第18話 レバムロゴスの怒り

ぽっかりと穴の開いた空と、腰を抜かしてへたり込むクラスメイト、そして「これで安心ですね」と無垢な笑みを浮かべる異世界の聖女様。

この状況から入れる保険はありますか? 無い? そうでしょうね。


「……うそ……」


か細い声で呟き、莉奈が地面にへたり込んだままリリアーナを見上げている。

その瞳は、恐怖と、驚愕と、理解不能なものに対する畏怖がないまぜになって揺れていた。

俺は深いため息を1つ吐くと、莉奈の前にしゃがみ込み、そっと手を差し伸べた。


「立てるか、莉奈」

「ゆ、悠人……」


俺の手をか弱い力で握り返し、莉奈は震える足でなんとか立ち上がる。

だが、その視線はリリアーナから一瞬も離れない。


「ねえ、どういうことなの、これ……!? リリちゃんって、ただのコスプレ好きの女の子じゃ……なかったの!? 」


半泣きで俺の腕を掴み、詰め寄ってくる莉奈。

その必死な形相に、もう嘘はつけないと観念した。


「……落ち着いて聞いてくれ、莉奈」


俺は一度言葉を切り、彼女の目をまっすぐに見つめ返す。


「リリアーナが言ってたろ。『聖王国ゼガルオルムの聖女』だって。全部本当のことなんだ。彼女はこの世界の人間じゃない。別の世界からやってきた……本物の、聖女様なんだよ」


俺の告白に、莉奈は息を呑んだ。

信じられない、というように何度か首を横に振り、おそるおそるリリアーナの方へ向き直る。


「そ、そんなのって……本当に、本当なの……? 」

「え……? もしかして、信じてくださっていなかったのですか!? 」


莉奈の問いに、リリアーナは心底驚いた、という顔でショックを受けている。

違う、そっちが驚くところじゃないんだ。


次の瞬間だった。

俺たちの周囲の空間が、ぐにゃり、と飴細工のように歪んだ。

重力が一気に増したかのような圧迫感が、全身を襲う。

何の前触れもなく、目の前の空間に亀裂が走り、そこから黒曜石の闇よりも深い漆黒が覗いた。

そして、その裂け目から、一人の男がゆっくりと姿を現す。


彫刻のように整った顔立ち。完璧なまでに均整の取れた長身。だが、その美しい顔は、今は怒りに満ちていた。

腕を組み、仁王立ちで俺たちを見下ろしている。

せっかくの超絶イケメンが、怒りの形相で台無しだ。


「……レバムロゴス……様、ですよね? ど、どうかされましたか……? 」


背中に、滝のような冷や汗が流れるのを感じながら、俺は恐る恐る問いかけた。

再び俺達の前に姿を現した地球の守護神レバムロゴスは、俺を一瞥もせず、その怒りの矛先をまっすぐリリアーナへと向けた。

彼は無言で天を指さす。


「聖女リリアーナよ。貴様、自分が何をしたか、わかっているのか? 」


腹に響くような低い声。神の威光に、リリアーナはびくりと体を震わせ、慌ててその場に膝をつき、深く頭を垂れた。


「は、はい。神の御前に失礼いたします。友人がご帰宅される時刻でしたので、雨を止ませました。雨に濡れては、風邪をひいてしまいますので」


問われた問いかけに、純粋な善意からそう答えるリリアーナ。

その言葉が引き金だった。


ゴウッ! ! ピシャァァァン! ! !


俺たちのすぐそば、レバムロゴスとリリアーナの間に、空から突き刺さるように雷が落ちた。

凄まじい轟音と閃光に、俺と莉奈は悲鳴を上げてその場に転んでしまう。


「ひぃっ!? 」

「うわっ! 」


焦げ臭い匂いが鼻をつく。レバムロゴスは両手を広げ、怒りのままに絶叫した。


「貴様がいた世界ではどうだか知らぬが、この世界には、そのような大規模な気象操作を行える人間や技術は存在しない! 貴様の気まぐれ1つがどれほどこの世界の法則を乱すか、考えたこともないのか! 」


その言葉は、まさに正論だった。

リリアーナのやったことは、友達を思う優しさから出た行動だ。

だが、それはこの世界の常識や物理法則を完全に無視した、規格外の力。

この星の秩序を守るレバムロゴスにとって、看過できるはずのない暴挙なのだろう。

神の怒りを一身に受け、リリアーナの肩が小さく震える。


「も、申し訳……ございません……」


ついに、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

その涙を見た瞬間、俺の中で何かがプツリと切れた。

さっきまで感じていたレバムロゴスへの恐怖が、どこかへ消え失せていた。

気づけば俺は立ち上がり、リリアーナとレバムロゴスの間に割って入っていた。

震えるリリアーナを背中にかばい、目の前の神を、まっすぐ睨みつける。


「……なんだ? 我が世界の人の子よ。汝に罪はない。そこをどけ。我は、この世界の秩序を乱したこの娘を、罰する必要がある」

「断る」


俺は、その場から一歩も動かなかった。


「彼女は、悪気があってやったわけじゃない。ただ、友達が雨に濡れないようにって、そう思っただけだ。それに、もう十分に反省しています。どうか、この場は引いていただけませんか? これ以上、彼女を責める必要はないはずです」

「……それを決めるのは、我だ。汝ではない」


レバムロゴスが忌々しげに眉をひそめる。

彼が俺に向かって軽く手をかざした。

次の瞬間、見えない力に突き飛ばされ、俺の体は宙を舞う。


「ぐはっ……! 」


背中から地面に叩きつけられ、肺から空気がすべて押し出された。


「悠人! 」

「悠人様! 」


莉奈とリリアーナの悲鳴が聞こえる。痛む体を叱咤し、俺は再び立ち上がる。

そしてもう一度、レバムロゴスの前に両手を広げて立ちはだかった。


「……そうか。神の前に立ちふさがるとはな。愚かな選択をしたものだ」


レバムロゴスの苛立ちが頂点に達したのがわかった。

彼が俺に再び手をかざす。その掌に、神々しいオーラが渦を巻き始めた。

ヤバい、アレは死ぬ。

だが、それでも――俺はここをどくわけにはいかなかった。


その時だった。


「――創世神キィィィィック! ! 」


間の抜けた叫び声と共に、レバムロゴスの真上の空間がガラスのように砕け散る。

裂け目から飛び出してきたのは、獣耳を生やした小さな少女――ガルンヴァルス。

彼女は一条の光となり、錐揉み回転しながらレバムロゴスの脳天に、完璧なドロップキックを叩き込んだ。


ゴシャッ! ! !


鈍い音と共に、レバムロゴスの巨体が地面にめり込んでいく。

土煙が晴れた後、そこには……地面から首だけがにょっきりと生えた、なんともシュールな神様の姿があった。


「我の愛するリリたんに、貴様は何をやっとるんじゃこの馬鹿者がぁっ! 」


仁王立ちでレバムロゴスの頭を踏みつけながら、ガルンヴァルスが叫ぶ。

地面から「んぐぐ……」と抜け出してきたレバムロゴスは、髪も服も土まみれになりながら、涙目で抗議した。


「ガルンヴァルス様っ! いかに貴女様とて、仮にも神の一柱である私に不意打ちで蹴りを食らわせるとは、大問題ですぞ!? 」

「べーだ! リリたんを脅したお主が悪い! なーにが『この世界の法則を乱すな』じゃ! そんなもん知らん、知らーん! この頭でっかちの老害神が! 」


あっかんべーをしながら悪態をついたガルンヴァルスは、リリアーナに駆け寄ってぎゅっと抱きしめる。


「よいかリリたん! そいつの言うことなんぞ気にせんでよい! 今後も好きに力を使って、この世界で『俺TUEEE』する様を我に見せておくれ! 」

「お、おれつえー……ですか? それは一体……? 」


聞き慣れない単語に、リリアーナが首を傾げている。

レバムロゴスは、ガルンヴァルスを後ろから抱っこするように持ち上げると、必死の形相で訴えた。


「何をおっしゃっておられるのですか! この娘の力はこの世界において異常なのです! 私が46億年もかけて作り上げてきたこの惑星のルールを、どうか、どうか乱さないでください! 」

「シャーッ! 」


しかし、ガルンヴァルスはまるで猫のようにレバムロゴスの顔を爪で引っ掻いて威嚇する。

哀れレバムロゴスは顔面が引っかき傷だらけになる。


「黙れ、若輩者が! 我が良いと言ったら良いのじゃ! この宇宙において、我が法じゃぞ! 」

「……はぁ……」


レバムロゴスは、心底疲れた、という深いため息を吐いた。その顔は、怒りを通り越して、もはや諦観に満ちている。


「……ええ、ええ。わかりましたよ。従いますとも」


彼はガルンヴァルスを抱えたまま、空間に裂け目を作り出す。

その理不尽に正論をねじ伏せられた哀れな姿に、俺はなんだか不憫に思えてきて、思わず声をかけていた。


「れ、レバムロゴス様! 」


レバムロゴスが無言で振り返る。俺は、まっすぐに彼を見つめて言った。


「彼女には、俺ができる限り、この世界での普通の生き方を教えます。だから……あんまり、心配しないでください」


俺の言葉に、彼は一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして……ほんの少しだけ、口元を緩めた気がした。


「……頼むぞ、人の子よ」


そう言い残し、彼はガルンヴァルスと共に空間の裂け目へと消えていく。その直前、小さな声が俺の耳に届いた。


「……クソババアが……」


……うん。きっと気のせいだ。そう思っておこう。


嵐のような神々が去り、俺たちの周りには静寂が戻ってきた。残されたのは、腰を抜かしたままの莉奈と、涙を拭うリリアーナと、体中が痛む俺。

やがて、リリアーナが俺の前に歩み寄り、深々と頭を下げた。


「悠人様。先程は……私を庇っていただき、本当に、ありがとうございました」


顔を上げた彼女の瞳には、尊敬と、そしてそれ以上の熱を帯びた、深い感謝の色が浮かんでいた。

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