第6話 去り行く友人
「申し訳ありません!」
涼花の部屋にやって来た美紀は、その場で土下座をした。
涼花が自分を庇わなければ、火傷など負わなかったのである。美紀は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
いくら同じ仕事をしていたとしても、涼花が伊納家の娘であることには違いない。美紀が火傷を負う事と涼花が火傷を負う事は、その重みが違うのだ。
「そんなふうに、かしこまらないで。私は、あなたが無事なことが嬉しいのだから」
涼花は、にこにこと笑っていた。
涼花の笑顔には、裏などない。心の底から、美紀に怪我がなくて良かったと思っていたのである。
「でも、涼花様の顔には火傷の痕が……」
美紀は、涼花の縁談に支障がでることを恐れていた。
美紀は庶民だから、顔の傷を気にしない男だって見つけやすいはずだ。そもそも庶民と言うのは働きづめで、癒えない傷を持っている娘だって少なくない。
「気にしないで。顔の傷なんて、どうにでもなるわ。私のところには、どうせ良い縁談なんて来ないだろうし」
涼花の縁談を決めるのは、両親である。
涼花は自分のことを嫌っている良子が、良縁を持ってくるとは思わなかった。だからといって、いつまでも女中のままでいさせられるとも思えない。
数年もすれば、風馬が家に帰ってくる。そうなれば、良子は今までのように大きな顔は出来なくなるだろう。
だから、風馬が卒業する前に嫁がされる。
涼花は、そんな予感がしていた。
「お姉さま!」
涼花の部屋にやってきたのは、莉緒である。
普段だったら近づくことすら嫌がる涼花の部屋だと言うのに、今日に限って莉緒は躊躇いもなく襖を開ける。
莉緒の顔はとても楽しそうで、それに涼花は嫌な予感を覚えた。こういう時の莉緒は、大抵の場合は涼花を苦しめるからだ。
「お父様とお母様が呼んでいるわよ。はやくいらっしゃい。ほら、急いで」
臥せる涼花に労りの言葉一つもなく、莉緒は姉を急かした。美紀は、莉緒に涼花を休ませるように言いたかった。
しかし、莉緒は美紀の主だ。
口答えは、許されない。
「分かったわ。すぐに準備すると伝えておいて」
涼花は微笑みながら、莉緒に告げた。
莉緒は淑女らしくなく舌打ちを一つして、涼花の部屋から去って行った。
火傷を負った涼花の様子に変わりがなくて、莉緒は不満だったのである。普通の令嬢のように涼花が嘆いていたら、莉緒の胸もすっとしただろう。
だが、涼花は微笑むだけである。
火傷など気にしていないというふうな涼花の顔は、莉緒を苛立たせるには十分であった。
「美紀さん、申し訳ないけれども着替えの手伝いをお願いできる。本当な化粧で火傷を隠したいところだけども、ヒリヒリしているから今回は無理ね」
身支度を整えるといっても涼花が持っているのは、女中たちが着ている木綿のものしかない。
涼花には、あえて新しい着物が支給されていない。そのため、持っている着物は全てがボロボロだ。
そのため、涼花は自分が持っている着物のなかでは汚れもほつれも少ないものを選んだ。
普段から着ている着物は、本来ならば手伝ってもらうようなものではない。
けれども、今日に限って涼花は、美紀に着替えを手伝わせた。そうやって、美紀の罪悪感を少しでも減らそうとしたのである。
「涼花様……。どうか髪も整えさせてください」
美紀は、出来る限り涼花の手つきを真似して髪をまとめようとする。しかし、涼花にやってもらったように綺麗にまとめることができなかった。
おかしな風になってしまって、最後には涼花が自分で髪をまとめることになった。
「申し訳ありません……。私……なんにもできなくて……」
美紀は、頭を畳に擦り付けて謝った。
美紀は、自分が不甲斐なくてたまらなかった。自分のせいで涼花が火傷をしたにも関わらずに、身支度さえも手伝うことが出来ない。
自分が何のために生きているのかも、美紀には分からなくなっていしまった。
「気にしないで。誰にだって、得意不得意はあるわ。美紀さんは、とても丁寧にお掃除をしてくれるわ。世話焼きで、後輩の子にも仕事を教えてあげているじゃない」
にこにこと笑いながら、美紀の良いところを涼花はあげる。
けれども、美紀から申し訳ない気持ちは消えることはなかった。
「涼花様……。この家での女中を辞めさせてください。私は、何もできない。……こんな足手まといでは、もう……」
美紀は、とても苦しそうであった。
自分のせいで涼花は火傷をした上に、役にも立てない。こんな自分に価値などない、と美紀は考えてしまったのである。
涼花は、ふぅと息を吐いた。
「美紀さん、あなたに悪いところはないわ」
涼花の言葉に、美紀は首を横に振った。
そんな美紀の姿を見て、涼花と彼女とは共にいれないことを察した。無理に涼花の側にいても、美紀が辛くなるだけであろう。
美紀を友人だと思っていた涼花の胸には、冷たい風が吹いた。その冷たさに震えながら、涼花は美紀のために彼女が伊納家の女中を辞める事を了承した。
すぐにでも美紀は女中頭に理由を言って、屋敷を去って行くだろう。涼花にとっては、とても寂しいことであった。しかし、自分の進退を決めた友人に文句は言えない。
美紀の人生は、美紀のものだ。
涼花が口出しするべきではない。
「最後に言うわ。あなたは、何も悪くない。だから、元気で過ごしてね」
美紀は、部屋を出た。
そのときになって、ようやく涼花は涙を流した。学校に通っていた頃の友人が訪れてくれないことで孤独を味わっていた涼花にとって、分け隔てなく接してくれた美紀の存在は救いであった。
けれども、それも失われた。
「一人に……一人になってしまったわ」
涼花は、自分の胸に手を当てる。
胸のなかはまだ冷たくて、どうすれば良いのか分からなくなる。
「笑顔を……。笑顔を作らないと……。私には、まだお兄様がいるのだから」
涼花は、無理にでも笑顔を作った。
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