灰になるまで
おげんさん
灰になるまで
ポケットの奥に、小さな思い出が眠っていた。
彼はそれを指先で探り当て、丁寧に取り出す。
それは紙のように軽く、しかし手の中で確かな存在感を放っていた。
まるで誰かの記憶のかけらを扱うように、彼は慎重に唇へ寄せた。
窓の外では、冷たい風が街を撫でている。
時計の針が、まるで他人の心臓のように遠くで鳴っている。
彼は指先で、ポケットの中の小さな金属を探る。
「カチッ」
ライターの蓋を開く音が、部屋の中に響いた。
刹那、青い火が揺れ、彼の顔を照らした。
火を近づける。
紙の先端がわずかに黒ずみ、やがて光を帯びた。
彼は深く吸い込み、静かに吐き出す。
吐き出した白い煙は、部屋の中で形を変える。
丸くなり、歪み、やがて消える。
まるで、もう二度と戻らない一瞬を再現しては、自らそれを壊しているようだった。
彼の吐く白い息は、夜と溶け合いながら、ゆるやかに天井に佇んでいた。
まるで過去の思い出が、行き場をなくして彷徨っているかのように。
火は次第に短くなっていく。
彼の指先がわずかに熱を帯びる。
灰が散り、机の上に落ちる。
まるで時間が崩れていくみたいだった。
彼はまた息を吸い込んだ。
火は短く揺れ、彼の頬を撫でるように光った。
光が弱まり、やがて消えかけたとき、
彼は小さく笑った。
それは、誰にも届かない笑みだった。
彼は指先でその小さな光を押しつぶした。
光を失った火種はただの影になる。
けれどその影さえも、どこか温かかった。
彼は立ち上がり、窓を少しだけ開けた。
冷たい風が頬を掠め、部屋の中に残っていたわずかな熱を攫っていく。
窓の外では、夜が広がっていく。
街灯の光が遠くで滲んでいる。
部屋の中には、もう火の気がない。
静けさの中、彼はポケットを探った。
もう一本、残っている。
けれど、それを取り出すことはなかった。
ただ、掌の中で感じるその重みを確かめながら、
彼は目を閉じた。
その部屋は熱を失った。
灰になるまで おげんさん @sans_72
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