第14話 聖女様、初めてのおつかい

下着売り場での一件で、俺は完全に魂を抜かれていた。

ベンチに座り、ぐったりと天を仰ぐ。

隣では、リリアーナが「悠人様、本当に大丈夫ですか?」と、心底心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでいる。

大丈夫なわけがあるか。いろんな意味で。


「……腹、減ったな」


俺は、無理やり話題を変えるためにそう呟いた。

壁の時計を見ると、針はとっくに十二時を回っている。

そろそろ昼食をとるべき時間だった。


「リリアーナ、昼飯にしよう。あっちに色んな店が集まってる場所があるんだ」


俺たちは、ショッピングモールの最上階にあるフードコートへと向かった。

ハンバーガー、うどん、たこ焼き。様々な飲食店の看板が並び、食欲をそそる匂いが漂ってくる。


「なあ、聖女様って、何か食べちゃいけない動物とかってあるのか? 豚はダメとか、牛はダメとか」

「いいえ、特にそういった決まりはございません」


リリアーナはきょとんと首を傾げた。


「生きるために食べるということは、他者の命をいただくということ。それは、どの命であっても等しく尊いことです。ですから、特定の命を禁忌とするのではなく、料理を作ってくださった方と、食材となってくれた命の両方に心から感謝していただくことが最も大切なのです」


その言葉に、俺は「なるほどな」と思った。

こちらの世界の特定の宗教のような、面倒な縛りはなくて安心した。

俺たちは、一番手近にあったハンバーガーチェーンの列に並び、ランチセットを2つ注文する。

俺が会計を済ませて商品を受け取ると、隣にいたリリアーナがレジの店員さんに向かって、深々と頭を下げた。


「美味しいお食事をご用意いただき、誠にありがとうございます。貴方のおかげで私は今日も生きられます」

「えっ、あ、ありがとうございましたー……」


突然の丁寧すぎるお礼に、若い女性店員は戸惑いながらも、マニュアル通りの挨拶を返す。

俺たちが席を探してレジから離れようとしたその時。

背後から、先ほどの店員さんの、小さなすすり泣きが聞こえてきた。


「……私、お客様からあんなに感謝されたの、初めて……。最近、嫌なお客さんばっかりで、もうこの仕事辞めようって思ってたけど……あの子みたいに思ってくれる人がいるなら……私、もう少し、頑張る……!」


……マジか。

リリアーナの無意識の人徳というべきか、またしても人の心を救ってしまった。恐るべし、聖女。

席に着くと、リリアーナは初めて見るハンバーガーとポテト、そしてコーラに目を輝かせていた。


「悠人様! この『はんばーがー』という食べ物は、パンにお肉と野菜が挟まっていて、一度に色々な味がしてとても美味しいです!」

「この『ぽてと』は、外はカリカリで中はほくほくですね!」

「この黒いお水は、口の中がしゅわしゅわします!不思議です!でも、とても美味しい!」


一口食べるごとに、満面の笑みで俺に味の報告をしてくる。

その姿は、本当に無邪気な子供のようで、俺は思わず頬が緩むのを止められなかった。

子を持つ親の気持ちって、こんな感じなのだろうか。なんてことを、ふと思ってしまう。


腹ごしらえを終え、俺はリリアーナに向き直った。


「さて、洋服屋と今のハンバーガー屋で、俺がどうやって注文して、お金を払ったか見てたよな? やり方は理解できたか?」

「はい!」


リリアーナは、こぶしをぐっと握りしめて自信満々に答えた。


「完璧に理解いたしました!」

「よし。それじゃあ、実戦だ。これから今日の晩飯の買い出しに行くから、会計は君にやってもらうぞ」

「お任せください、悠人様!」


俺たちは、一階にある食料品売り場へと向かった。

今日の晩飯はカレーにしよう。

俺はカゴを手に取り、じゃがいも、人参、玉ねぎ、そしてカレールーを次々と放り込んでいく。

リリアーナは、その後ろを「これがカレーというお料理になるのですね!」と、わくわくしながらついてきた。


こうして二人でスーパーで食材を選んでいるとなんだか、まるで新婚の夫婦みたいだな。

――という考えが、一瞬、頭をよぎった。


いやいやいや! 何を考えてるんだ俺は! 彼女は聖女様で、俺はただの保護者! そもそも彼女すらできたことないくせに!

俺はぶんぶんと頭を振って、不埒な妄想を追い払う。

チラリ、とリリアーナの横顔を盗み見る。

店内の光に透ける銀色の髪、長いまつげ、すっと通った鼻筋。

やっぱり、信じられないくらい可愛いな。

性格も素直で、心根も綺麗で……。

こんな子と、もし付き合えたら間違いなく幸せなんだろうな。


――そう、考えた瞬間。

俺の脳裏に、先ほどの試着室での出来事が、鮮明にフラッシュバックした。

スカートをたくし上げる彼女の姿が。


――パァンッ!!!


「いってぇ……!」


俺は再び、全力で自分の頬をひっぱたいた。


「悠人様!? 大丈夫ですか!? 何があったのですか!?」

「い、いや、悪い虫がいたから、叩いただけだ……」


びっくりして駆け寄ってくるリリアーナに、俺は赤くなった頬をさすりながら答える。


「だとしても、そんなに思いっきり叩く必要はないのではありませんか?」

「いや……このくらい痛い思いをしなきゃ、ダメなんだ……」


俺の答えに、リリアーナはますます困惑した顔をしている。

俺は強引に話題を逸らすように「さ、食材は揃ったし、レジに行くぞ!」と言って、足早にレジへと向かった。


レジに到着し、カゴを差し出す。

リリアーナは、ごくり、と唾を飲み込みながら、店員さんが商品のバーコードをスキャンしていく様子を緊張した面持ちで見守っていた。

その姿は、最終試験に挑む受験生のようだ。


「……ポイントカードは、お持ちでしょうか?」

「えっ?」


商品のスキャンが終わり、店員さんにそう問われたリリアーナは、完全にフリーズした。


「当店のポイントカードはお持ちですか?」

「いえ、知りません」

「えっ」

「えっ」

「まだお持ちになってないということでしょうか」

「えっ」

「えっ」

「お餅……?変化するということですか?」

「なにがですか?」


しまった、ポイントカードなんていう高度なシステムのことは教えてなかった!


「も、持ってます!」


俺は慌てて横から財布を取り出し、自分のポイントカードを渡す。

店員さんが告げた合計金額と、俺が渡した財布の中身をリリアーナは何度も見比べ、そして震える手でゆっくりと店員さんにお金を渡した。


お釣りとレシートを受け取る。

その瞬間、彼女の緊張の糸がぷつりと切れた。


「……できました……!」


リリアーナは、潤んだ瞳で俺の手を両手でぎゅっと握りしめた。


「私、お買い物ができましたよ、悠人様……!」


その声は、感極まって震えている。

まるで、国家を救うほどの偉業を成し遂げたかのような達成感に満ちていた。

そのあまりの喜びように、レジの店員さんも、俺たちの後ろに並んでいたおばちゃんも、何故かつられたようにパチパチと手を叩き始めた。


拍手は、瞬く間に周囲に伝染していく。


「皆様……! ありがとうございます! ありがとうございます! わたくし、このリリアーナ、人生で初めてお買い物をすることができました! これもひとえに、皆様の温かいご支援の賜物です!」


リリアーナは、鳴り響く拍手の中、何度も何度も深々と周囲にお辞儀を繰り返す。

いつの間にか、拍手だけではなく「おめでとう!」「よくやったぞ、お嬢ちゃん!」という声援や、口笛まで聞こえてくる始末だ。


ただ、スーパーで買い物をしただけなのに。

何だこの空間は。何が起こっているんだ。

俺は、スーパーのレジ前で巻き起こった謎の感動の渦の中心で、ただただ困惑するしかなかった。



それから全ての買い物を終えた俺たちは、帰りのバスに揺られていた。

窓の外を流れる景色をきらきらとした目で見つめるリリアーナの横顔を眺めながら、俺は今日一日を振り返る。

初めてのおつかい、初めてのハンバーガー、そして初めての服選び。

ウォシュレットに始まり、下着売り場での卒倒まで、本当に色々あった。正直、めちゃくちゃ疲れた。

だが、不思議と嫌な疲れではなかった。

隣で「楽しかったです」とでも言うように、幸せそうに微笑んでいるリリアーナを見ていると、その疲れもどこかへ飛んでいってしまう。

いつも見慣れた何の変哲もない日常の景色。

それが、彼女にとっては全てが未知で、新鮮な驚きに満ちた世界。

その純粋なリアクションの1つ1つが、俺にとっても忘れられない、楽しい出来事になっていた。


最寄りのバス停で降り、自宅へと続く道を二人で歩く。

両手には、今日の戦利品が詰まった買い物袋。その重みが、なぜだか心地良い。


「悠人様」


不意に、リリアーナが立ち止まり、俺の名前を呼んだ。

振り返ると、彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。


「本日は、私のために一日お付き合いいただき、誠にありがとうございました」

「いいって。気にしないで良いって言ったろ? 俺も、楽しかったからさ」


俺は、にかっと笑いかける。


「それに、君にはまだまだ教えなきゃいけないことが山ほどあるんだ。明日からも頑張ろうぜ!生徒さん」

「生徒、ですか?」

「ああ。俺が君の先生だ」


俺がそう言って悪戯っぽく笑うと、リリアーナも「はい、悠人先生!」と嬉しそうに微笑み返した。

その、瞬間だった。


「悠人……?」


曲がり角の向こうから、聞き慣れた声が聞こえてきた。

声がした方を見ると、そこには――制服姿の白石莉奈が、驚いた顔で立っていた。


しまった!

俺の背筋を、冷たい汗がツーっと伝う。

よりにもよって、一番会いたくない相手に、一番会いたくない状況で遭遇してしまった。

今日は健吾に「体調不良で休む」と伝えてもらっているのだ。

その病人が、白昼堂々、とんでもない美少女を連れて歩いている。どう考えても言い逃れできない。


「や、やあ、莉奈。い、今帰りか? っていうか、お前の家、こっちの方角じゃないよな? どうしてこの道を……?」


俺は、引きつった笑顔で必死に平静を装う。

莉奈は俺の言葉には答えず、じっと俺の隣に立つリリアーナに視線を注いでいた。その目は、明らかに訝しんでいる。


「……悠人が、病気だって聞いたから」


莉奈は、ゆっくりと口を開いた。


「たまたま、こっちの方に用事があったから、ついでにお見舞いでもしようかなって、思ったんだけど……」


その視線は、値踏みするようにリリアーナの全身を見つめている。


「……その、とんでもなく綺麗な外国人の方……は、どちら様……?」


莉奈の問いに、リリアーナはにこりと可憐な笑みを浮かべ、優雅にお辞儀をした。


「私の名前はリリアーナと申します。聖王国ゼガルオルムにて、聖女としてのお勤めをさせていただいております」


ああああああ! 言っちゃったよこの子!

俺は頭の中で絶叫する。


「リリアーナ……さん? せ、聖王国? 聖女……?」


案の定、莉奈は怪訝な顔で眉をひそめている。

まずい、このままではリリアーナがヤバい電波さんだと思われてしまう。


「あ、あー! 莉奈、この子は俺の父さんの友人のお子さんでさ、外国から来たばっかりで! 日本語はアニメで覚えたらしくて、ついこういう変な言葉遣いになっちゃうんだよ!」


我ながら、苦しすぎる言い訳だ。

莉奈は「そ、そうなんだ……?」と、全く納得していない顔で俺を見る。

そして残念ながら、絶妙な空気を読めないのが、我が聖女様クオリティだった。


「はい! 現在は、こちらの悠人様のお屋敷にて、ご一緒に暮らさせていただいております!」


「ど、同棲ぃ!?」


リリアーナの爆弾発言に、莉奈は目を見開いて後ずさった。その顔は、みるみるうちに青ざめていく。


「ち、違う違う違う! 同棲じゃない! 断じて違う! ちょっと複雑な理由があって、住む家がない彼女を、ごく短期間、俺の家で保護してるだけであってだな!」


俺は必死に手を横に振って否定する。だが、聖女様の追撃は止まらない。


「本日は、お優しい悠人様に、この世界で着るためのお洋服と、それから下着も買っていただきました。こちらです!」


そう言うと、リリアーナは悪気なく、にこやかな笑顔のまま、自分が穿いているスカートをひらりと捲り上げた。


「悠人様にお選びいただいたのですが、とても可愛らしいデザインですよね!」


白昼堂々、公道で披露される、淡いピンク色の新品のレース。

その光景を目の当たりにした莉奈は、完全に固まった。

そして、次の瞬間、わなわなと震える指で俺を指差し、絶叫した。


「な、なななななななな! 見損なったわよ、相葉悠人! こんな純粋そうで可愛い子に、なんてことさせてるのよ! 最っ低ぇぇぇぇ!!」


そう叫ぶなり、莉奈は踵を返し、猛スピードで走り去っていった。その背中からは、悲しみと怒りのオーラが立ち上っているように見えた。


後に残されたのは、がっくりと膝から崩れ落ちる俺と、不思議そうに首を傾げるリリアーナ。


「悠人様のお知り合いの方は、あんなに急いでどうされたのでしょうか? 何か、急用でもおありだったのでしょうか?」


俺は、うなだれたまま、力なく呟いた。


「……リリアーナ」

「はい、悠人様」

「人前で肌を見せちゃいけない、って約束に、1つ追加だ」

「はい?」

「人に、スカートの中を見せるのも、絶対に二度とやっちゃダメだからな……」


俺の絞り出すような声に、リリアーナは「? はい、承知いたしました」と、よくわからないまま、素直に頷くのだった。

俺の誤解が解ける日は、果たして来るのだろうか。

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