学園の困り者くんたちに好かれて困ってます!
猫菜こん
1 約束を守らない人
……ルールを守らない人は苦手だ。その人の心が乱れていると思ってしまうから。
『こよねとママとパパはずっと一緒だぞ~っ!』
『ずっと?』
『えぇ。こよねが大きくなってもママたちがおばあちゃんになっても一緒よ』
ガランとした家の隅っこにある小さな仏壇の前で、今日も手を合わせる。
ただの口約束。契約書なんてなければ音声だって録っていない、脆い言葉。
それでも幼い私はそうなると信じて疑わなくて、言葉通り“ずっと一緒”だと思っていた。
約束も言ってしまえばルール。無条件に縛ってくる残酷な呪い。
だから約束を守らないお母さんもルールを蔑ろにする人も――いなくなればいいのに、って思う。
髪型よし、ネクタイよし、スカートの丈よし……うん、大丈夫だ。
近くの木に止まっているらしい雀のさえずりをBGMに、女子トイレの鏡の前で身なりを整える。
心の乱れは見た目に出るから、ちゃんとしておかないと。
もう一度だけ鏡を見つめて、女子トイレを出て腕時計を見やる。
朝の挨拶運動までまだ15分もある……微妙だ。
教室に戻って勉強するのには時間が足りないし、かと言って昇降口に立つのは早すぎる。
どうしようかな……なんて悩んで、廊下の窓から外を眺めた時。
「おはよ、
「んわっ⁉」
唐突に背後から声をかけられたと同時に、隣に人影が現れた。
あまりに急なそれに驚かずにはいられなくて、ドクドクと緊張で跳ねる心臓を抑えつつ私は声を発す。
「
「だって毎回、律儀に面白い反応してくれるからやりたくなるんだよね。あ、前髪切った? かわいー」
「話逸らさないで!」
今日も今日とて、この人は相変わらずだ。
癖毛なのかふわふわしていそうな紺色の髪に切れ長の紺藍の瞳、モデル顔負けなスタイルの良さは同じ中学2年生とは到底思えない彼……周防
常に大人びた表情の周防くんは私をこうしてからかうのが好きなようで、ほぼ毎日のようにダル絡みしてくる。
それだけでもしつこいなって思うのに、周防くんは毎回校則違反してやってくる。
「シャツはできるだけ第一ボタンまで留めてって昨日も言いましたよね? ネクタイも緩いし、ブレザーも前閉めてください!」
「そんなに言うなら月森サンがやってよ、ネクタイの結び方も忘れちゃったし」
「やりませんし、ネクタイは先週ちゃんと結べてたじゃないですか!」
「ちぇー、よく覚えてんね」
残念、と呟いてから渋々服装を整えていく周防くん。
一旦ネクタイを外してボタンを留めていく姿を見つめていると、『いつもちゃんとしてればいいのに』なんて思う。
校則さえ守れば彼は、誰もが認める優等生になると言うのに。
「やっぱ、ネクタイ月森サンが結んでよ。月森サン好みのカッチリした感じでいいから」
「嫌です」
「そう言わずにさー、自分で結ぶの面白くないし」
言いながらネクタイを私に押し付けて、周防くんはブレザーを脱ぐ。
その姿はまるでファッション雑誌の表紙のように絵になっていて、一瞬だけ心臓が高鳴ってしまった。
周防くんって、ずるい人だ。
「……じっとしててくださいよ」
「はーい」
気だるげな返事を耳にしながら、彼の胸元にネクタイを結ぶ。
流される私も大概だけど、この人は私が断っただけで本当にネクタイなしで一日過ごした前科持ち。
私の立場上それを見過ごしてしまったのはまずく、彼の言いなりになるしかない……という話。
面白くない。そんな理由で、平気で校則を破る人の世話を見なきゃいけない私の立場にもなってほしい。
しかも周防くんは私がルールを守らない人を嫌ってる、ということも知っている。彼のことを性格に難ありって言うんだろう。
「月森サンの旦那様になった気分」
「……周防くんみたいな人、いくらルックスがよくても恋人関係にはなりたくないです」
「ははっ、しんがーい」
思ってないくせに、なんて言葉は飲み込んでネクタイをキツめに結ぶ。
「結構固めにやったねー、取るの大変そう」
「普通の固さだとあなたはすぐ解くので」
軽口を叩く周防くんをあしらい、腕時計を確認してから踵を返す。
そろそろ挨拶運動の時間だから行かないと。呑気に周防くんの相手をしてる場合じゃない。
内心やや焦りながらも周防くんの一声かけようと、口を開きかける。
「俺、結構我慢強いほうだと思ってるんだけどさ……いい加減、“織”って呼んでよ。敬語もいらないし」
「……私がルールを守らない人が嫌いだって知ってるのに、何でそう言うんですか」
「今の俺はちゃんと守ってるよ? 堅苦しい制服、ちゃんと着たし」
「授業をちゃんと受けないような、不真面目な人もルールを守らない人に入るんです。呼ばせたいなら授業受けてからにしてください」
むしろ、そっちの理由のほうが大きい。
周防織は努力が嫌いで、生まれ持った才能だけで軽々と高い壁をも超える人。手を付ければ何でもできるオールマイティ人間。
『努力って言葉、俺は好きじゃないんだよね。だから月森サンが努力してるとこ見ると、純粋にすごいなって思うよ』
不良ではないのに彼が“困り者”と揶揄される所以は、きっとそういう人間性にあるんだろう。
「月森さん、おはよう。今日も早いね」
「おはようございます。……そういう先輩だって早いじゃないですか」
「あはは、確かに」
駆け足で昇降口へ向かうと、私に気付いた先輩が朗らかに挨拶してくれる。
名前は
視力が結構悪いらしいからレンズの厚い眼鏡を常にかけていて、なくすと途端に何も見えなくなるそう。
けれど一度だけ、先輩が委員会の資料確認中に寝落ちしちゃって眼鏡を落としてた時は可愛かった。
『ど、どうしよう月森さんっ、眼鏡どこかに落としちゃったみたい……っ』
『眼鏡……? あ、これじゃないですか?』
『本当だ……ありがとう月森さん! まさか床に落ちちゃってたなんてね……』
眼鏡をなくすと、まるで怒られて泣きそうになる子供のようになる先輩。
思い出すだけでもきゅんとして、こっそり頬を緩めた。
そんな私と先輩は風紀委員会所属。先輩が委員長で、私が副委員長を務めている。
剣菱先輩は私の厳しい指導とは違い、多少の違反は見逃してしまう優しい人。
だから男女関係なく好かれていて、私は密かに先輩を尊敬している。
私ももっと緩く指導できればいいんだけど、違反を見つけたら条件反射のように指導してしまう。
もちろん、違反するほうが悪いのは分かってるんだけど……。
「
「心配ならカバンひっくり返してもいいっすよ~?」
「おう、じゃあ遠慮なく。……おい伊狩、これは何だ」
「どっからどう見てもクッキーじゃないっすか~。これ、実は俺の手作り」
「没収と、反省文5枚な」
自分の未熟さを隠すように先輩の隣で、登校してくる生徒に挨拶をする。
そして徐々に挨拶運動に参加する生徒が増えてきた頃、そんなやり取りは聞こえてきた。
……また没収されてる。
校門で挨拶運動をしている先生に捕まり、「ちぇっ」と膨れっ面をしている男子生徒が一人。
彼はこの学校で有名な没収の常連、伊狩
二年生に上がってもそれは健在なようで、アプリコット色のサラサラな髪を揺らし反抗していた。
「せんせのケチ。せんせにとっては余計なもんでも、俺にとったら大事なもんなのに」
「ケチとかじゃない、校則には従うもんだ」
「……へーい」
それから数分押し問答を繰り返していたけど、ようやく諦めたのか伊狩くんはさっさと校舎に入っていった。
伊狩くんの背を呆れたように見つめている先生は、小さく息を吐き出して何かを口にする。
「伊狩、本当に――……」
でもここからじゃはっきり聞き取れなくて、先生と同じように伊狩くんを目で追いかけることしかできなかった。
まぁ、校則破るような人だから心配することないだろうけどっ。
そう思うように頷いた時、何の前触れもなく挨拶運動をしていた女子生徒たちの黄色い悲鳴が辺りに響き渡った。
「あ! ねぇねぇっ、
「嘘っ⁉ 今日は撮影あって来れないかもって言ってたのに、超ラッキーじゃん!」
「今日もビジュ大優勝すぎる……眼福だよ~っ」
“宏名くん”。そう呼ばれて周りを一瞬にしてざわつかせる彼は、校門からにこやかに前庭へとやってくる。
くすんだクリーム色の柔らかい髪質に、茜色の垂れ目の瞳。その場にいるだけでキラキラしたオーラを纏っているように見える彼は、さすが現役モデルだと納得させられる。
「宏名くんが表紙の雑誌買ったよ! 俺様っぷりがもうなんか……っ、すごかったよ! めちゃめちゃかっこよかった!」
「ほんと? ありがと~」
「そういえば宏名くんが主演のドラマ、来週からだったよね⁉ 今から全力待機しとくね!」
「ゆる待機でいいのに~。でも嬉しいよ~」
わらわらと自身に集まってきたファンに丁寧な返しをする彼。フルネームは確か……
鳰くんはギャップがとにかくすごい。芸能活動をしていない時は今みたいにぽわぽわしているのに、液晶画面に映る鳰くんはあまりにも別人。
言葉遣いが荒くて態度も横柄で、自分に絶対的な自信を持っている……いわゆる俺様、というやつ。
生きる世界がまるっきり違うから、できれば関わりたくない人の代表格が鳰くん。どうしてみんな、ああやって突撃できるのか私には分からない。
芸能活動が忙しいのか彼が学校に来る頻度は少ないけど、姿を見せる日は毎回こうなるから内心ちょっぴりうんざりしている。
「あの子……確か芸能活動してる子だったよね。本当にすごい人気だなぁ」
「そうですね。ファンが昇降口で騒ぐのは勘弁してほしいなって思っちゃいますけど……」
剣菱先輩が微笑ましく見守る隣で、微妙な口角の上げ方をする私。
別に鳰くんは悪くないのに、このままだと鳰くんにヘイトが向いちゃいそうだ……。
「月森、ちょっといいか?」
「は、はい!」
心の中で「ごめんね……」と鳰くんに頭を下げつつ挨拶をする私に、不意に声がかけられた。
背後からの呼び出しに声が上ずりそうになったけど、冷静にくるっと後ろを向く。
そこにいたのは先ほど伊狩くんからお菓子を募集していた生活指導の先生で、私の担任。
先生の腕には売り物のようなクッキーが入った袋が抱えられていて、一瞬だけ美味しそうだと思ってしまった。
「悪いな、いきなり声かけて」
「いえ、大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
「ちょっと月森に頼みたいことがあってな。第二理科室に日誌忘れてきたんだが、もうすぐ職員朝礼があって取りに行けないから……頼まれてくれないか?」
申し訳なさそうに笑う先生に、クッキーから意識を頑張って逸らす私はすぐに頷いてみせる。
よかった……何かしちゃったわけじゃなくて。
毎日清く正しく生きているから心当たりは一切ないけど、先生に呼ばれると驚いてしまうものだ。
「分かりました、今から取りに行きます」
「助かる。まぁ第二理科室は遠いし、ゆっくり行ってきていいからな」
「はい!」
大量のクッキーを抱えた先生が校舎に入っていくのを見送りつつ、腕時計をチラッと見る。
今からだったら全然HRに間に合う……早いとこ行っておこう。
「月森さんも大変だね」
「でも頼られるのは嫌いじゃないので、これくらいなら全然大丈夫ですよ。先輩だってそういう
「それでも、頼られすぎて自分が潰れたら元も子もないからね。ほどほどにするんだよ?」
「分かってますよ。……じゃあ、行ってきますねっ」
「うん、気を付けて」
やり取りを見守ってくれていた剣菱先輩に心配されて、申し訳ないような嬉しような感情を抱く。
先輩だって人のこと言えないくらいイエスマンじゃないですか……なんて。
思わず言いそうになった言葉を飲み込んで、先輩に一礼してから爪先を校舎へと向ける。
「――夕貴センパイってほんと、誰にでも優しいんだなぁ。……反吐が出る」
秋風が吹き抜ける窓辺で、苦い顔をしていた周防くんに気付かずに。
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