第2章 空を飛ぶ翼
「……よし、頑張るぞ」
辺りがだいぶ暗くなってきた帰り道。ソラは謎のふわふわに、家で変な行動しないように注意だけして、いつもより重たい玄関を開けた。
「た、ただいま〜」
父と母は既に帰宅しているらしい。靴が綺麗に並べられ、ソラもそれに習って靴を揃える。
さてまずはバレないように……
「ソラ〜、洗い物してるから弁当箱出して」
リビングからの母の声によってこっそり自室に戻る作戦が消えた。
「は、はぁ〜い」
急いでふわふわを鞄に押し込んで、何事もないように返事をして、リビングへ向かう。
リビングへの扉を開けると、暖かい照明の光と本日の夕食の香り。
「わぁ〜、今日キーマカレーか。うれしぃ〜」
母と手作りキーマカレーは絶品に美味い。多分店を出せるレベルであり、母自身も自慢の品らしい。
ソラ
くんくんと鼻を効かせてキッチンへ向かう。
「……ん?」
その時、モゾモゾと蠢く鞄。
何故か察しのいい母は、すぐに目をつけた。
「何か音しなかった?」
「ん!?え、な、何が?」
ヤバい!バレたら面倒になる!
そう思いソラは更に動く鞄を力ずくで押さえ込みながら平然を装う
「あれー?き、今日は早かったんだね」
「……えぇ、宮本さんがシフト変わってくれてね。今度お礼しとかないと。ってお父さんにも報告しなさい」
何か怪しんだ顔をした母だが、ここは強行突破。無理矢理話を変えることに成功?したのかは不明だが、そう言って母はソファーでくつろぐ父に目を向けた。
父は部屋着でソファーに横たわって、今か今かとソラの挨拶を待ってるみたいだった。
「た、ただいま、お父さん」
「……おう」
素っ気ない返事。声は返してくれても、目はソラを捉えていない気がした。思い返せば、最後に楽しい会話をしたのはいつだったかと感じて寂しくもなる時もある。
しかし、ソラと父との間には未だ塞がることの無い溝がある。
「遅かったな。学校で勉強してたのか?」
「……違う、空のこと調べてた」
次の父の言葉を想像しながら敢えて怒られるの覚悟で真実を述べる。
弁当箱を出してシンクに置きながら、未だ素っ気ない父へ返答した。そして、ソラの回答を聞いた父は「なに」と首だけこちらに向けた。
明らかな表情の変化。それを声色だけで理解できた。
「まだそんな事を調べてるのか?いい加減大人になれと言ってるだろう」
「はぁ?そんな事って何?空写のことを調べるのが一体何の迷惑なわけ?」
「それよりも、やることがあるだろと言ってるんだ」
全く聞く気のなソラを他所に、父は続けた。
だがその言葉はソラの闘志に火を燃やした。
「お父さんやお母さんには言ったことないけど、十年前私は空写の最終日に空を飛ぶ人を見た」
ソラの告白の序章を聞いた父は、目を見開き母に視線を送る。当然初めて聞くことになった母とどういうことかと父にアイコンタクト。
そのやり取りにソラが気付くことはなく、話を続けた。
「空写がこれまで色んな人が研究して、誰も真実に辿り着いていないのは知ってる。でもあの日私が見たアレはきっと、誰でもよかった訳じゃないはず」
空飛ぶ人の目撃情報はソラは手にしていない。つまりアレを見たのはソラ一人ということになる。
そんな奇跡の出会いを手にして、どうして動かない理由になろうか。
「常識的に考えて有り得ない。なんて分かってる!でも常識的に有り得ないことが今も空で起こってて、私はその一つを目の当たりにしてる」
十年前の目撃について、家族の誰にも伝えるつもりの無かった真実を口にして告げる。理由はなにも、信じてもらえないなどという子供の理由でない。
「平凡で何も持ってない私でも、もしかしたらあの空に届くかもって、どうして思っちゃいけないの!?勉強は……そうかもだけど、何かを目標に追いかけることは悪いこと?お父さんにとってはしょうもないことかもだけど、私にとって昔からの大切なーーー」
夢なの。そう言おうとして、母が視界に入る。
「ソラ。違うのよ」
「ぇ?」
「お父さんはねーーーー」
「美穂。やめるんだ」
何かを語ろうとした母を父は静かに静止した。
その行動もまた、ソラにとっては傷付く行為であり、
「こんなに言っても、お父さんは分かってくれない?」
「………………」
「お父さん」
「……だとしても、あんな訳の分からない事を調べてる時間があるなら、学校での成績を上げるとか、そういうことを優先しなさい」
ソラと父との距離感の正体。
小学生の頃に魅了された空写。それから空のことを調べてたソラを、父は何故か止めようとした。
始めは何が嫌なのか分からなくて泣いたりもした。でも、中学生になって、高校生になっても父はまだ、ソラが空写のことを調べるのを嫌悪した。
ソラ自身、別に迷惑掛けてる訳じゃない。学校の成績はあまり褒められたものではないが。
そういう訳で、かれこれ数年は父とこんな感じである。
母はというと、何かを知っているみたいだが、恐らく父に止められているのか話してくれない。
ここまで思いを語っても、伝えようとしても、父に届かないことをようやく理解した。
「……ウザ」
息を吐いたと同時に父への怒りをぶつけて、ソラは鞄を雑に持って二階の部屋へ向かう。
背中越しに「待ちなさい!」と父の怒号が聞こえたが、どうでもよかった。
せっかく未知との遭遇を得た今日という日を、あんな大人に邪魔などさせない。
3
さあさあと、ソラは部屋に戻ってベッドの上に、今度は優しく丁寧に鞄を置いた。
そっとゆっくりチャックを開ける。
「(ふわ、ふわふわふわ)」
ふわふわは、(苦しかったんですけど)と言わんばかりに豪快に飛び出し、空中で何回かクルクル回ってソラの頭の上に鎮座。
さて、ここからが今日の私のメイン行事!ソラは意気込んでさっきの父との会話は忘れて、早速ふわふわとの会合に臨む。
「それで??君はなんて言う名前なの?」
「(ふわふわ)」
「わかんないや」
セカンドコンタクト失敗。
そんな気はしていたから落ち込みはしないが……
「ふわふわってのもあれだし、名前分かんないから私で決めちゃってもいいかな?」
「(ふわふわ)」
「んーーー、ふわふわしてるし、多分空から降りて来たんだろうし……」
謎のふわふわの身体的特徴は無い。そもそも存在自体が特殊であるが、それを除くとただのふわふわした綿のようなモノだ。
エイリアンってわけでもなく、本当に綿菓子みたいな存在。
そして数十秒、最も国語が苦手なソラが導き出した答えは、
「よし!ソラリンにしよう!」
と、なった。
由来は、みなまで言わせないでおくれ。
「出会えた記念で、特別に私の名前も付けてあげたからね!よろしく!ソラリン!!」
ソラと空の掛け合わせってね。とペロッと舌を出す。
決してふわふわこと、ソラリンの了承を得たわけではないが、多分大丈夫だろう。
「(フワフワ!!)」
なんか興奮してるっぽいし、多分気に入ってくれたはず。多分。
「それで?ソラリンは何処から来たの?」
ふわふわと喜びの舞?を舞っているソラリンに、ソラは最も気になっていた事をぶつけた。
こちらの言語を理解できてるのは、何となく分かったので、ソラからは質問をするだけとなる。
こういうシチュエーションでのお決まりは、脳に流れ込む謎の声。とかが主流だろうが、そうではないようだ。
「(ふわふわ)」
ソラリンは窓に近付き、双眼で星々が輝く夜空を見上げた。そして柔らかな手で空を指定。
「そっか、やっぱり」
その横へ立ち、ソラも同じように空を見上げる。
暗黒の大地に点々と光る星達。そこへ薄く輪郭を残した大地が見える。ソラリンはあそこからやって来たのは間違いない様子。
窓を開けると、夏の温かい空気と共に、夜になり少し冷まされた風が頬を撫でた。ソラリンの毛並みも揺れ、それが落ち着かないのか、再びソラの頭の上に乗った。
「………」
綺麗な空。
日常で当たり前のように見てきた空だが、どうして手が届かない?
「……」
ふと、しんみりした心持ちの中、窓枠に伏せるようにして寄り掛かり、首をすぐ横の机の棚に向けた。
ミッチリと並べられたノート。手前の表紙には『研究ノート』と拙く記載されている。
それが、小学生の頃から調べた空写のことが記されたノート。
研究とは言っても、その半数が日記帳みたいになっていて、ロクな研究成果は見られない。
十年前のあの日から空に魅了され、心を奪われた時から片時も空写のことを忘れたことは無い。
どれだけ人に馬鹿にされようが、否定されようが、ソラはソラ自身が信じることを貫きたいだけ。
「………」
なのに。それなのに、どうして心が寂しいような、小さな穴が空いてるみたい。
今日一日で色々な事を聞いた。空写の日に行方不明になった女の子。そして、父のあれ程までの否定的な態度。
「……私、どうしたらいいんだろ?」
日中あれだけ熱くなってた気持ちが、空写が始まってから、何故か冷めてきた様な感覚に陥る。
「(ふわ!)」
すると、頭に乗っていたソラリンが、急に飛び立ち眼前で浮かぶ。
「(フワフワ!!)」
すると、何と何とガパッ、効果音と共にソラリンの口が開いた。それだけでも驚きだが、可愛らしい見た目に反してその口はなんと、ギザギザの歯が並び、その奥は深い深淵。急に背筋に冷たいものを感じ、思わず身構える。
そうして、オエッと吐き出された小さな石。七センチ程の大きさで、両面に両翼が描かれた綺麗な琥珀のような石だ。
「キレイ……」
吐き出されたと同時に、反射的にキャッチ。口から排出されたはずなのに、唾液等は無い。ポケットから取り出したみたいな手軽さでソラの手元にやってきた。
琥珀に目を移す。思わず見惚れてしまう程の美しさで、化石などでよく見る中に虫など昆虫が入っていそうなモノ。実際中には両翼が印されていて、化石と言うよりペンダントとして使われるチャームみたいである。
「これは、なに?」
「(ふわふわ)」
既に大きな口を閉じたソラリンは、何を伝えたいのか、嬉しそうにクルクル回っている。
ソラリンと謎の琥珀。両者をよく分からないまま見つめていた時、変化は突然起こった。
琥珀が小さい光を灯し始め、それが数秒で大きな光として輝き出したのだ。
「わっ、!わっ!なにっ!!??」
反射的に光を抑え込もうとして両手で琥珀を覆い、胸元へ寄せる。だが、それに反発する様に光は輝きを強めていき、ついには指の隙間から逃げ出した光が延びては消え、延びては消えてを繰り返し、やがてその輝きは、部屋全体を覆い隠した。
ドクンッーー!!
その大きな鼓動が誰のものか、理解出来なかった。
鼓動が自分のモノと気付いたのは、激しくなった鼓動により脳への酸素供給が活発化し、多すぎる血液の循環により目眩がした事によるものから。
苦しい。視界が白くなりつつあり、身体の苦痛と、この状態から抜け出せない精神的苦痛が全身を襲う。
当然の身体の覚醒に意識が追い付かない。
輝きは今も尚続き、それに共鳴するみたいに身体が熱くなる。
「ーーーー!!」
口が何か言葉を発したらしいが、何故か耳に入らない。多分苦痛の叫びだ。五感の全てが視覚だけに集中され、それ以外の情報が入らない。
ドクンッーーー!!
二度目の大きな鼓動。
そこでようやく光は収まり始め、同時に身体の覚醒が終わっていく。
「はっ……はっ、はっ、」
息が上がり、心臓が安堵を欲している。この数秒間呼吸が止まっていたようだ。拘束から解放され、ようやく充分な呼吸が行える。
「……なに、、いまの?」
呼吸と意識を整えてソラリンを見るが、彼は何事も無かったようにふわふわと浮かんでいるだけ。
時間にして何秒か。若しくは何時間にも感じた体感は、身体の状態が証明してくれている。
両手で握った琥珀も、まるで何事も無かったように手の中にあり、先程までの現象が夢だったのでは無いかと錯覚させた。
現に身体への異常は認められない。手足も動けば表情筋だって問題なく笑顔を作れる。
ただ身体的な倦怠感が、先の現象が夢でない事の証。
「ソラリン……?」
浮遊するソラリンに目を送るが、彼もまた何事も無かった様にふわふわしているだけ。
ソラリン自体が不可思議な存在だが、今の光の現象はソラリンとの邂逅を超える不可思議。
まるで映画で観たような神秘的現象にソラの心は恐怖ではなく、好奇心と期待の波に揉まれていた。
「もしかしてこれって、この光の後に空の向こう側の世界に繋がる扉が出てきて、私はお姫様として招待される。的な!!」
「(ふわ?)」
漫画やアニメ映画ではこの後の展開は何となく予測出来るものだが、ソラリンの雰囲気から恐らく違うらしい。
若干落ち込んだソラは、しかし手に持った琥珀を眺めて観察。
見た感じ、光る前と変化は無い。手触りがザラついている気がするが、もしかすると始めからかも。そんな異変探しのゲームの中盤みたいな状態に陥るが、幸いにもこれはゲームでもないので何かが起こることはないだろう。
ともするとあの光の現象は何だったのか。
幻覚?疲れ?父との会話からの怒りによるもの?様々な思考が駆け巡る中、ソラの視界に入ったソラリンを見て、たまに見る夢を思い出す。
耳元で風を切り裂く轟音を奏でる風の音。
顔から肩、胴体にかけて感じる風圧。
西に見える夕陽。
あの感覚は夢にしてはリアルなものとして記憶している。
夢とソラリンの関係性も視野に入れて考えるべきか。そう思考している中、ソラは自身の身に起きた異変にようやく気が付いた。
「………………ぁれ??」
いつもより低く感じる天井。
そう思えば光の現象の時、思わずベッドに座り込んだ筈だが、布団の柔らかさを感じられない。寧ろ何も無い。
「わぁ!!!??」
そしてようやく理解した。
「私、浮いてる!?」
気付けばソラは、名付けたソラリンと同じように宙へふわふわ浮いていたのだった。
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