第44章 SE、育成方針書を作る。

その日、俺はギルドの応接室に呼び出された。


部屋の中央には、いつもの鎧姿ではなく、

落ち着いた黒の上衣をまとったアレクス――

いや、“所長”とでも呼ぶべき姿で座っていた。


「来てくれて助かる。

 マイト、お前に頼みたいことがある。」


第一声がそれだった。


「……なんですか? 改まって」


「訓練所の育成方針書(カリキュラム)だ。

 ――作ってほしい。」


「……ほぉ?」


思わず聞き返してしまった。


アレクスは、分厚い紙束を机の上に置いた。

ズシリ、と木製の机が鳴るほどの重量。


「これが俺のアイデアだ。

 全部、“冒険者に必要だと思うこと”を書き溜めてきた。」


紙束を開くと、そこには文字がぎっしり並んでいた。


 ――食べられる草の一覧

 ――薬草と毒草の見分け方

 ――剣技の体系

 ――体術の基礎と応用

 ――魔獣・魔物の弱点

 ――罠の作り方・外し方

 ――世界各地の地図

 ――街や村の特徴

 ――伝承や歴史

 ――サバイバル術

 ――撤退判断の哲学


……なんだこの情報量。

ノート10冊ぶんの授業メモを、

ひとまとめに殴りつけたような密度だ。


「アレクス……これ、全部ですか?」


「ああ。だが――まとめきれん。」


「そうでしょうね。」


アレクスは腕を組み、静かに続けた。


「俺には経験はある。

 だが、体系立てるのが苦手だ。

 これを“教育”として形にできるのは……

 お前だと思った。」


その言葉を聞いた瞬間、

俺は少しだけ胸の奥が熱くなった。


たしかに俺はSEだった。

膨大な要件を聞き取り、

混乱した仕様を整理し、

図面に落として形にする仕事をしてきた。


この世界でも、仕事の本質は変わらない。


「受けますよ、アレクス。」



アレクスは嬉しそうに笑い、

分厚い紙束を俺の前へ押し出した。


「これをベースに構築してくれ。

 分からない点は何でも聞いてほしい。

 訓練所の理念は、ひとつだ。」


アレクスは迷いなく言い切った。


「生きて帰る冒険者を、育てる。」


その言葉に、

この街に生きる人間としての“願い”が全部詰まっていた。


俺は紙束を持ち上げた。

ずしりとしたその重みは、

英雄が積んできた経験そのものだ。


「よし……やってみるか。」


ギルドを出て、大通りに足を踏み出す。

夕陽が街を照らし、どこか祝祭の余韻が漂っていた。


これから作るのは、

アレクスの理想と、冒険者たちの未来をつなぐ“道”だ。


だが、ひとりでやるには膨大な作業になる。

理念から学科構成、授業内容に進級基準、運営ルールまで……

どれもこれも、一人で抱え込める量じゃない。


(……これは、みんなの協力が必要だな)


さて、誰に頼もうか。


まず、真っ先に声をかけたのは――

魔法使いルナだ。


あのスマホへの異常な好奇心、

新しい知識への食いつきの良さ。

わかる。あいつは俺と同じ側の人間だ。


ルナなら、この手の“まとめ作業”は間違いなく得意だし、

何より――好きだろう。


「ルナ、訓練所の育成方針書(カリキュラム)作りなんだけど――」


「おもしろそうだな。いいだろう。手を貸そう。」


案の定、目をキラッキラに輝かせて前のめりだ。


……うん、知ってた。


まずは、俺と並んで走ってくれる 相棒 はルナで決まりだ。


次に思い浮かんだのは――ミカだ。


ギルドの受付嬢として、書類作業は手慣れたものだろう。

そして何より、ルナの言うことなら素直に聞く。


「ミカ、ルナも参加するんだけど――」


「……え? ルナさんが?

 じゃあ、私も手伝ってあげる!」


ミカの反応の速さに、思わず苦笑してしまった。

ルナが関わると知った途端、目の色が変わるのは、

まあ……いつものことだ。


でも、その素直さがありがたい。

一緒にやってくれるだけで十分だ。


次に声をかけたのは新米僧侶のマルコ。

優等生僧侶。真面目で努力家で、ポテンシャルも高い。


「手伝わせていただきます、先生」


即答してくれた。ありがたい。


レオは……まあ、こういう書類関係は得意じゃない。


「レオ、もしよければ――」


「ハハッ、力仕事なら任せておけ!」


うん、知ってた。

でも、いざという時は絶対に役に立つ。

何かあれば、その時に頼ることにしよう。


ギルドの空き部屋をひとつ借り、

俺たちはそこを“プロジェクトルーム”として使うことにした。


夜な夜な集まり、

資料を広げ、議論し、時に脱線しながら――

本気で訓練所の未来を作っていく。


ルナは俺の読み通りだった。

いや、それ以上だ。


分厚い資料を一晩で読み込み、

内容を理解し、関連を整理し、

気づけば俺の“良き相談相手”になっていた。


「マイト、これって前のページの“撤退判断”と繋がるんじゃないか?」


「そうか……じゃあ、基礎科に“危険予測”としてまとめるか。」


「それなら、後衛の動きも反映したほうがいいな!」


話が早い。

“あれどこだっけ?”

“あれはあそこだな。”

――そんなレベルの阿吽の呼吸。


これだよ。

俺が求めていた“相棒”は。


「ミカ、この項目を一覧にしてくれるか?」

ルナが指示を出す。


「え??、夏休みの宿題みたい??!」


文句を言いながらも、まんざらではない様子だ。


マルコはというと――


「先生、この一覧、見やすいように項目を整理しておきました!」


「おお……仕事が早いな」


優等生っぷりがすごい。

ああ、こんな部下が現実世界にも欲しかった。


ときおり、レオが差し入れを片手に顔を出してくれる。


「よぉ、進んでるか?」


レオが来ると、

なぜか部屋の空気が少しだけ軽くなる。


そして幾日かが過ぎ――

俺たちはついに、

アレクス冒険者訓練所の育成方針書(カリキュラム)

を完成させた。


資料の山、議論の山、書き直しの山。

夜ふかし続きで、全員クマができていたが……


(……いや、これ、久しぶりに味わうやつだ)


――そう。

このシステムを無事に納品したときの達成感。


会社員時代、

新しいアプリのリリースや大型案件のローンチで味わった、

あの“プロジェクトが形になる瞬間”の感覚だ。


異世界に来ても、やっぱり同じなんだな。


「アレクス。

 育成方針書(カリキュラム)、一式持ってきました。」


分厚い資料を机に置くと、

アレクスは黙って、ゆっくりと手に取り――

真剣な顔でページをめくり始めた。


全員が固唾を飲んで見守る中、

数分後、アレクスは静かに顔を上げた。


「……すばらしい。

 まさに、俺がやりたかったことだ。

 いや……俺が思いつきもしなかった視点まで盛り込まれている。」


その声には、誇りと安心が混じっていた。


「ありがとう。

 お前たちが作ったこれが――

 この訓練所の礎となる。」


俺たちは思わず顔を見合わせた。

ルナは誇らしげに胸を張り、

ミカは“やった!”と小さくガッツポーズ。

マルコは丁寧に礼をし、

レオは「よくやったな!」と俺の肩をバシンと叩いてきた。


(痛ぇ……でもまあ、悪くない)


どこか懐かしい、

プロジェクト完了の“打ち上げ直前”の空気がそこにあった。


アレクスの理念

「生きて帰る冒険者を育てる」

を体現化した育成方針書(カリキュラム)が、

こうして完成したのだった。

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