X月の事件(短編連作貼混帖)

小石原淳

第1話 十一月の事件 その1

<……人垣をかき分け、ふらりと前に現れ出でたのは、大きなまん丸眼鏡をかけた男。年齢は四十代半ばといったところ。なのに、青のスーツに赤の蝶ネクタイ、ズボンは膝までしかないという出で立ちと来るから、皆ぎょっとします。


“この密室殺人の謎を解けるのは、僕しかいないようですね”

“だ、誰や、君は? 素人は引っ込んどいてんか”

“僕を知らない? 信じられないな。名探偵・小南陵こなんりょうですよ。見た目は大人、頭脳は子供……”

“全然あかんやないけ”

“僕に解けなかった事件はありません”

“ふん。代打専門のベテランやろ。打率十割、一打数一安打っちゅうやつや”

“いえいえ。殺人だけで十件はこなし、刑事事件に広げると、優に三十件は”

“ほんまか? そりゃ凄い”

“ただし、僕が解く前に、警察が全て解決してしまうのが難ですが”

“遅いなー!”

工藤くどうさん、なくなった物はありませんか?”

“こら、勝手に聞き込み始めるんやない! 我々警察の仕事や”

“なくなった物はありません”

“工藤さん、あんたもこんな奴に答えんでええねん。えー、改めて聞きまっせ。なくなった物はないとすると、物盗りの線は消えるから……”

“あ、家宝の壷が盗まれています”

“はあ? 工藤さん、あんたさっき、なくなった物はないと”

“なくなった物はありませんかと聞かれたから、盗まれてここにはありませんと答えたまでです。”

“工藤さーん!”


 やいのやいのやってますと、鑑識課の面々がわいわいがやがやと入って参ります。その賑やかなことと言ったら――。>


 さして広くない会議室に、一丁前に鳴り物が響き渡るが、まず録音していた物に間違いない。

 舞台上では部員の創作落語が続いていた。語り口調は巧みで悪くないが、ネタが落語に向いていないようだ。コントにすれば面白くなるかもしれない……。

 欠伸をこらえた顰めっ面で、松屋まつやはそんなことを考えていた。

(でもま、喜んでいるならいいか)

 連れて来た女子高生二人がけらけらと笑っているのを横目に見て、松屋は思わず微苦笑を浮かべていた。こんなに受けるとは全くの予想外。しかも、「やっぱりー」とか「つまんなーい」とかつぶやきながら、それでも笑うのだから、ますます持って分からない。今、高座にいる演者の名前――命短亭めいたんてい小南こなん――を最初に聞いただけで、肩を揺らして笑ったほどだ。箸が転がっただけでおかしがる年頃ってやつかと、納得する。


<……部屋の隅っこに来て小南陵、警察に聞こえないよう、ぶつぶつと独り言を始めます。


“さあ困った。大見得を切ったけど、見通しが立たないや。ま、いざとなったら奥の手を使えばいんだけれど”

 と、左袖を捲り上げると、大ぶりの腕時計が。

“こいつに仕込んである麻酔針で誰かを眠らせて”

 今度は赤い蝶ネクタイに手を触れる。

“この変声機をそいつの声に合わせて”

 関係者一同を肩越しに振り返る。その目は、獲物を物色するハンターのよう。

“自白させれば一件落着なんだから”


 こうして今回も名探偵小南陵の名声は守られるのでした。>


 鳴り物がとてしゃんと流れ、小南が深々とお辞儀をすると、ぱらぱらと拍手が起きる。そんな中、意外と優雅な振る舞いですっと立ち、はけていった。

「漫画知ってる二十歳前後の人には、結構よかったかもー」

「うんうん。小学生には微妙ね」

「やった人も、ルックスいいんだから、漫才かコントの方が受けそう」

「相方は適当に不細工な人がいいわね」

 君達は評論家か。というような無粋なつっこみは、喉仏の奥に仕舞う松屋。

 大学二年の松屋がこんな女子高生と知り合えたのは、もとを正せば、里納津子さとなつこの兄である三年生の紳司しんじに勉強を教えるため、家庭教師として里家に出入りするようになったのがきっかけ。今年の夏のことだ。松屋の通うA大学こそ、紳司の志望校であることから採用された。

 夏休みも終盤に差し掛かったある土曜、本来なら家庭教師を行う日だったが、紳司が模試を受けるので潰れた。だが松屋はその予定を忘れ(数日前に恋人と別れたショックかもしれない)、里家に足を運んでしまった。玄関先で今日はなくなったはずですよと告げられ、仕方なく帰ろうとする松屋を、納津子が腕を取り、強引に上がらせた。そして開口一番。

「私にも教えて!」

 何のことはない。夏休みの宿題をたくさん残し、追い込まれた彼女が、助けを求めてきたのだ。

 それ以来、紳司に小テストを解かせている間など、松屋の手が空いた時間に限り、納津子の勉強も見るようになった(この兄妹の父母は気が利く上に気前がよく、松屋が言い出さない内に、アルバイト料を上乗せしてくれた)。

「次は……無言亭むごんていくちなしだって」

「変なのー」

 次に出て来る笑研(お笑い研究会)部員の芸名を肴に、また笑い声を立てる二人を見ていると、本当にお笑い好きなんだなあと感心する。

(しょうもない素人芸だと思うんだがな。俺の笑いのセンスがおかしいのか? ふられた原因ではないと信じたい……)

 十一月最初の休日である今日は、紳司の模試の日であり、松屋の通う大学の学園祭期間でもあった。大学の学園祭に行ってみたい!と納津子にせがまれ、連れて来た次第。紳司も試験は午前中のみ故、終わって気力が残っていれば学園祭に足を運ぶ手筈なのだが、果たしてどうなることやら。いずれにせよ、部活をせず、新しい彼女もできていない松屋に、暇は有り余っている。

「よく喋るっ!」

 納津子の級友、佐村さむらいずみが手を叩く。会議室上手の模擬舞台では、無言亭梔が身振り手振りを交え、熱弁をふるっている。細身で病気持ちめいた顔色の、幽霊然とした無言亭梔はその実、呆れるほど回転の速い舌の持ち主だった。


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