第2話 ボクサー
静かで平和だと思っていたこの町で祖父母の事件に続いての殺人事件、背中に冷たいものを感じる。
―― 身体に多数の刺傷に切り傷なんてまるで拷問みたい ――
私はそんな風に聞いていた。
続くニュースでは、二月に行われた知事選挙で再選された阿部幹三(あべ・かんぞう)知事が挨拶する場面が流されている。
「 ……このたび、多くの県民の皆様のご支持をいただき、再度、知事として県政を担わせていただくこととなりました。大変光栄であり、身の引き締まる思いであります。
この四年間、《揺ぎ無い信念は未来を切り開く》を座右の銘とし、活力あふれる県の…… 」
「 あー、俺もこういうインタビューしてみたいなぁ 」
突然、夫が口を挟んだ。
「 え、どうして、政治記者になりたかったの? 」
ソファに並んで座っている夫に目をやって言った。
「 いや、そういう訳じゃないが、トップ政治家と話すなんてなかなかできないからさ 」
嬉しそうに言うので、
「 それって、ミーハーってことじゃない。ふふふ、おかしいわよ 」
「 え、そうじゃなくって、俺、意外にこの人好きなんだよな。一票入れたし 」
「 え、そうなの。私は対立候補に入れたわ。あなたとの思想の食い違いが出てるわね 」
私が言った途端、
「 え、ママに《しそう》がでてるの? しんじゃうの? えーん…… 」
咄嗟に、娘が何故泣くのかわからなかったが、
「 あ、優奈ちゃん、死ぬ相じゃなくて、思ったり考えたりする方の《しそう》なのよ。大丈夫、ママもパパも死なないからね 」
優奈を撫で、夫と顔を見合わせて笑う。
―― 我が子ながら、なんて可愛いんでしょう ――
私は、県民にも人気のある近江屋正義(おおみや・まさよし)県議会議員が支援するならと阿部知事の対立候補に一票を投じたの。
数年前の地震災害の際、県の災害対策本部の一員だった近江屋議員が、人知れず救助隊に紛れて壊れた家屋の中に生存者を探していたのだ。
その泥まみれの姿を、通りかかったテレビ局スタッフが撮影、それ以来数多くの場面で県民に寄り添う議員として人気を博すことになっていった。
阿部知事には金の良くない噂もあって、
―― ちょっとだけ嫌いなタイプということもあるんだけど ――
私は今一信用できない人物だと感じている。
翌夕、夫が、「 昼休みを利用して捜査状況を聞いて来たよ 」と言って、
「 山の売買の話を持ち込んでいた《土橋建設》の社長や営業担当者にはアリバイがあったそうだ 」
と教えてくれた。
私の素人予想は見事にはずれたけど、
―― 警察は素人の話でもきちんと受け止めてくれたんだ ――
と感謝する。
「 そう、祖父母が他人に恨まれるわけないし、通りすがりの強盗なのかな? 」
と言ってはみたものの、
「 でもねぇ、そんなに立派な家じゃないし、資産といっても山と古い家を持ってるだけよ。着飾って出かける訳でもないし、警報装置まである家をあえて選ぶ理由があるのかしら? 」
私は答えを見つけられずに夫に頼る。
「 確かにね。俺もそう思うよ。もう少し自分らで調べてみよっか 」
けど、どう調査して良いのかさっぱりで時だけが流れ去る。
《Y市》の東寄りに位置する城跡公園は市民にとっての憩いの場で、桜の名所でもあるけど、五月の連休、もうつつじやモクレンなどが咲く季節になっている。
優奈におねだりされ、お弁当を用意する時間すら与えられず、緊急の呼び出しが無いことを祈りつつカメラを担いで出掛ける。
車の中でも優奈は瞳を爛々と輝かせ私の手をしっかり握って笑顔を溢れさせている。
駐車場はさすがに連休、混雑し少々待たされ一番遠くのスペースに停めることに。
普段なら不満げな顔をする優奈も今日だけは違うよう。
池にはボートが何艘も家族やカップルを乗せていて、明るい雰囲気が漂っている。こういうところで聞く子供達のはしゃぐ声は、落ち込む私を元気づけてくれる。
優奈に手を引かれて真っ先に行ったのは、売店。
ジュースにポテチに……。
次は、ボート。
夫がぎこちない手捌きでふらふらと漕ぎ出すけど、優奈はご満悦な様子。見てる私まで笑顔になる。
優奈を夫の足の間に座らせ、夫を見上げる顔、私に微笑みかける顔、すれ違うボートの子に向ける笑顔、……シャッターを切りまくる。
視線を上げると木々の花々で覆い尽くされている緩斜面には、カラフルなシートを敷いた我が家と同じような家族連れが楽しそう。
そんな風景もパシャリ。
優奈はボートから下りて公園内を少し走り回るともうお疲れの様子。
「 ママ、すわりたい 」
緩い上り坂を登って桜の木の下を目指す。
若者が駆け降りてくる。
「 あら、下り坂なのに、あんなに急いで大丈夫かしら? 」
「 若もんの考えてることなんかわからんもん 」
と、夫は『らん』だけ声を押さえて駄洒落っぽく言う。
仕方が無いので、「 ふっ 」とだけ笑ってやる。
ドシッ!
若者がぶつかってきた。転びそうになって肩のカメラが落ちそうになるのを若者がさっと拾って、逃げる。
「 あ、泥棒ーっ! 」
叫んで振向いたときにはもう結構な距離。
「 こらっ、待てーっ! 」
夫が追いかける、けど、見るからに追いつけ無さそう。
下から中年夫婦が登ってくる。奥さんの着物姿に、
―― こんな所へ着物で? ―― と思う間もなく、
―― 危ない、ぶつかるっ! ――
が、驚きの事態が待っていた。
奥さんが大の字に道を塞いで、
「 待ちよし! 」
京都弁だとすぐにわかった。
男の怒鳴り声がし、拳を振り上げた途端、
「 ギャッ 」
っとひっくり返ったのは、なんと若者。
夫が追いついて頻りにお礼を言ってる。
娘の手を引いて遅れた私は、
「 あー、すみませーん。お怪我ありませんか? 」
子細が飲み込めてなくてそう言うしかなかった。
「 ははは、大丈夫だよ。家内はプロボクサーみたいなもんだから、こんなへなちょろ
旦那さんはチラッと奥さんに視線を送ったあとで、自慢げに微笑みを返してくれた。
程無く警官がきて鼻血をたらす男を抱き起こして手錠をガチャリ。私らも、着物の奥さん夫婦も派出所に呼ばれ、あれこれ聞かれる。
そのさなか《Y市警察署》から片桐壮雄(かたぎり・そうゆう)と名乗る刑事ともっと若い刑事が犯人を連れて行った。
一時間ほどで解放され、派出所を出たところで、
「 あのー、お礼にお食事にご招待したいんですけど 」
奥さんに声をかけ、旦那さんへ視線を向ける。
「 そやかて、大したことした訳やおまへんえ、そないに気ぃ使わんでもよぉおますがな 」
物腰の柔らかな奥さんが頭を下げた途端、
「 ねぇ、おばちゃん、どうして、そんなへんなことばしゃべるの? 」
優奈が突然口を挟む。
大人四人、顔を見合わせて大笑い。……私も恥ずかしさも忘れ笑う。
優奈は不思議そうな顔をするが……、お陰で一緒に食事をすることに。
岡引一心(おかびき・いっしん)と静(しずか)と名乗るご夫婦は、東京浅草の探偵らしい。
数馬、一助、美紗という三人の子供と一緒に家業に勤しんでいると言う。
子供達に、「 たまには休め 」と言われて、《Y市》に来たと奥さんは嬉しそう。
奥さんは京都生まれだというから京美人、対する旦那さんは江戸っ子らしい。旦那さんの見た目は小柄の野獣。
《強腕の美女としょぼくれ野獣》と我ながら上手いタイトルを思いついた。社会面の隅に載せたい記事になりそう。
別れ際には何度も頭を下げる。
盗まれかけたカメラは父親の形見。私がカメラマンになる切っ掛けにもなった大切な物なので、本当に感謝で一杯だった。
「 さっきは犯人を追いかけてくれてありがとね 」
にっとする夫に、
「 出来心って言ってるらしいけど、そんなにこのカメラ高そうに見えたのかしら 」
「 奴は素人だろうから何でも良かったんじゃないのか? 」
「 でも、それならバッグを狙わない? 」
私が言うと、夫は唇を一文字に結んで何やら考え込んだ。
「 何か、サスペンス映画みたいに、やばいもの写しちゃったのかな? 」
表情を一変させ嬉しそうに言う夫。普段は頼りがいのある夫なのに何か子供みたい。
五月七日は祖父母の四十九日。祖父母の自宅で手を合わせたあと、納骨のためお墓へ。
墓地は《Y市》から二キロほど南に広がる丘陵地域にある。祖父母宅からは車で三時間ほど。
どの方向へ走っても市街地を抜けると森と山。墓地に繋がる川沿いの道も自然の豊かな香りがして、窓を開けるとつい深呼吸したくなる。
「 お婆ちゃん達の家へ行く道もこんなとこ通るのよねぇ 」
言った私がうるっとしちゃう。
「 ねぇ、ママ、…… 」
話しかけてくれる優奈は五歳のくせに私の気持ちを察してくれてるんだろうか、私が悲しい気持ちになると声を掛けてくる。
―― きっと、私に似て優しい娘なのね ―― ひとりほくそ笑む。
私と優奈が後部座席で遊び、夫が運転、叔父は普段私が座る助手席でたばこをふかしている。臭くなるので嫌だが仕方ない。
着いた墓地には墓石が一万基ほどある。
見渡す限り人影はなく、しーんとした静けさが悲しみを募らせる。
優奈も小さな手を合わせて、「 なむなむ 」
―― 優奈が大人になっても《ひいお爺ちゃん》や《ひいお婆ちゃん》のことを覚えているだろうか? ――
きっと写真を見せて私が、
「 優奈も可愛がってもらったのよ 」
などと説明するんだろうな、と思うとまた胸が締め付けられる。
帰りは午後二時を過ぎ、
「 ママ、おなかすいた 」
車に乗ろうとするところで優奈にせがまれる。と、叔父も、
「 そうだな。俺も腹減ったな。優奈ちゃんは何食べたいかな? 」
父親とは大分性格の違う叔父を、私はあまり好きではなかったが、それでも優奈を可愛がってくれる。
―― そこだけは、良い叔父だ、と思う私も結構良い性格してるわ ―― と苦笑い。
「 うーん、カレー 」
考えてるのかなと思ったらやっぱり、外食はいつもカレーだから。
「 じゃ、通り沿いにあるファミレスにでも寄るか? おれ奢るよ 」
「 あら、良いんですか? すみません 」
いつもはケチの叔父が珍しいので、私はすかさずお礼を言っとく。夫は運転に集中しているのか、我間接。
夫々注文すると、叔父が私の思った通りのことを口にする。
「 あのよー、和花。俺な、あの山売ろうと思うんだよ。兄貴死んでるから、相続人は俺と和花の二人だろう、だからお前の相続分も一緒にと思ってんだ 」
大きなお世話だ。 ―― 私は私。どうするかは自分で決めるわよ ――
「 え、そうなの。……私はあの家で随分お婆ちゃんとお爺ちゃんにお世話になって、思い出も一杯あるから、まだ考えられないわ。それに手続きには時間もかかるんでしょう? 」
と、やんわり断ったのだが。
「 いや、関係書類は弁護士に言ってあってもう揃ってんだ。山なんて持ってたって税金取られるだけだろう 」
「 …… 」
私が返事できないでいると、
「 叔父さん。まぁそう急がせないで下さいよ。和花はまだ悲しみの海に沈んでる感じで、仕事も休んでるんですから。まして、優奈のいるところでは…… 」
夫が救いの手を伸べてくれた。
叔父は一瞬顔を歪めるが、
「 あ、そうだな。今度、ゆっくりな。……優奈ちゃんは保育園楽しいかな? 」
優奈の話しでその場は楽しく過ごし、叔父を送り届ける。
「 私、叔父さん、お金に困ってるんじゃないかと思うのよ 」
叔父の家からの帰り道、助手席に移って、芳香剤をたっぷり撒いて呟く。
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