第2話:状況把握
私は今、母に抱かれて子守唄を聴いている。最高に心地良い。
私は
精神的にはどうか分からないが、少なくとも肉体的には赤子ではなかった。
こんなに心地良い待遇を、
……何がどうしてこうなったのか……?
私はまどろみながら、思い出してみる。
最近、印象に残った出来事は何だったか——
◇
「先生!ロボットが動きました!」
「マジか!」
ああ……そうだ。
その日の仕事を始めてすぐ、ノックもせずに
輝くような表情と興奮する様子から、実験成功の喜びがすぐに伝わってきたことを覚えている。
心底嬉しかった。
久々の感覚だった。
私がロボットをちゃんと研究し始めたのは、数年前。
それまでは色々な仕事を転々とし、目の前のことに必死になっていた。
なんとなく、自分が本当にやりたいことが見つかると予感し、この分野に飛び込んだ。
幸いにもその予感は的中し、最近になって、自分が生涯をかけてもやりたいこと、つまり自分の夢が何なのか分かってきた。
どうやら私は、あまりにも便利で凄くて、誰もが利用したくなるような技術……いわゆる『基盤技術』というものを創りたかったようだ。
そんな技術を創れるのは本当に一握りの研究者だけだし、大それた夢であることは分かっている。
しかし、この夢を意識すると、不思議とやる気が湧いてきた。
……夢に気づくと同時に、もっと早くこの夢に気づきたかったな、と思った。
36歳。若手賞の対象ではなくなる年齢だ。
周囲には20代のうちから脚光を浴びている研究者がたくさんいる。
もちろん夢を諦めるつもりはないが、もっと早く気づいていれば、今より軽い足取りで、夢に突き進んでいたかもしれない。
……まあ、あくまで可能性の話。
確実に変わるのは、かける時間の長さくらいだろう。
結局はコツコツやっていくしかないのだから。
『——
……そういえば、こんなメッセージを送った。
まだ20代で若く、賞にも、何にでも挑戦できる。
大きな研究成果というものは、しょっちゅう得られるものではない。
しかし、今回の成果は大きな研究成果に違いない。
良い論文に仕上げたい。
「……よし、まずはこんなもんかな」
時刻は20時。コメントを付け終わった。
椅子から立ち上がり、少し広いスペースに移動する。
腰痛と肩こり対策のため、一息ついたときには、こうして肩甲骨が動くように、腕を大きく上下するようにしている。
耳には周囲の雑音を消すイヤホン。
音楽は何もかけていない。
夜の大学は静かだが、エアコンや換気扇の音を消すと、さらに集中しやすくなるのだ。
ドスッ
突然、イヤホンでは消せない、自分の身体を伝わる音が聞こえた。
同時に背中を、熱いような、痛いような感覚が襲う。
あまりの強烈さに意識が遠のいていく。
……もしかして、刺された……?
私はそのまま、あっけなく意識を失った……。
◇
——そうか、刺されて死んだのか……。
私はベビーベッド……というか岩? くり抜かれた岩に敷かれた布の上で目を開け、ぼんやりと茶色い天井を眺める。たぶんあれも岩なのだろう。
刺された、ということは誰かの恨みを買っていたということだ。
心当たりはないが、自分が知る世界が全てじゃない。
何か私が知らない事情があり、私を恨む人がいたのかもしれない。
「…………ばぶ」
私はため息をつく。……赤ちゃん流ため息は今ので良かったか?
……赤ちゃんってため息するんだっけ?
(……っ! あなた! ドコウが喋ったわ!! バブって!)
急に周囲が騒がしくなったが一旦置いておく。
……夢、終わってしまったな……見つけてから終わるまで早かった。
私には家族はいなかったので、そういった未練はない。
あれを発表すれば大丈夫だろう。
(……なにィ!?
親バカの波動を感じるが、やはり一旦無視して考え続ける。
……できればもう少し、夢に挑戦してみたかった。
関連する技術の知識を深め、色々なことを試し、コツコツと理論を創り上げてみたかった。
それもまあ、死んでしまったのなら仕方がない……。
…
……あれ?
私は今、生きているのだった。
いわゆる転生……。
にわかに信じられないが、これはむしろ、チャンスじゃないか?
しかもどうやら私はドワーフ族。ドワーフといえば技工に優れた種族というのが定番だ!
気づきが、確信に変わっていく。
……この世界で夢を叶えよう。
ようやく見つかった一生の夢に、
でも、良いじゃないか!
どうせよく分からない転生後の人生、好き勝手にやってもいいだろう!
(あなた見て、ドコウの顔……!)
(なんて良い目してやがる……! こんな目をする赤子は見たことがねェ……! ……よォし分かった! ワシに任せておけ!! ……だがすまねェ、ワシが教えられるのは拳術だけだ。しばらくは、それで我慢してくれよ!!)
生きる気力が湧いてきた……!
父と母も興奮しているようだ。
まずはこの世界、そしてこの世界の技術について知らねばならない。
ドワーフがいるくらいだから魔法だってあるかもしれない。
きっと前世では考えもしなかった技術体系が広がっているはずだ……!
私の頭はまだ見ぬ技術への期待でいっぱいになった。
◇◇◇
「ドコウ、二歳のお誕生日、おめでとう!」
手料理を用意してくれた母の声だ。
テーブルには、もう、とにかく肉。すごい肉。
「かぁさん、あぃがとう」
母、号泣。
「ドコウ! 祝いだ!」
コトッ
小ぶりのハンマーだ。
「とぉさん、あぃがとう」
泣き崩れる父。
私、ドコウの両親は親バカだ。 発症から二年、症状は悪化する一方である。
私が転生してからもう二年が経った。
ドワーフの成長速度は前の世界の人間と大差ないようで、この2年間は基本的な身体の動かし方などを覚える期間……になるはずだった。
とにかく私を天才だと信じ切っているこの両親だ。
今振り返ると、のんびりした子育てをするはずなどないことは、明らかだった。
誕生日。
いい機会だ。ざっくりと思い返してみよう……。
◇◇◇
まず生後すぐ、母に抱かれ、全ての村人にたっっっぷり紹介された。
母はちゃんと挨拶をするにはするのだが、その後の話のボリュームが凄すぎて、挨拶の印象は残らない。
ドコウはすでに言葉を話せるだとか、ドコウは将来剣聖になるだとか、ドコウのゲップはセンスがあるだとか、もうとにかく止まらない。
ドワーフのイメージをそのまま形にしたような父とは違い、母はあまりドワーフのイメージと一致しない外見をしている。
まず父よりもずっと若く見えるし、体型もやや細身だ。
耳も少し尖っているので、エルフを彷彿とさせるが、しっかり筋肉がある。
第一印象の通り物腰は柔らかいが、どこか芯のある性格で、あの豪快な父と対等……か、むしろ少し尻に敷いているようだ。
村人たちからの人望が厚いのも、族長の妻だからというだけでなく、母の個性に依るところが大きいのだろう。
そういったわけで、永劫に続くとも思われる息子の自慢話にも、皆は嫌な顔一つせず、まるで我が子の話のように興味を持って付き合ってくれた。
もしかすると本当に、村人全員が私を我が子のように思っているのかもしれない。
というのも、この村に子どもは私だけなのだ。
村人の人数は全部で37人、男女比はほぼ均等だが、全員が成人している。
赤子が珍しく、可愛くて仕方ないのかもしれない。
村人は全員が筋肉質だ。
同じドワーフ族なのだから、身体的特徴が似ているのは当たり前なのだろう。
しかし、父ほどドワーフドワーフしている人はいない。
特にガタイの良さと声のでかさにおいて、父の右に出るものはいない。さすが族長だ。
村人は基本的に採掘や鍛冶の仕事をしているようで、この点も私の知るドワーフのイメージにぴったりだった。
……さて、なぜ正確に37人と分かるのか? 一日中、何度も何度も数えたからだ。
村人一人ひとりに母の話が繰り返される間、村の観察くらいしかできることがなかった。
母の話は終わりそうにない。
……母の愛を感じながら、村の観察を続けたところで、私の記憶は途絶えている。
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