第1話 夜更けに拾った光

  

 街はもうすぐ日が暮れる時間帯なのに、人はどんどん増えていく。

 

 俺はため息をついて、冷たい空を見上げた。

 そして、昨日の夜に投げられた言葉を思い出していた。

 見上げると視界に入ってくるのはゆっくり回る観覧車とジェットコースターのレール。2つが重なって見える。


 遠くでアナウンスが流れる。

 

 ――本日は、東京ドームシティにご来場くださいましてありがとうございます……

 

 館内放送が流れ、人気女性アーティストの楽曲が流れてくる。浮き足だって歩く様々な格好の人々。

 派手なコスプレの人もいれば、アーティストのロゴ入りシャツを着ている人も多い。多くが色々なグッズをバックに付けたり、ロゴ入りタオルを巻いたりして、それぞれのブースへと向かって歩いている。

 俺と言えば、なかなかのダサい青色のウィンドブレーカー姿だ。背中には白い文字でスタッフと記されてある。

 同じ上着を着ている奴らが20人ほどいる。

 左腕には『案内』と、黄色ベースに黒い文字のワッペンを付けている。

 ほとんどが俺と同年代のアルバイト要員だった。

 

 取り仕切っている上司が大きな声で今日の仕事を簡潔に伝えてきた。

「えー、お疲れ様。今日のコンサートは、今からさらに混雑が予測される。君たちには、混乱やトラブルを防ぐため、来場者への誘導や案内、時には救護などをしてもらう。ゴミが落ちていたら拾ってくれるとありがたい。なお、迷子や落とし物の場合はあちらのブースへ届けるように。」

 振り向いて奥の建物を指差した。

 

 それぞれが、スピーカーやトランシーバーやガムテープを渡されて持ち場に着いた。

 色々走り回ったが、なんのトラブルも無く開演時間がやって来きた。


 大勢の人々は会場に一斉に吸い込まれて行った。


 静まり返った広場では、大きな手押し式のゴミ箱とゴミ袋を持って歩いているスタッフのおばちゃんが「お疲れ様ねー。」と、ゴミ拾いトングをカチカチと鳴らしながら歩いている。

 

  ライブが終わってからも大変で、俺はロープを手に持ち、通行人の誘導という仕事が待っている。

 終演時刻を20分過ぎた辺りから、前触れもなく一斉に人が押し寄せる。

 会場では、ブロックごとの退場制限をかけていても、人の群れは中々前に進めない程ごった返していた。

 皆の顔は、こちらにも会場の熱気が伝わって来るように高揚していた。

 話し声もライブ前よりさらにデカい。

 そして、この人数の奴らは、それぞれの家路へ着くのか…なんか凄いな。と、考えながら眺めていた。

 群衆の中には、幸せそうに彼女の手を両手で温めている彼氏や、お互い腰に手を回して幸せそうに歩いてるカップルが何となく目についた。

 (あ、カップルは違うか。)

 どうでもいいような考えが頭に浮かんだので、それを掻き消すように腕時計にチラッと目をやる。

 時刻は21時をちょっと過ぎていた。

 鼻先とロープを持つ指先が冷たい。

「こちら、駅へ続く通路となっております。ゆっくり前の方に続いてお進みくださーい!」

 俺は一定の間隔をあけて叫ぶ。これが1時間ほど続く。

 あー、今夜も部屋に帰るのは遅くなるな。


 


 「別れて欲しいの。」

 そう瑞希から告げられたのは、つい昨日の夜の事だった。

 彼女とは付き合ってまだ半年ほどだった。

「え?なんで?」

 何の気配もなかったいきなりの彼女の言葉に考えるより先に聞いていた。

「別にね、悠真が悪い訳じゃないの。悠真と居るとすごく楽しいんだけどさ、ただ一緒に過ごしてるだけと言うか…このままずっと、このままなのかな?と考えたら…ね」

ね。って、何だ?

「2人で楽しくしてて、なんでいきなり別れるの?」

「うーん。私ね、出会った頃にも話したと思うけど、ずっと女優になりたいって夢があるのね」

「うん、それは最初に聞いたから覚えてるよ」

彼女は続けた

「たまにオーディションも色々受けてるのは知ってたでしょ?」

「そうだね。俺はいつだって応援してるよ」

本当の事だ。

「悠真が思うよりも、ずっとたくさん受けてるんだよ?でも、結構大変でさー、何度も落ちると、さすがに落ち込むし。」

「うん、頑張ってるよね。」

 それしか言えなかった。

 応援はしていたが、最初こそ落ちた時は慰めていたが、段々と彼女も話さなくなっていた。

 彼女が受かるまでは、こちらからは結果を聞かないようにしていたのだった。

彼女は髪を耳にかけながら話す

「この前ね、本当に小さな劇団なんだけど、たまたま私に目を付けてくれた人がいてね。そこの団長から、一緒にやってみないか?って誘われて…」

 瑞希の言葉の後半が吃っている。

「凄いじゃん!…で、それと別れるって何が関係あるの?」

 俺の問いに答えず彼女は続けた。

 「その人ね、劇団を大きくするって夢があって。劇団員の皆んなもやる気が凄くてさー」

 嬉しそうに笑った。

 その顔を見て、団長とはきっと男だ。と、何となく感じた。

 彼女は言葉には出さないが、要は、何の夢も無い俺と居てもつまらなくなったのだろう。

俺と過ごすのは、味のしないキャンディを舐めているようなのだと彼女は言う。

 先の話をしない俺は、夢一杯の奴らから見ればなんの魅力も無いって事か。

「で、その団長ってのと付き合うの?」

 俺は、ぶっきらぼうに聞いた。

「は?そんなんじゃ無いよ!彼は結婚しているし、…奥さんも同じ団員だし」

 ほら、やっぱり男だった。

「ふぅん、詳しいんだな」

 俺は、鼻で笑ってやった。

 仮にも半年以上付き合った仲だ。

 隠しているのか、それとも自分でもまだ気付いていないのか、瑞希の顔から、ほのかな恋の温度を俺は感じ取ってしまった。

 

まったく、本当に素直な女だ。

 

その素直さがこれから先、仇にならなければいいが……。

 

俺は、何故か今、俺を振ろうとしている彼女の心配をしていた。



 ――――あー、今日の仕事は疲れた。

「今日も、何も変わらない一日だったな」

 しかし、1日経ってみると昨日の別れ話は思った以上に結構なダメージだったのが分かる。


 ロッカーの前で上着を脱ぎ、鏡に映る自分の頬をさする。俺は未練があるのか?

 顔を見ると、だいぶ疲れて見えた。

 ブルッと震えて「寒!!」と呟きながら着替えた。


 地下鉄に乗り、歩いていつもの駐車場へ向かう。

澄んだ空気の中空を見上げた。

 ( あー、月がきれいだ。それより、今夜は少し食べてから寝るか、そのまま寝てしまうか……)と、考えながら車に乗って、駐車場を出ようとウィンカーを出した時、大きなバッグを肩からぶら下げた少女を見かけた。

 少女は暗いバスの停留所を眺めてぼんやりしていた。俺の視線に気付いたのかこちらをチラッと見た。俺と目が合ったが、俺は目を逸らしてハンドルを切った。


 こんな時間にあんな若い子が……危ないな。と思ったが、俺には関係ない。


 車を走らせると、ラジオからは今日のライブのアーティストの曲が流れてきた。赤信号に捕まった時、バックミラーを何気に見たら、さっきの少女はまだ立っていた。

 その時、雨がポツポツとフロントガラスに落ちて来た。

「チッ!」

 と舌打ちして、Uターンして、俺は少女の元へ戻った。

あのバス停には屋根も無ければ、椅子もない。夜も深くなり、人通りも皆無だった。

そして街灯も少なく、暗かった。


 俺は車を路肩へ寄せ、ハザードを点滅させて車をとめた。そして、窓を下げて声をかけた。

 「こんな時間に何してるの?家出かな?」

さっき目が合ったのを覚えていたのであろう、一瞬、少女はびっくりした顔をしたが、よほど困っていたのだろう、少し安心した表情に変わり、小さな声で答えた。

「あのぅ、夜行バスで帰ろうとしたんだけど、停留所を間違えたらしくて、乗り遅れちゃったみたいで……。スマホもモバイルバッテリーも、どっちも電源が切れちゃって」

 と、手には電源の落ちたスマホが握られていた。

「とにかく、雨で濡れちゃうから乗って!」

「え?でも……」

 とためらう少女。無理もない。夜行バスと言うからには、きっと遠くから来たのだろう。

 不安でいっぱいのはずだ。

 仮にもし俺が女なら、この子は素直に車に乗ったかもしれない。

 しかし、見ず知らずの男の車に乗るのは抵抗があるのは、俺にも十分理解できた。

「何も心配しなくていいよ。寒いから、とりあえず乗って!」

 と、運転席からガチャっとロック解除した。

「……すみません」

 と、申し訳なさそうに、おずおず車の後部座席に乗り込んだ。

 断れば、一晩この場所に居なくてはならない選択に迫られたのかもしれない。

 でも……普通なら、助手席に乗らないか?と思ったが、まぁ、人によるだろうと心で呟いた。

「とにかく暖かい所に行こうか」

「すみません」

そして俺は、少女へ1番欲してるであろうモノを渡した。

「ん、ほらこれ使って」

 車の中に設置してある充電器だ。

 それを見て、目を見開いて

「わぁー!ありがとうございます!!凄く助かります!!」

 運転席と助手席の間から顔を手を出して受け取ると、すぐに自分のスマホに繋げた。

 そして電源を入れると、ホッとして後部座席にもたれかかった。今、やっと助かった。と感じたのだろう。


車は少女を連れて、24時間営業しているコーヒーショップへ向かった。

 

 昨日、彼女と別れたばかりなのに、この少女を部屋に連れて行く訳にはいかない。少女だってそれは嫌だろう。

 もしかしたら彼女が荷物を取りに来るとも限らない。

 まぁ、100%来る訳はないのだが……。

 別れた翌日に部屋に違う女がいれば、保護したと言っても、そんな事情は抜きに、俺は最低な男に成り下がる気がし、迷ったが24時間オープンの店で、始発まで一緒に過ごそうと決めた。


 人を助けてるのに、助ける側が気を使うって、なかなか笑えるな。


  ――

「あー、あったかいです!手がすごく冷たくて。」

 と、カフェラテのカップを両手で包んで微笑んでいる。

 それはそうだろう。この季節の割には少女は結構な薄着だった。

「良かったね。ここは、朝までやっているし、居心地がいいからね。」

 と説明しながら、少女のバッグに見覚えのあるグッズが何個かぶら下がっているのに気づいた。

「へぇー。今日のドームに行ったんだ?」

 俺はコーヒーを啜りながら、少女のバッグにぶら下がっているものを指差した。

「あ、コレ分かるんですか?」

 と、大きめのぬいぐるみのようなキーホルダーや、アクリル製のキーホルダーを触って俺に見せた。

「今日の…じゃなくて、もう昨日かー。俺、そのライブでスタッフとして働いてたんだ。」

 腕時計を見ながら話した。もう24時は回っていた。

「えー⁈そんなんですかぁ?」

目を見開いて、あからさまに喜ぶ少女。

「俺、悠真。悠久の『悠』に真実の『真』」

「あ、すみません。私は柚葉、高3です。仙台から来ました。」

 紙ナプキンにバッグから出したピンク色のペンで『柚葉』と書いた。

 その下に『悠真……さん』と書いて笑った


 高校生か。まぁ、そのぐらいの年齢かとは思っていたが、あのまま見ないふりをしていたら、他の誰かに捕まるか、補導されるか、一晩凍えて過ごすかだっただろう。

「仙台かー。遠いね。始発で帰るとして、あと5時間ぐらいだね。君を1人にするわけにはいかないし、ここで過ごそうね。」

「せっかく、バスの予約サイトの早割で格安でチケットをゲットしたのに、乗れないなんて、情けないです……」

 その時、柚葉のお腹が鳴った。

 はっと、両手でお腹をおさえて恥ずかしそうに

「……すみません。朝、新幹線で食べたっきり何も食べてなくて……。東京駅は広いし人も多くて会場に着くまで時間かかっちゃいました。食べるの忘れて東京見物に夢中で。」

 きっと一日中歩いたのだろう。

「駅からドームまでなんて、20分もかからず行けるのに」

「えー!そうなんですか?信じられない。初めての東京で、地下鉄に乗っても、ずっーとドキドキで、次の駅の表示ばかり見てましたー!」

「よく1人で来たね」

「そうなんですよー!一緒に来るはずだった友達が、前日にに熱出しちゃって、来れなくなっちゃったんです。まぁ、誘ったのは私なんですが、私がどうしても、絶対に絶対に行きたかったライブだったので、思い切って1人で来ちゃいました。」

「親とか代わりに一緒に来れなかったの?」

「ダメなんです。チケットは個人チケットで、顔写真登録制なんです。」

 と、さらに続けて

「私、このアーティストの曲が大好きで、悲しい時も苦しい時も励まされてきたんです!なので、絶対に生で観たかったんです!!」

 落ち込んでいるかと思えば、急に熱く語り出した。

 悲しい時も苦しい時も…よく聞くフレーズだ。誰かのファンになるきっかけは、基本的にその感情から始まるのだろうか。

「へぇー。今のチケットって、そんな感じなんだ。」

 そして続けて

「まず、それより、サンドイッチでいい?この優しいお兄さんが可哀想な君に奢ってあげるよ」

と、メニューを差し出した。

「そんな……、そこまでお世話になる訳にはいかないです」

 顔の前でブンブンと両手を振った。

「なら、新幹線代は持ってるの?」

 柚葉は財布を開けて中を確認すると、1万ちょっとならと呟いた。

「ギリギリじゃん!」

 俺は笑ってタブレットでサンドイッチを注文した。

「もう……本当情けない」

 項垂れている柚葉を見て、妹がいればこんな感じなのだろうか?と思った。

「ところで、仙台の女子校生は、車に乗る時は後部座席に乗るのが常識的なのかな?」

 と、笑って聞いた。

「すみません。助けてもらってなんなんですが、もしもの時、いつでも逃げれるように後ろに乗りました。」

 小さくなって謝る姿にちょっと申し訳なくなって

「いや、冗談だよ。」

 声を出さずクスッと笑った俺を見て、一緒にフフっと笑った。

「あ、お母さんからLINEきた!始発まで24時間開いてる店で過ごすって言ったのに、すごく心配してる。あー!帰ったら絶対怒られるー」

 と頭を抱えて項垂れた。

 コロコロ表情が変わる柚葉と話していると、すぐに時間は過ぎた。


 ――――

 腕時計の針は5時半を指していた。

 スマホで時刻表を調べたら、6時ぐらいに出発する新幹線があった。何を話したのか、思い出す事もできないような他愛のない会話をして、時間はあっという間に過ぎた。

 それでも苦ではなかった。6〜7歳下の若い女の子と話すのは初めてだったし、仙台の事も色々教えてもらった。

 駅の近くで柚葉を下ろすと

「もう、乗り遅れるないでね」

 とふざけて言った

「悠真さん、バッチリ大丈夫です!」

 と親指を立てた。そしてバッグから1番無難なキーホルダーを外して両手で渡された。

 それは昨日の日付とツアータイトルの文字が印刷された紫の猫のデザインだった。

「本当に助けてくれて、ありがとうございました。サンドイッチもご馳走様です。これ、お礼です。」

 と深々と頭を下げた。

「ありがとう。もらっておくね。じゃ、気をつけて仙台まで帰ってね!」

「はい。ありがとうございます!さようなら!」

 と柚葉は両手をあげて手を振った。

 車を走らせてバックミラーを見ると、柚葉はまだこちらに笑顔で両手をぶんぶん振っていた。


 部屋に帰って、どっと疲れが出てきたのか、あくびをしながら風呂へ向かった。

 結局、連絡交換も何もしなかったが、それで良かった。

 そんな目的ではなかったし、路頭に迷った子猫を助けたような気持ちだった。


 まぁ、実際に子猫を助けた記憶は無いが。


 柚葉……か。

 彼女に振られたばかりの俺には束の間の癒やしの時間だったかもしれない。

 気持ちが紛れているのが分かった。

 

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