第一章:3 二十二年前の罪
十一月十七日。
仄かに金木犀の匂いがしていた。
残暑が厳しかったため、開花が大幅に遅れたせいだろう。
「ここが、神田りりかの家ですか。なんだか物々しいですね」
コンクリートの高い塀に囲まれ、防犯カメラがあちこちに設置されているりりかの自宅前で、柴田はぽかんと口を開けていた。
確かに、中小企業の社長とすれば仰々し過ぎる。だが、この神田家の主人が一般人ではないという事を、既に高瀬は知っていた。
りりかの父、
それを知っているのか、本来なら無遠慮にマイクを向けるマスコミも通りにいない。
インターフォンを押すと、暫くして「どちらさんですか」と声が聞こえた。家の者ではなく、神田の下についている若い衆であることは、その声の出し方で直ぐに分かった。
「警視庁の高瀬です。神田さんにお話を伺いに来ました。開けてください」
高瀬のそれは、面会の許可を得る訳ではなく、最早当然とした言い方だ。すると、少し間をおいて「どうぞ」と違う男の声がし、鍵の外れる音がした。
「今のが神田だろう。行くぞ」
* * *
前庭を通り、高瀬のアパート程もある広さの玄関から、応接室へ通される。
白を基調とした明るいインテリア。壁には金属製の「株式会社KANDA RECYCLE」のロゴが飾られていた。
「組事務所というよりホワイト企業だな」
「僕、『産廃』の会社って、土建屋さんみたいなのを想像してましたけど、メチャメチャお洒落ですね」
勧められたソファーに腰を下ろし、小声でそんなことを話していると、「おまたせしました」と男が入って来た。
ダークスーツに身を包み、髪は撫でつけられている。指には金の平打ちの指輪。左手の小指がわずかに短い。なにより、圧倒的とも言えるオーラを醸していた。
「神田です。わざわざどうも。娘が世話になっております」
神田は、娘がまだ生きているかのように言った。疲れのようなものは見て取れるが、流石と言うべきか、最初の警察の訪問にも取り乱すことなく対応したと聞いている。
「あの、大変な時に申し訳ないのですが、確認のため、いくつか質問をさせて頂きたくて」
柴田はそう言うと手帳を開いた。喉が何度も上下している。神田に圧倒されてしまっているのだ。
「どうぞ。でも、もう大方うちへ来た警察に話してますよ」
ゆったりとソファーに体を沈め、神田は葉巻を咥えた。秘書がその葉巻に火をつける。
一連の動作が、役者のようだと高瀬は思った。
「それじゃあ、本題に入りましょう」
高瀬がそういうと、神田は顎を上げた。
同じことを何度も聞く警察が、そう言って本題に切り込んだことに驚いたようだ。整った眉を上げて高瀬をじっと見ると「助かります」と言った。
「河川敷で娘さんが『整えられていた』と、鑑識が言っていました」
「整えられていた……?」
神田の声がわずかに低くなった。
「そいつは聞き捨てならないな。私が見た現場写真では、明らかに娘は見世物になっていた」
そういって高瀬をねめつける神田の目は、企業の社長のそれとは違った。次第に吊り上がり、頬が次第に強張り始める。
「犯人は、手前の犯行に酔ってやがる。娘や家族がどんな思いをしたか──」
そこで言葉を切った神田の手がテーブルを打った。
「手前ら警察は分かっちゃいねえようだな!」
茶碗が転がり、室内には茶托が立てる、からからという音だけが響く。
その茶托を掌で叩きつけ、高瀬は身を乗り出した。
「自分の娘が殺されて、ようやくそういう思いに気付いたってか?」
「なに?」
「忘れたとは言わさねえぞ、神田よ」
ゆらりと立ち上がる高瀬を、神田が血走った目で追う。
高瀬はそんな神田の傍に立つと、その耳元に顔を寄せて言った。
「二十二年前──。あんたは一体何をした?」
神田の咬筋が緊張するのが見えた。そして、高瀬から目を逸らす。そんな神田の髪を掴むと、高瀬は顎を上げさせた。
「忘れたか? 小学校の女性教諭を乱暴し、死に至らしめたろ」
神田は組に入ったばかりの頃に、女性を強姦。その後女性は首を吊って自殺している。
「放せ」
神田は高瀬の手を払った。乱れた髪をかき上げ、じろりと高瀬を睨む。
「そいつはもう、償ってる」
「たった三年服役しただけだろ」
高瀬は不快感をにじませた。
「クズが」
高瀬が吐き捨てると、神田の眼がわずかに揺れた。
外で、金木犀の花がひとつ、音もなく落ちた。
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