2話:開拓局見習いのレヴ・ベルベット

 兄様の姿をホームに残して、列車は無情にも走り出した。

 ガタン、と大きく揺れて、車輪がレールを噛む音が響く。

 ――ここでようやく、後戻りはできないんだなと実感が湧いた。


 私は二、三度息を整え、『新たな門出だ』と自分に言い聞かせて窓際の席を探す。

 車内は他の乗客でいっぱいだった。けれど、どこを見てもドレスを着ている人はいない。

 誰もが旅人のように、動きやすい服を着ていた。

 私にとっては、それが新鮮だった。


 しばらくキョロキョロと歩き回り、窓際の席を探した。

 幸いにも空いており、向かいの席には一人だけが腰かけている。

 その足元には、使い込まれた大きな鞄がどん、と置かれていた。

 何やらメモとペンを走らせている彼を横目に、どっしりと腰を下ろした。


 列車は一定のリズムで心地よい揺れを刻み、その窓から、私はじっと外を見つめた。


 遠ざかっていく煙突の煙。ちらりと映る青い海。

 フォーン――と汽笛が一つ鳴って、列車はトンネルへ吸いこまれていく。

 土の匂いがツンと鼻をかすめた。窓の外は忙しなく、その顔を変えていく。


「窓の外、面白いですか?」


 耳の奥に優しく溶けていくような、柔らかい声をかけられた。

 向かいの青年が、にこりとほほ笑む。それは、少しだけ兄様を思い出すようなあったかい笑顔。


「いや、変な意味じゃなくて! 荷物多いし……どこかへ長旅なのかなって」

「……別に」

「ごめんなさい、失礼でしたよね」


 そっけなく返すと、彼はしゅんとした声で謝り、再びペンを走らせた。

 しばらくの沈黙が続いた。列車の汽笛が鳴るのと交互に、ペン先が紙を走る音が私の耳についた。


 いくらなんでも、少しキツく言いすぎただろうか。

 私はもう、会えもしないパパのことを思い出す。お淑やかに……お淑やかにって、どうすればいいのよ。

 あんな飾りだけの口調、私は口にしたくないのに。


 そう思考を巡らせながら、ふと彼に言葉を零す。


「ネーベルフォートって、どんなとこなのかな……」


 すると、彼はびくりと驚いた。


「ネーベル地帯に行くんですか? なんでまた」

「言いたくないならいいもん」

「いえ! ……目的地、僕と同じだなーって」


 その言葉が、私の興味を一気に引いた。


「そうなの⁉」

「え……はい」


 彼の困惑した表情を前に、テンションが爆発する。

 (独りぼっちだと思っていたのに!

 まさかあんな地獄のような場所に、同じ目的地の人がいるなんて!)


 興奮を隠すことなく、溢れるままに言葉を放った。


「私、グランツベルから来たの! フリッカ公爵の娘なんだよ‼」


 気づけば、ぐいっと彼のほうへ身を乗り出していた。


「ち、近いですっ!」


 青年は私の勢いにたじろいだ。

 私が退くと、彼は一つ息を吐いて改めて言葉を放つ。

  

「フリッカ家といえば……王都一帯の土地管理を任されていて、数年前の“国のいざこざ”を丸く収めた立役者だと聞きます。あやうく軍事衝突になりかけたとか」

「へー。パパってそんなに凄いんだ」

「知らなかったんですかッ⁉」


 私にとっては偉い地位にいるだけで、ただ口のうるさいパパにしか思えなかった。

 その説明を聞いて、他人事のように頷き返す。


「……こほん。挨拶が遅れました。僕は開拓局から派遣された、見習いのレヴ・ベルベットと申します」

「かいたく……きょく?」


 私が首をかしげると、彼は呆れた顔で言葉を紡ぐ。


「主に土地の開拓・再開発・整備事業を請け負っている局ですよ。たまにその土地に根付いた歴史についても調査したりします」

「ふーん。その、見習いさんがどうして?」


 レヴと名乗った青年は、ひとつ深く息を吐いた。


「ネーベル地帯の霧の調査ですよ。本当に人は住めないのか」

「ふーん。大変そう」


 あっけらかんと答える私に、レヴはまた表情を崩した。


「ふふっ。大変だけど、やりがいもあるんですよ」

「えー。ちまちま調べたら飽きちゃいそう」

「そのコツコツがいいんです」

「私には向いてなさそう」


 

 やがて天井の隅に据え付けられた小さなオートマトンが、カチリと目を灯した。


 ――『まもなく、霧の街ネーベルフォート。ここより先、鉄路は霧に閉ざされております。本列車は当駅で折り返しますので、下車される方はお急ぎください』


 告げ終えると同時に、車輪のきしむ音がだんだんと弱まり、列車は重たく減速していく。

 窓の外は、いつの間にか一面の白に塗りつぶされていた。


「あ、ついたみたい」

「降りましょうか」


 私は荷物を抱え、ホームに飛び降りた。

 いつの間にか乗客はいなくなっていて、改めて人里から隔離された事実を突きつけられた。


 無人で簡素なホームの脇、小さな階段を小気味よく降りる。

 まだ森の浅い部分なのだろうか。視界を遮られている様子はなく、霧は私たちをぼんやりと包んでいた。空は灰色の雲で覆われ、もう青空は望めないことを告げる。


「そういえば、なんでここって駅があるんだろ? 誰もいないのに」


 そう疑問を投げかけると、レヴはすぐに答えてくれた。


「百数十年前……ここには街がありました。鉱脈がたくさんあって、工場地帯になっていたんです。

 けれどある時を境に、毒素を含んだ濃霧が現れて一帯を飲み込んでしまって。

 人々は全滅――もはや人が住める場所ではなくなり、政府も撤退したんです」


 私はわかったような、わかってないような説明に曖昧に頷いた。


「それは過去の激しい戦争のせいだとか、今では世界中で使用が厳しく禁じられている生物兵器の暴走のせいだとか……いろんな噂がありますね」

「ふーん」

「今はほぼ廃駅状態ですけど……こうして時折、開拓局や政府が訪れるためにあえて残している感じなんですよ。一日一本、そのためにこの列車は存在しています」


 周囲を見渡して、話半分に聞きながら獣道を進んだ。

 小枝がポキポキと音を立てて、ここが未開拓の地であることを教えてくれていた。


「ついた!」


 両足を踏み鳴らし、その看板が目に入った。


 ――立ち入り禁止区域 政府・開拓局管制地帯


 私を飲み込んでしまいそうな大きな木。話に聞いていた通り、看板より先を見ることは叶わないほど濃い霧……。


 ここから私の街づくりが始まるんだ――あまりに強大な存在を前に、覚悟を決めた。

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