ふうふの晩ご飯
不知火白夜
第1話
季節もすっかり秋になり、気温が低くなる日も増えてきたある日のこと。無事定時で仕事を終えた
十真は、さっきヴェルナーに夕飯を作るとメッセージをしたものの、何を作るかはまだ本当に何も決めていなかった。日本で一人暮らしをしていた時は、ここまで悩まなかった。作るのも食べるのも自分だから、ご飯と味噌汁とおかずのようなシンプルなもので良かった。時々凝ったものを作りたくて色々やったし、甥姪に作ってあげるときはもっとあれこれ考えたが、それとは異なる悩みがある気がする。
そもそも、この国の人は、日本人ほど献立に拘らないとか、毎日同じものでも一向に困らない人も多いというが、それは十真の性質に合わないし、やはり愛する人にはいいものを食べてほしいと思う。
十真は、毎日同じものを食べるというのはあまり得意ではない。その上、愛情表現の方法として『美味しいご飯をつくる』がある。だからこそ、できればちゃんとした食事を作りたいというのが十真の希望だった。
このあたりに関しては……同居当初は非常に大変だった。『毎日違うご飯を提供する』ことが当たり前で愛情表現の一つと思っている十真に対し、『特別な日ならともかく、普段の食事はできるだけシンプルでいいし、ある程度同じものを食べる方が精神的に楽』というヴェルナーで、食事に対する感覚が全く違ったのだから。
それこそまさに遠距離恋愛時には見えてこなかった問題だろう。ここに関してはかなり話し合いを重ね、ある程度落とし所を見つけた結果、平日はできるだけ安定した食事、凝ったものを作るのは時々にし、週末は十真が好きに作っていいというおおまかなルールができた。
しかし、料理や食事に強い拘りがある十真と生活して何年も経つと、いつの間にかヴェルナーもその基準が緩みつつあるのだが。
さて、話を戻そう。車を走らせスーパーに辿り着くと、十真は駐車場に車を停めて店内へ向かう。声をかけてくる店員に軽く挨拶を返してから、とりあえずピンとくる食材を探そうと静かな店内を回ることにした。
とりあえず入り口付近にある野菜コーナーをながめていると。その一角に山積みになっているトマトに目がいった。綺麗な山の形に積まれたそれは、色艶も形もいい。それなのに、数日前より少しだけ安くなっている。これはやはり、日々の食事を主に作る身としては嬉しい。
――トマトか……。うん、いいかも。
そして、トマトを見ていると、なんとなく作りたいもののイメージが沸いてきた。
――いい感じに切ったトマトと挽肉で……ボロネーゼみたいにしようかなあ……。
パスタはヴェルナーも好きなものだ。いつも美味しいと喜んでくれる。それに、確か乾麺は家に三束ほどあったから、最低限の材料を購入するだけでいい。念の為、周囲の邪魔にならないよう確認してから、日々の料理を載せているSNSアカウントを確認すると、最後にパスタを作ったのは先週で、その時に『あとパスタは三束』と書いている。やはり自宅には三束ほど余っているのだろう。中高年二人でパスタ三束。充分な量だ。足りないならスープやサラダを添えればいい。
十真は今日の夕飯のメニューを決めた。作るものがはっきりすれば悩みも解消される。十真はいくつかトマトを手に取り、その後も、玉ねぎやニンニク、サラダ用のレタス、お肉コーナーで挽肉を手に入れていく。あとは明日の朝食や昼食用の卵とパンを買い、満足げな気持ちで帰路についた。
帰宅後、手を洗ってスーツから部屋着である和服に着替え、庭に干していた洗濯物を取り込む。そしてキッチンに向かってから、十真は目を丸くした。
「あれ? パスタがない……」
食品棚にあるパスタを保存している容器は、いくら目を凝らしてみても空っぽだった。自分のSNSアカウントの記述を元にすると、あと三束ほどあるはずだ。それなのに、一束どころか一本もない。まさか、パスタを作ったのに一切記録をしなかったのだろうか? 少し衝撃的である。
――でも、先週のあの日以降、パスタ作ったっけ……?
そういった疑問もあるにはあるが……しかしながら。ないものはないのだから仕方ない。
「うわぁ……完全にパスタの気持ちになってたよ……ショック……素直に乾麺買えば良かったなあ」
悲しげな声を零しながら、十真はちらりと時計に目を向ける。時刻は十八時過ぎ。別に今からスーパーに行ってパスタを作っても、充分ヴェルナーの帰宅に間に合うが、わざわざ再度出かけるより、あるもので別の夕飯を作る方がいいような気がした。数秒考えた十真は、よし、と仕切り直すように小さく呟いて、メニューの変更を決めた。
そう、ないものはないのだからもう仕方ない。改めて言い聞かせてから、とりあえず冷蔵庫の中身のチェックから始めた。
「うーん、なにがあるかなあ……。……お、結構色々あるじゃん」
あれこれ確認した結果揃った食材は、想定以上に豊富な種類だった。今日買った挽肉にトマト、レタスに玉ねぎやニンニク、更にはニンジンにじゃがいも、キャベツといったものがあった。更にソーセージやハム、ベーコンもある。その他もちろん各種調味料もあるし、庭には自家栽培しているハーブだって元気に育っている。
それらを確かめて、十真は誰に聞かせるでもなく呟きながら、考えを整理する。
「これなら結構何でもできる……。そうだな、鍋……鍋にするか。ポトフっぽいトマト鍋とか……いいかもしれない。玉ねぎニンジンジャガイモはあるし、トマトはいっぱいあるし、ソーセージもある……。それにレタスもキャベツも煮込めば食べやすいし……。あとは……挽肉は肉団子にしたらいいかも……。……うん、いい感じだな、よさそう、そうしよう。」
ぶつぶつ言いながら、頭の中でメニューを構成していく。
実を言うと、鍋料理は数日前に作っていた。しかしその時とは味の方向性はかなり違うし、それに二日連続というわけでもない。別に悪い選択ではないはずだ。それに、鍋なら余肉も野菜も一気に煮込めて食べやすいし、今の想定ならハイカロリーにもならない。ふくよかなヴェルナーにもうってつけだ。やはりいい選択だろう。
さて、そうなればまずは肉団子から順に作っていこう。ひとまずたすき掛けで袖を纏め、前掛けタイプのエプロンを腰に巻く。もう一度しっかり手を洗ってから、調理に必要なものを準備し、まずはレンジで軽く温めた玉ねぎをみじん切りにしていく。これは目にしみることを防ぐためのものだ。
トントントンと、手際よく玉ねぎを切ってからレンジで火を通し、ボウルで玉ねぎや挽肉を混ぜ合わせる。ちなみにビニール手袋を嵌めているので他の作業にも移りやすい。混ぜ合わせたものを一つずつコロコロと丸めていると、ダイニングテーブルに置いてあったスマートフォンが通知音を響かせる。ヴェルナーからだろうかと思いつつ一旦手袋を外しスマートフォンを取りに行き画面を見ると、やはり送り主はヴェルナーだった。『今から帰るよ~!』というメッセージに、了解のスタンプを返し『気をつけて』と添えた。
さて、料理に戻ろう。成形し終わった十個ほどの肉団子は、一旦バットに並べて冷蔵庫で寝かせておく。
そうして、ここからは野菜を切りまくる時間へと移る。ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、トマトにキャベツを手際よく切って、必要に応じて水にさらす。レタスは後からいれるため今は冷蔵庫にいてもらおう。
ソーセージも何本か切ったら、鍋を準備して、オリーブオイルやニンニクを入れて火にかけ軽く香りを立たせる。いい香りがしてきたら、玉ねぎやニンジンを軽く炒めて、他の具材もゆっくりと鍋に入れていく。ここで、冷蔵庫で寝かせていた肉団子も入れると、油と絡んでジュウ、といい音が聞こえた。
――ソーセージやトマトは後でいいな。
現時点で入れていい具材を全て投入し終えたら、水と固形のブイヨンを入れて弱火で煮込んでいく。十五分ほどでいいだろうか。
「うん、いい感じ! よし、じゃあ今のうちに皿洗うかぁ」
スマートフォンでタイマーを十五分でセットしたら、この調理過程で使った食器や、会社用の弁当箱を洗っていく。今日の十真の弁当箱は、ヴェルナーに合わせてサンドイッチ用のものだった。
やがて、キッチンにアラーム音が鳴り響く。それを止めて手を洗い、竹串で野菜の柔らかさを確認したら、切っておいたトマトを入れる。これでスープにもコクが出るだろう。あとは軽く煮たら火を止めて、このまま置いておこう。ヴェルナーが帰って来たら、ソーセージとレタスを入れて、仕上げの味付けをして完成だ。
トマトが入り、だんだん赤色を帯びてきたスープを一口、匙ですくって味見をする。野菜のうまみとコクがしっかりあって、結構上手くできたと思える。
「我ながら……いい感じにできたんじゃないか……? しかも、結構短時間で……。僕、ちょっとやるじゃん」
十真は一人自賛しつつ、ちらりと時計を確認する。作り始めてから四十分弱だろうか。思ったよりも時間はかかっていない。
こう思うと、当初のパスタの予定から大きく変更となったが、上手く軌道修正できたと思う。これならヴェルナーも喜んでくれるだろう。
早く帰ってこないかなぁなんて思いながら、ひとまず十真は、ニュース番組を見ながら、リビングに乱雑に置かれた洗濯物を畳んでいくことにした。
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