓に悪い。
「はぁ……はぁ……」
俺は顔の熱を冷ますように深呼吸をしてから、リビングへと向かった。
リビングに入ると、香ばしい匂いが漂ってきた。
テーブルの上には、三人分の朝食が綺麗に並べられている。
ふわふわのスクランブルエッグに、カリッと焼かれたベーコン。
彩りの良いサラダに、湯気を立てる味噌汁、そして焼きたてのトースト。
完璧だ。俺の作る男子高校生の朝食とはレベルが違う。
「うわ、すげえ……。これ全部莉奈が作ったのか? 」
「これくらい普通よ。冷蔵庫にあったもので適当に作っただけだし」
振り返りながら、莉奈が得意げに鼻を鳴らす。
「ありがとう。マジで助かる」
「べ、別に感謝されるほどのことじゃないってば。今日は土曜だし、学校も休みだからゆっくり出来るでしょ? 」
莉奈が少し照れたように視線を逸らした時、リビングのドアが開いた。
「莉奈さん、おはようございます」
そこには、いつもの純白のドレスに着替えたリリアーナの姿があった。
さっきの寝ぼけ眼が嘘のように、凛とした佇まいで丁寧にお辞儀をする。
「おはよう、リリちゃん。……っていうか、なんでその恰好なの? 」
莉奈が呆気にとられたように尋ねる。
俺が買ってあげたカジュアルな服を持っているはずなのに、今日もまたガチの聖女スタイルだ。
「あちらの世界では普段からこの格好でしたので、やはりこれが一番落ち着く普段着なのです」
リリアーナは胸を張り、ドレスの裾を優雅につまんで見せた。
日本の一般家庭のリビングに、ファンタジー世界の聖女様。
そのシュールな絵面も、見慣れてくると逆に日常感が出てくるから不思議だ。
「まあ、リリちゃんがそれがいいならいいけど……。さ、冷めないうちに食べましょ」
「はい! 」
「「いただきます」」
三人で声を合わせて手を合わせる。
俺はトーストにスクランブルエッグを乗せて、一口かじった。
とろりとした卵の甘みと、バターの香りが口いっぱいに広がる。
「んっ、美味い! 」
「美味しいです! この黄色いフワフワした食べ物、口の中でとろけます! 」
リリアーナも目を輝かせて、ほっぺたを押さえている。
その反応を見て、莉奈の表情がパッと明るくなった。
「ふふん、でしょ? 料理にはちょっと自信あるのよ」
「莉奈さんは凄いです……! お料理もできて、優しくて、お布団も暖かくて……本当に素敵な女性ですね! 」
リリアーナの手放しの称賛に、莉奈は「そ、そこまで言われると照れるんだけど……。っていうかお布団は私関係なくない? 」と頬を赤らめてモジモジしている。
平和だ。
昨日のバズり騒動が嘘のような、穏やかな朝の食卓。
俺は味噌汁をすすりながら、この日常がずっと続けばいいのにと心から思った。
朝食を食べ終え、食器を片付け終わると、リリアーナが改めて莉奈に向き直った。
「本当に美味しかったです! ごちそうさまでした! 」
「お粗末さまでした」
「私も悠人様のために、あんなに美味しいお料理を作れるようになりたいです」
真剣な眼差しで訴えるリリアーナに、莉奈はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「あら、殊勝な心がけね。それじゃあリリちゃん。今日はあなたに、料理上手な私が料理を教えてあげるわ! 」
莉奈がビシッと指を差すと、リリアーナはパァッと顔を輝かせた。
「はい! よろしくお願いいたします、師匠! 」
……師匠?
俺は一抹の不安を覚えながらも、やる気満々の二人を見守ることにした。
この後、キッチンが戦場になるとも知らずに。
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