第21話 明かされる真実と託された想い
夜のバスルーム。
湯気に煙る視界の先に、リリアーナのいた宇宙を創造した神が、生まれたままの姿でちょこんとバスチェアに座っている。
その背中は、神々しいというよりは、驚くほど小さく無防備だった。
「どうした? 早うせんか」
「……失礼します」
逆らえば消し炭にされるかもしれない。
俺は覚悟を決め、渋々彼女の背後に腰を下ろした。
シャワーでお湯をかけ、ボディタオルを泡立てる。
ふわふわの泡を乗せ、小さな背中を優しく擦り始めた。
不思議と、邪な気持ちは微塵も湧かなかった。
見た目が幼いというのもあるが、何よりその存在があまりに圧倒的で畏れ多くて、ただただ「優しく傷をつけないように」という緊張感だけが指先にある。
「これで、良いのですか? 」
「うむ、気持ちが良いぞ。ふふっ」
ガルンヴァルスが、くすぐったそうに身をよじった。
「人間とこうして触れ合うなど、いつぶりじゃろうなぁ。存外、悪くないものじゃ」
「以前も、人間と接触したことが? 」
俺が尋ねると、彼女は遠くを見るような目をした。
「うむ、あるぞ。最初は確か……そうじゃな、人が二足歩行を始め、火を使うことを教えた時じゃったかのう」
「……は? 」
俺の手が止まる。
いや、待ってくれ。それはリリアーナの世界の話であって、こちらの世界の話ではない……はずだ。
だが、彼女は「火の利用」という、人類史における最大の特異点を、まるで昨日の出来事のように語っている。
この小さな背中が背負っている時間の重みに、俺は改めて戦慄した。
「さて、次は髪の毛も頼むぞ! 」
思考の迷宮に入りかけていた俺をよそに、ガルンヴァルスが笑顔で振り返る。
その頭には、いつの間にかカエルのイラストが入った子供用シャンプーハットが装着されていた。
「……ぷっ」
あまりのギャップに、俺は思わず吹き出してしまった。
偉大なる創世神が、シャンプーハット。このシュールさは反則だ。
「しょうがないですね」
俺は苦笑しながら、彼女の柔らかい髪に指を通した。
シャンプーを泡立て、小さな頭をマッサージするように洗っていく。緊張が解けたせいか、少し余裕が出てきた。
「痒いところはないですかー? 」
「んはー! そこそこ! 耳の付け根のあたりを搔いておくれ! 」
美容室ごっこのようなやり取り。言われた通りに獣耳の付け根を指先でこりこりと掻いてやると、ガルンヴァルスは猫のように喉を鳴らして気持ちよさそうな声を上げた。
「ふぃ~、極楽じゃのう~」
お湯で泡を流して洗い終えると、彼女は濡れた猫のように小刻みに頭を左右に振る。
水滴が四方八方に飛び散り思わず目を瞑る。
「よし、次は我がお主の身体を洗ってやろう! 」
「ええっ! ? い、いや、そんなの恐れ多いですよ! 」
「良いから座れ! これは神の命令じゃ! 」
結局、神の押しに勝てるはずもなく、今度は俺がバスチェアに座らされた。
小さな手で泡だらけのタオルを持ち、俺の背中を一生懸命に擦るガルンヴァルス。
「どうじゃ? 気持ち良いか? 」
「……はい。とても」
なんだろう、この感覚。
小さな子供にお手伝いをしてもらっている親って、こんな気持ちなのかな。
くすぐったいような、でも温かくて、なんだか幸せな気分のような。
「さあさあ! 早う湯船に浸かるが良い! 」
洗い終えると、彼女は仁王立ちで湯船を指差した。
俺がお湯に身を沈めると、ちゃぽん、と小さな音を立てて彼女も入ってくる。
そして、当然のように俺の膝の間に収まり、背中を預けてきた。
「ふぃ~、いい湯じゃのう~」
目を細めて脱力する神様。
俺は一瞬驚いたが、もう驚くのにも疲れた。
まあいいか、と開き直り、二人でぼんやりとお湯の温かさを楽しむ。
しばらくして、俺は静寂を破った。
「……ところで結局、二人きりでしたい話って何なんですか? 」
ガルンヴァルスがくるりと向きを変え、俺と向かい合う。その表情は、先ほどまでの無邪気なものとは少し違っていた。
「うむ。それなんじゃが、まあ、とりあえず合格じゃな」
「合格……? 」
「こうして裸の我と一緒に風呂に入り、お主が欲情して変なことをしようものなら……その場で存在ごと、お主を抹消しようと思っておったのだ」
さらりと、恐ろしいことを言う。
俺は背筋が凍りつくのを感じた。なんてことを考えていたんだ、この神は。
(いや、待てよ。リリアーナならまだしも、こんな子供にしか見えない神様に欲情するわけないだろ! )
心の中でツッコミを入れると、まるで心が読めるかのようにガルンヴァルスがふんぞり返った。
「我はナイスバディじゃからなぁ! それに耐えるとは、お主なかなかやるのう。これなら、リリたんを預けても安心できる男というものよ」
ナイス……バディ……?
俺は喉まで出かかったツッコミを、必死の思いで飲み込んだ。命が惜しい。
すると、ガルンヴァルスは急に真剣な眼差しになった。
「リリたんはな、我がちょっとばかり力を与えすぎたせいで、聖王国ゼガルオルムで祭り上げられてしまったのじゃ」
彼女の声から、ふざけた色が消える。
「彼女は、あの国の王族や貴族にとって、都合の良い存在としての『聖女』を強いられた。優しく、無知であることを求められた。そうすれば、政治に疑問を抱かず、人の悪意にも気付かず、利用しやすいからじゃな」
「……利用? 」
「うむ。あの子は知らぬが、他国への侵略に彼女の底しれぬ魔力を利用しようとする計画も進んでいたのじゃ」
湯船の温度が、急に冷たく感じられた。
「ここに来る前、守護のクリスタルに魔力を込める儀式を行っていたと、彼女は言っておったじゃろ? あの時のクリスタルはな、実は王族が本物とすり替えていた破壊兵器だったんじゃよ」
「なっ……! ? 」
「リリたんの膨大な魔力をあれに込め、他国の上空で爆破させる。すると、数キロメートルに及ぶ大爆発が起きるという計画じゃ」
言葉が出なかった。
あの純粋なリリアーナの祈りを、人々の平和を願う心を、大量虐殺の道具に使おうとしていたなんて。
「元々あの国には色々と思うことがあったのじゃが、この件で我は心底ムカついてな。リリたんを我の力でこの世界に転移させた後、あの場でご自慢の兵器とやらを爆発させてやったんじゃ。まあ、民に罪はないゆえ、あの場に集っていたクソ王族どもとその仲間たち以外には被害が及ばぬよう、障壁を張っておいたがな」
ガルンヴァルスは、せいせいした、というように鼻を鳴らした。
俺の中で、どす黒い怒りが湧き上がってくるのを感じた。
出会ってまだ日は浅い。でも、リリアーナがどれほど優しく、誰かの幸せを願える女の子か、俺は知っている。
もし、ガルンヴァルスが止めなかったら……彼女は知らぬ間に、多くの命を奪う加害者になっていた。
それを知った時、彼女の心はどうなっていただろうか。絶望し、壊れてしまっていたかもしれない。
「ふふ、お主は優しい人間じゃの」
俺の怒りを感じ取ったのか、ガルンヴァルスがくすりと笑い、濡れた手で俺の頭を優しく撫でた。
「やはり、ここにリリたんを連れてきた我の判断に、間違いはなかったようじゃ」
彼女が立ち上がると、その背中に光輪が出現し、身体がふわっと宙に浮く。
一瞬で身体に付着していた水滴が蒸発し、神の衣装が再び現れた。
「それでは、我は帰るぞ。引き続き、我の大切なリリたんのことはお主に任せよう。……お主になら、安心して任せられそうじゃからの」
最後に最高の笑顔を残し、彼女の姿は光の粒子となって消え失せた。
静寂が戻った浴室で俺は一人、湯船に浸かったまま天井を見上げた。
「……本当に、リリアーナは……俺達みたいな平和な世界とは違う世界で大変な人生を歩んできたんだな」
その呟きは、湿った空気に溶けて消えた。
俺の中に、彼女を絶対に守らなければならないという、確固たる決意だけを残して。
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