第30章 — 傷を伴う救済
リョクはトンネルの出口へふらつきながら歩いた。
一歩進むたびに、
見えない潮流に逆らっているようだった。
夜の冷気は肌を切り裂くように鋭く、
空気は重く、詰まり、
消し去れない囁きが混ざっていた。
逃げたい。
隠れたい。
この体の中に巣食う“それ”を
自分の手で引きずり出して捨てたい。
そして――
不可能に近い願いを、
それでも抱いてしまう。
救い。
存在が隣に現れ、
もはや“体”を持ち始めた影が
ぴたりと寄り添って歩く。
「無駄だ。」
その声は低く、忍耐強く、毒のように優しい。
「救済など……行き止まりのカーブにすぎない。」
リョクは無視して歩き続けた。
たどり着いたのは、
人のいない広場。
街灯は点滅し、
この場所だけは
何となく“生きていない”静けさがあった。
リョクは深く息を吸った。
「……俺は……これを止めたい。」
その声はひどく壊れていて、
まるで“人間の声の出し方”を
思い出している途中だった。
そのとき――
足音が響いた。
ミカ。
広場の端に現れた彼女は、
息を切らし、
絶望と恐怖を混ぜた目で彼を見つめた。
「リョク!」
彼女は恐怖を押し殺して駆け寄る。
「街中探したのよ! なんで電話に出ないの!?
何が起きてるの!?」
リョクは後退った。
彼女が怖いのではない。
自分自身が怖いのだ。
「ミカ……行け。頼む。今すぐ。」
「行かない。」
彼女は即答した。
「あなたが苦しんでるのは分かる。
戦ってるのも分かる。
あなたの目を見れば……まだ、あなたがいるって分かる!」
リョクは拳を握った。
震えが走る。
人間の震えではない。
ミカの存在に反応して、
存在が獣のようにうなっていた。
影は背後で伸び上がり、
壁をよじ登るように形を変えていく。
ミカは怯え、
半歩下がった。
それでも逃げなかった。
「まだ……あなたを信じてる。」
彼女は震える声で囁いた。
存在がリョクの頭の中で怒り狂う。
「この人間は邪魔だ。
殻に亀裂を入れる存在。
お前を弱くする。」
「黙れッ!!」
リョクは叫んだ。
影はさらに実体を増し、
長い腕、刃のような指、
完全に彼とは別の動き。
ミカは両手でリョクの頬を包み込んだ。
恐怖を抱えたまま、それでも近づき――
「リョク……見て。
あなたは“これ”じゃない。
傷つけるために生まれたんじゃない。
まだ……戦えるはず。」
胸の奥で、
何かが震えた。
痛み。
懐かしさ。
人間性。
存在は激怒した。
影が世界を裂くように膨れ上がり、
リョクの半身から離れていく。
この世を引き裂くつもりで。
ミカに襲いかかるように影が動いた瞬間――
リョクの体が反射的に動いた。
黒い炎のような激痛が腕を焼き、
それでも彼は影を押し返した。
影は――
ほんの一瞬、
たった一瞬だけ、
止まった。
その一瞬を、
リョクが勝ち取った。
ミカは震えながら彼を抱きしめた。
「あなた……まだいる……!」
だが存在は、
これまでで最も激しい怒りで襲いかかってきた。
影が巨大化し、
歪み、
黒煙の巨人のように形作られる。
「選べ。」
存在が吠えた。
「彼女を殺すか――
私に従うか。」
リョクは膝をつき、
頭を抱え、
息を吸うことすら苦しみになった。
地面が震える。
広場全体が呼吸しているかのように脈打つ。
ミカは必死に彼の腕を引くが、
リョクは理解していた。
ここに彼女を残せば――
死ぬ。
残された“人間の力”を振り絞り、
リョクはミカを押し離した。
「走れッ!!
今すぐだ!!」
ミカは涙を浮かべ、
迷いながらも逃げていった。
影は止まった。
リョクの“選択”に満足したかのように。
存在は甘い囁きで告げる。
「ほら見ろ。救おうとした結果……
危うく殺しかけた。
私よりも……“善意”のほうが、よほど痛むだろう?」
リョクは広場の中央で震えながら、
頭を抱え、
孤独の中に沈んだ。
そして――
“微細な変化”がやって来た。
顔を上げたとき、
彼は気づいた。
自分の歯が鋭く伸びている。
そして街灯の反射の中で――
彼の影は、
まばたきをしていた。
本人とは別に。
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