井辺杉花蓮さんの唯一な日々。―― 川べり図書館で「一度きり」をあつめる話 ――
髙橋P.モンゴメリー
第1話 返却ポストの朝
町の真ん中を、一本の川がゆっくりと通っている。
川というより、少し大きめの用水路、と言ったほうが正確かもしれない。けれどこの町の人たちは、だれもそんなことは気にしていないので、昔からずっと「川」と呼ばれている。
川べりの道を、わたしは毎朝歩く。
左手に水面、右手に古い家々。アスファルトにはひびが入り、ところどころから細い草が顔を出している。川の匂いと、どこかの家から漂ってくる味噌汁の匂いが、同じくらいの強さで混ざり合っている。
川の曲がり角をひとつ曲がると、町立図書館が見えてくる。
二階建ての、小さな建物。白かったはずの壁は少しだけ黄ばんで、正面のガラス扉には、去年の夏祭りのポスターがまだ貼られたままだ。ポスターの上で、紙の金魚が半分色あせて、赤ともオレンジともつかない色になっている。
毎朝八時四十五分、わたしはその前に立つ。
左右を確認してから、鍵束の中から銀色の鍵を選び出し、ガラス扉の鍵穴に差し込む。カチャリ、という音は、町でいちばん小さな開店の音だと思う。
けれどその前に、もうひとつやることがある。
返却ポストを開けることだ。
図書館の右側の壁に、郵便受けよりは少し大きい四角い口が空いている。金属製の蓋には「図書返却ポスト」と書かれたプレートがねじで留められている。誰かが丁寧に拭いているのか、そこだけ妙にきれいだ。拭いているのはたぶん、わたしだ。
わたしはいつものように、肩からかけたトートバッグをずらし、返却ポストの下に置く。蓋の小さな取っ手をつまんで、手前に引く。冷たい金属の感触が、指先から腕に上ってくる。
その瞬間、かすかな紙の匂いと、重みが落ちてくる音がする。
コトン。
きょうは、その音がひとつだけだった。
落ちてきた本は、布張りの少し古い単行本だった。淡い青色のカバーに、白い文字でタイトルが印刷されている。聞いたことのない作家の、聞いたことのない題名。だけど、背表紙のラベルは、たしかにうちの図書館のものだった。
わたしはそれを両手で受け止め、トートバッグの中にそっと入れる。
それからもう一度、空になった返却ポストの中を、念のためのぞき込む。薄暗い金属の箱の奥には、やっぱり何もない。
この瞬間が、わたしはけっこう好きだ。
まだ誰もいない朝の図書館と、返ってきたばかりの本の、いちばんはじめの表情。表紙についた指紋の跡とか、しおりが挟まったままのページとか、折れた角とか。そういうものは、たいてい一日が終わる頃には、わたしの手でそっと整えられてしまう。
それでも、返却された直後だけに見える「読まれた気配」がある。
きょうの本のカバーには、薄く雨粒の跡が残っていた。昨夜の雨だろうか。川べりの石畳も、まだところどころ濡れている。
蓋を閉めて鍵をかけると、わたしは正面のガラス扉に向き直る。
扉を開ける鍵穴は、いつも少しだけ回りが悪い。油をさしたほうがいいのかもしれない、と毎朝思うのに、まだ一度もさしたことがない。たぶん、明日も同じことを考える。
ガラス扉を押し開けると、図書館の空気が外にすべり出てくる。
古い紙と、木の棚と、埃と、冷暖房の風が、長いあいだ混ざり合ってできた匂いだ。わたしはその匂いを、肩ごと吸い込むようにして中に入る。
電気をつけると、天井の蛍光灯が一拍置いてから、順番に点いていく。
カウンターの中に入り、タイムカードを押す。カシャン、という音も、この建物が目を覚ます合図のひとつだ。
井辺杉花蓮。
タイムカードに印刷された自分の名前を、わたしは一応毎朝確認する。名前は、確認しなくても変わらない。変わらないけれど、何かを確かめておきたい気分の日もある。
わたしがここで働き始めてから、もう三年がたつ。
町の人は、わたしのことを「井辺杉さん」と呼ぶ。たまに子どもが「花蓮せんせい」と呼ぶ。わたしはそのどちらにも、だいたい同じように笑って返事をする。
カウンターの上にトートバッグを置き、返却された本を取り出す。
さっきの淡い青の単行本。カバーを指でなぞると、うすくざらついた手触りがあった。ラベルの番号を確認して、パソコンで返却処理をする。画面に表示された書誌情報を見て、わたしは少し首をかしげた。
――こんな本、あっただろうか。
タイトルは『川の向こうで読む本』。
著者の名前にも、見覚えがない。
もちろん、見覚えのない本が返ってくること自体は、そんなに珍しいことじゃない。うちの図書館には、それなりにたくさんの本があるし、すべてを覚えているわけではない。
でも、何かが引っかかった。
それが何なのかは、まだうまく言葉にならない。
書架の位置を確認するために、分類番号を目で追う。
「913」。日本の小説だ。著者名のカナが並ぶリストの中に、その名前はちゃんと存在していた。
棚は二階の、窓にいちばん近い列。川べりがよく見える場所だ。
開館までには、まだ少し時間がある。
わたしはカウンターから出て、本を胸に抱えたまま階段を上った。階段の途中の窓からは、灰色の雲と、薄く光る川面が見えた。さっきまで降っていた雨が、ようやく完全に上がったらしい。
二階の静けさは、一階よりも少しだけ濃い。
窓際の棚に近づくと、紙の匂いに古い木の匂いが混ざって、目に見えない埃が舞うのがわかる気がする。
わたしはラベルに書かれた番号を追いながら、目的の場所を探した。
913の棚の一角、あるはずのスペースに、同じ背表紙が並んでいる。
『川の向こうで読む本』
そこには、まったく同じタイトルと著者名の本が、すでに一冊、ちゃんと立っていた。
淡い青のカバー。白い文字。うすく雨粒の跡が残ったような色合いまで、ほとんど見分けがつかない。
わたしは、両手の中に抱えている本と、棚の本を交互に見比べた。
ラベルの番号も、まったく同じだ。
図書館の本は、一冊ずつに別々の番号が振られている。まったく同じ番号の本が二冊ある、というのは、本来ありえない。
けれど、目の前ではありえている。
棚の本をそっと引き抜くと、手の中の本と、ほんのすこしだけ重さが違う気がした。
それが、紙の質の違いなのか、濡れたあとの水分の差なのか、それとも、何か別のもののせいなのか、わたしにはよくわからない。
ページをぱらぱらとめくる。
活字はきれいに並んでいて、ところどころに鉛筆のうすい線が引かれていた。読んだ人が気に入った文章に印をつけたのだろう。図書館の本に線を引くのは、本来はルール違反だけれど、わたしはすべての線を消してしまうほど几帳面ではない。
返却されたほうの本を開く。
同じページを探して、同じ箇所を見てみる。そこには、線も、折り目も、何もなかった。紙の色だけが、ほんの少しだけ、こちらのほうが新しい。
二冊の本は、同じようでいて、同じではない。
どちらかが本物で、どちらかが偽物なのか。
あるいは、どちらも本物で、どちらも少しだけ間違っているのか。
返却処理をした画面を思い出す。
貸出履歴の欄には、昨夜の遅い時間に返却された記録が一件だけ表示されていた。借りた人の名前は、見覚えのない苗字だった。
わたしは二冊の本を胸に抱えなおして、窓の外を見た。
川の水面は、まだ少し濁っている。対岸の家の屋根から、雨どいを伝って水が落ちているのが見えた。その音は、ここまで届かない。
図書館の一日は、だいたい静かに始まり、静かに終わる。
そのあいだに起こることも、たいていは静かなことばかりだ。返却される本、借りられていく本、うとうとする人、調べものをする人。大きな事件は、この建物にはあまり似合わない。
それでも、一日にひとつくらいは、「唯一」と呼んでもいい出来事がある。
それはたぶん、他の誰にとってもどうでもいいような、小さなことだ。
けれど、わたしにとっては、その日を他のどの日とも取り替えられなくする、ちいさな印のようなものになる。
きょうの「唯一」は、たぶんこれだろう。
――同じ番号の本が、二冊ある。
そう考えてみても、やっぱり少しおかしい。
けれど、不思議と怖くはなかった。
むしろ、ほんの少しだけ、胸の奥がすうっと軽くなる感じがした。
階段のほうから、扉の開く音がした。
職員用の裏口から入ってきたのは、館長の足音だ。
時計を見ると、そろそろ開館の時間が近い。
わたしは二冊の本のうち、一冊を棚に戻し、もう一冊を腕に抱えたまま、階段を降りることにした。
どちらを残して、どちらを持ち帰るのか。
階段を一段降りるごとに、その選択は、わたしの足の裏から身体の上のほうへと、ゆっくり移動していくような気がした。
図書館の一日は、きょうも静かに始まる。
けれど、返却ポストの中には、たぶんもう一冊ぶんの物語が、こっそり紛れ込んでしまったのかもしれない。
そんなことを考えながら、わたしは一階の灯りの中へ戻っていった。
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