『TRINITY RAGE ―三極の咆哮―』

冬野トモ

第一章:香港、血の出会い

 2050年6月、香港。


 九龍ガウロンの裏路地にある違法カジノ「紅龍」は、今夜も欲望にまみれた人間たちで溢れていた。


 神崎かんざき 龍司りゅうじはバーカウンターに座り、三杯目のウイスキーを空けた。二十五歳、全身に和彫りの刺青、右目の傷跡。元自衛隊特殊部隊の男は、今や指名手配犯だった。


「日本のパスポートか。珍しいな」


 バーテンダーが皮肉っぽく言った。


「日本じゃ居場所がねぇんでな」


 龍司は短く答えた。


 三ヶ月前、妹が消えた。人身売買組織にさらわれたと知り、龍司は単独で組織のアジトに殴り込んだ。十七人を病院送りにしたが、妹は見つからなかった。そのまま除隊、いや、正確には逃亡だ。


 日本は地獄だった。独裁政権が五年前に誕生し、隣国への憎悪を煽ることで支持率を保っていた。経済は崩壊。若者に未来はない。

 それは〝隣国〟とて状況は同じなのだが。


 ——くだらねぇ。


 龍司が四杯目を注文しようとした時、カジノのフロアが騒がしくなった。


「おい、中国人が来たぞ!」


「しかもデカい! 二メートルはある!」


 龍司が振り返ると、確かに巨漢の男が入ってきた。


 筋肉の塊のような体、短髪、凶暴な目つき。ジャケットの下に複数の銃を隠しているのが、龍司の目には見えた。


 男はカウンターの反対側に座り、中国語でバーテンダーに何か言った。


リー ウェイロン、お前には出入り禁止を言い渡したはずだ」


 バーテンダーが英語で答えた。


「前回、お前はディーラーを半殺しにした」


「あのクソ野郎がイカサマしてたからだ」


 ウェイロンは低い声で言った。


「俺は公平なゲームがしたいだけだ」


「帰れ。でなければ、警備を呼ぶ」


 ウェイロンは鼻で笑った。


「警備? あの三流どもか?」


 その瞬間、カジノの入口から十人ほどの男たちが入ってきた。全員がスーツを着て、腰に銃を下げている。


 先頭の男が叫んだ。


「動くな! ここは我々が接収する! 大人しくしていれば命は取らない!」


 カジノの客たちが悲鳴を上げる。


(警備?)


 ——違う。人身売買組織だ、と龍司は直感した。こういう場所に来る金持ちの中には、〝特別な商品〟を買いたがる外道がいる。


 龍司は静かにカウンターから立ち上がった。


 同時に、ウェイロンも動いた。


「おい、中国人! 座ってろ!」


 組織の男がウェイロンに銃を向けた。


 ウェイロンはその銃を掴み、一瞬でへし折った。


「中国人で悪かったな」


 そのまま男の顔面にこぶしを叩き込む。


 カジノが一気に戦場と化した。


 龍司は最も近くにいた男の銃を奪い、その男のあごに肘を叩き込んだ。


 男が崩れ落ちる。


 別の男が発砲。龍司はテーブルを蹴り倒して盾にし、低い姿勢で接近。男のひざを蹴り砕き、そのまま首に腕を回して絞め落とす。


 五秒。


 ウェイロンの方はさらに速かった。三人の男を同時に相手取り、まるでサンドバッグのように扱っていた。


「日本人! そっちだ!」


 ウェイロンが叫んだ。


 龍司が振り向くと、組織の男たちが奥の部屋から子供たちを引きずり出していた。


 十人ほど。五歳から十歳くらい。全員が怯えた顔で泣いている。


商品・・を運ぶぞ! 急げ!」


 龍司の視界が赤く染まった。


 妹の顔が浮かんだ。


「……テメェら」


 龍司は走り出した。


 組織のリーダーらしき男が、龍司に向けて発砲。龍司は体を捻って弾を避け、そのまま男に肉薄。


 顔面にこぶし


 腹にひざ


 崩れた男の顔を掴んで、床に叩きつける。


「ガキに手ぇ出す外道は、死んでも許さねぇ!」


 ウェイロンも突進してくる。倒れていた組織の男から日本刀を奪い、龍司に投げた。


「使えるか!」


「誰にモノ言ってやがる!」


 龍司は空中で刀を掴み、さやを払った。


 二人は背中合わせになり、迫りくる組織の男たちと対峙する。


「何人いる?」とウェイロン


「二十……いや、三十は超えてるな」と龍司。


「ハッ、ちょうどいい運動だ」


 二人は同時に動いた。


 龍司の刀が閃き、三人の男の武器を弾き飛ばす。ウェイロンの拳が、二人の男を同時に殴り倒す。


 息が合っていた。


 初めて組む相手なのに、まるで何年も一緒に戦ってきた相棒のように。


 だが、敵の数は多すぎた。



 五分後、龍司とウェイロンは劣勢。


 二人とも複数のじゅうそうを負っている。龍司の左腕から血が滴り、ウェイロンの額が割れていた。


 それでも、子供たちは守り切っていた。二人の背後で、子供たちが怯えて固まっている。


「クソ……まだ来やがる」


 龍司が呟いた。


 カジノの入口から、さらに増援が入ってきた。十人以上。全員が自動小銃を持っている。


「本隊か……」


 ウェイロンが吐き捨てた。


「悪ぃな、日本人。道連れにしちまう」


「謝るな。俺が勝手に突っ込んだんだ」


 龍司は刀を回転させ、構え直した。


「それに、ガキは絶対に渡さねぇ。指くわえてるはなれどもは、ピーピー喚きながら母親のおっぱいを強請ねだってればいいんだ」


「ハッ、気に入ったぜ、お前」


 ウェイロンは拳を握った。


 二人は最後の突撃を覚悟した。


 その瞬間——


 カジノの天井が割れた。

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