5.味覚を失った少女と世界の香り


 どれくらい歩いただろうか。もう十キロメートルは歩いた気がする。綺麗に切断された蛇肉は布に包まれて鞄の中に入っている。



 背後では息切れをしながらも、なんとか着いてきているロロの姿が見える。義腕と義足が重いのかもしれないが、ロロは弱音は吐かなかった。


 それに気を遣われる方がロロは嫌いだ。あまり声をかけない方が良いのかもしれないと思い、声はかけられたなかった。


 昼はロロが蛇肉を調理してくれたが、アーチェは不味いと連呼していた。ロロは料理が下手なのは本当の話だったようだ。


 ロロが作ったのは蛇肉を入れたスープだったのだが、なかなかに手が込んでいた。味さえ良ければ、完璧な昼食だった。


「あ、開けた場所が見えてきたよ」


 アーチェが声を上げて駆け出した。ソラもアーチェの背中を小走りで追いかける。どうやら森を抜けるようだ。


 光に誘い込まれる虫のように二人はその場に吸い寄せられていた。段々と光が大きくなっていき、人の声が聞こえ始めた。


 一瞬、眩しい光が目に飛び込んでくる。あまりの眩しさに瞬きをしていると、しばらくしてこれが太陽の光だと理解した。あまり愉快なものではない。


 そこには広場があり、身軽な服装の者や、逆に鎧をビッシリと着込んだ者たちがいた。人種は多種多様なようだ。ざっと見ると獣人、エルフ、ドワーフ、人間族。珍しく鬼族などもいる。他の探検隊の人達だろう。


 広場に現れたソラ達に少し目を向ける者もいたが、やがて興味を失ったように目を逸らした。取るに足らないとでも思ったのかもしれない。競争しているというのは本当のようで、キャンプ地が明確に分けられていた。


 どうやらスカーフでお互いの所属を分けているらしい。テントの色もスカーフで決められているようだ。そういえばソラ達も青のスカーフをしていた。


 今まで意識したことがなかったが、所属の証だったようだ。


 離れた場所には露店が開かれているのが見え、小さな集落のようになっていた。ここを拠点として活動しているらしい。


 ロロも遅れてようやく辿り着き、膝を押さえると息を切らした。


「かなり人が集まってんな」


「競争っていうからもっと殺伐としてるのかと、思ったよ。意外に、みんな普通に会話してるね。露店もあるみたいだし」



 ソラは物珍ししさで、キョロキョロとしてしまう。これでは田舎から都会に出てきた人の反応だ。


「ここは休憩地だと思うよ。流石にこういった拠点があった方が、便利だと思ったんだろうね。探索隊の人達の中には色んな職業の人がいるから」


 アーチェは広場に足を踏み入れると、近くに座り込んでいる中年の男が声をかけてきた。腕には大きな傷がある。


 風貌だけは歴戦の戦士と言っても過言ではない。しかしあまり強い気配は感じなかった。手には酒が入った樽が握られている。


「ん? 船にいた坊主達じゃないか。遅かったな。お前らが最後だぜ」


「だろうね。テントを立てても構わないよね?」


「好きにしていいと思うぜ。お前らみたいな子供なんか誰も気に留めないだろうしな」


 男は手に持っていた酒をごくごくと飲み干した。酒臭い息が充満する。どこか舐めた態度の男だ。しかしこちらに害はなさそうである。


「僕はテントを立ててくるよ。ソラ達はその辺で情報集めお願い」 


「わ、分かった。ロロ、平気?」


 アーチェが広場の空いている方に向かうのを見届け、ソラはロロの背中をさすった。それを見てロロが少し身を引いた。


 どうやら、体に触られるのは嫌らしい。これから気をつけなくては。前は腕を引っ張られた気がするが、自信から触れることは平気なのかもしれない。


「あ、あぁ。大丈夫だ。情報収集だよな。とりあえずあの露店の方に行ってみないか」


「ロロ、食べることばかり考えてる」


「そんなことない! 食事の場では口が軽くなるって言うだろ? それと同じ」


 ロロの目にはもう露店しか映っていなかった。それを言うなら、お酒の場だと思うが、露店は人で賑わっているため、情報が集められる可能性は高い。


 ソラはロロと並んで露天に向かって歩き出した。辺りには人が散らばっており、時折こちらを物珍しそうに見ていたが、すぐに目を逸らした。


 新参者を見ただけなのだろう。その視線にもだいぶ慣れた。


「ねぇ、さっき子供って言ってたけど、私って幾つなんだろう? ロロは知ってる?」


 ロロに昔のことはどうでもいいじゃないかと言われたが、自分の年齢、それぐらいは把握しておきたい。年齢が分からないなんて、これから先苦労する。


 そう。例えば、飲酒をするときとか。水辺に映ったソラの顔は十代中盤ほどに見えたが、実際にいくつなのかは聞いてみなくては分からない。


「……、ソラは十四だよ。ちなみに俺は十五。アーチェに関してはよく知らないんだ。そもそも人間族かも分からないから、もしかしたら俺達より歳上の可能性もあるかもな。人間族に近い種族は多いからな」


 ロロはそう言うと考え込み始めた。自身の年齢は予想より、少し年下だった。アーチェに関しては未だに謎だ。確かに人間に似た種族は多くいる。彼が人間族ではないこともあり得ないことではない。そう考えると、ソラもロロも人間なのか疑問が湧き上がったが、それ以上は聞かなかった。


 それは知らなくてもいい気がした。ソラの知識は曖昧だ。知っている事と知らない事がある。種族の種類については知っているが、覚えていないことは幾つかある。


 きっと覚えていないことはそんなに重要なことではないのだ。


 そんな会話をしている内に、露天に辿り着いた。


「わぁ」


 ソラは露店の華やかさに目を輝かせた。隅々からいい匂いが漂ってきている。見たことがない魚の串焼きに、米料理、麺料理。


「アデアでは、通貨の持ち込みは禁止されてたのに、どうやって買ってるんだろうな?」


 ロロは行き交う人々が口にしているものを見て、疑問を呈した。ソラは思い立った言葉を口にする。なにより、それしか思い浮かばない。


「物々交換とか?」


「お! それだ、きっと! この大蛇の肉を交換してもらおう」


「そんなの交換してくれるかな」 


「さっき食べたけど毒はなかっただろ? いけるって」


 ロロは蛇肉を掲げた。かなりの量だったので、三人で手分けして運んでいた。当然、ソラの鞄にも入っている。それでも全ては持ち帰れず、泣く泣く多くの肉を道端に置いていくことになってしまった。


「おい、おっさん。この肉でそれ三つ交換してくれよ」  


「あいよ。うーん、これは蛇の肉か? 毒はないだろうな?」


 店主は差し出された肉を見て、顔を顰めた。ロロがそれに対して噛みつく。


「あるわけないだろ。検証済みだ」


「まぁ、じゃあそれで交換だ」


 ロロはすぐに交渉を済ますと、受け取った三つの麺料理のうちの一つをソラに渡してきた。ソースのいい香りがする。見たことがない料理だ。


 麺の上にはトロトロにとろけた卵が乗っていた。どうやら、キーヤソバというらしい。


「早くしないと、冷めるぞ」


「う、うん!」


 二人でベンチに座り込むと、ロロが早速食べ始めた。ソラも一口だけ口にしてみたが、やはり味を感じない。どうやらソラは味を感じない体らしい。ロロは何も言っていなかったため、恐らく知らないのだ。


 頭を打ったことが原因かと思ったが、それは違う気がする。


 記憶を失う前のソラがロロにそれを伝えていないのなら、自分も伝えるべきではない。気を遣わせてしまうのも申し訳ない。


 アーチェは医者だし、相談するのもいいかと思ったが、アーチェにもいらぬ気を遣わせたくなかった。うん、このことは二人には話さないようにしよう。


 それに味を感じなくても匂いは感じる。それだけでも十分に料理を堪能出来る。


 好き嫌いが無いことも意外に便利かもしれない。ポジティブに考えよう。


 ふと隣を見ると、ロロはもう食べ終えていた。あいからわず、食べるのが早い。しばらくするとソラも食べ終え、二人でベンチでゆっくりと時間を過ごしていた。何かを忘れているような気がする。


「あ、そうだよ! 情報集めは?」


 ソラはアーチェに言われた事を思い出して、ベンチから立ち上がる。 


「かったるい。そんなことしなくたって俺達は負けない」


「アーチェがせっかくテントを立ててくれてるんだから、私達もただ食べてる場合じゃないよ」


 ソラはロロを急かした。


「落ち着けよ。誰か来るぞ」


 ロロが露店が並んでいる道の奥を指差した。指先を辿ってみると、誰かが道を占領するかの如く、道の中央を歩いてくる。


 それは四人グループだった。先頭を歩いているのは銀髪の青年だ。全身を黒と青の服で包み、どこか不思議な雰囲気を纏っている。


 背後には獣人が一人、鳥人が一人。エルフが一人。並々ならぬ雰囲気を纏っており、露店を蔑むかのように眺めた。全員、赤いスカーフを着けている。


 青年は辺りを見渡して、ため息をつくと、露天の机を思いっきり蹴り飛ばした。辺りに食べ物が散乱する。店主はそれを見て、悲鳴を上げて逃げ出した。周りの人々も怯えたように彼らを見ている。誰も彼らに異を唱える者はいなかった。


 纏っている雰囲気は只者ではない。近づかない方がいいだろう。


 彼は街道を一蹴すると、ソラに目を留めた。彼の目が一瞬だけ見開かれる。そしてそのまま真っ直ぐとこちらに向かって歩き出してくる。


 ロロがソラの前に飛び出した。敵意を滲ませている。 


「何か用かよ」


 青年はロロを文字通り上から見下ろした。なにやら不穏な雰囲気だ。その青年は気が付くと、既にソラの目の前にいた。


 先程までロロの前にいたその青年は音もなく、目にも留まらぬ速さでソラの前に立ったのだ。何か彼に失礼な態度をしてしまっただろうか。




「あの、何ですか?」


 青年の翡翠色の瞳とソラの青い瞳が交錯した。


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