16.招かれざる訪問者

 土砂降りの夜だった。稲妻が閃くたびに、書斎の窓から見える庭の木々が、一瞬だけ不気味なシルエットを浮かび上がらせる。時計の針は午前二時を指していた。こんな時間に訪ねてくる者などいるはずがない。だが、たしかにノックの音が聞こえたのだ。

 リードは、ソファに深く身を沈め、時折ブランデーグラスを傾けながら、燭台の蝋燭の明かりを頼りに、読書をしていた。

 こんな時間に、この状況で、来客の予定などあるはずもない。


「……誰だ」


 声に出したが、返事はない。しかし、二度、三度と、ノックは規則的に繰り返される。妙なことに、その音は玄関からではなく、書斎の奥にある隣の部屋から聞こえているように思われた。

 リードは静かに立ち上がり、壁に耳を当てる。

 たしかに、ここだ。この壁の向こうに、何かがいる。或いは、誰かが。

 彼は扉の錆びついた真鍮製の取っ手に手を伸ばし、それをゆっくりと回した。

 軋む音を立てて扉が開く。隣室は漆黒の闇に包まれていた。だが、その暗闇の中から、微かな、しかしはっきりとした呼吸音が聞こえる。そして鼻を突く、甘くどこか懐かしい香りがした。

 停電中であるため、リードはスマートフォンでライトを点灯させる。光が闇を切り裂いた瞬間、彼の目は見開かれた。

 小部屋の中央に、ひとりの男が立っていた。妙に親近感を覚える男だ。

 それもそのはず、男はリードと寸分違わぬ、全く同じ顔をしていた。着ている服も、緩められたネクタイも、そして左手の甲にある小さな火傷の痕までもが、リードと瓜二つだった。

 さらに言えば、その男は頭頂部から靴の爪先まで一切濡れてはいなかった。屋敷の外は土砂降りなのだ。その場に突如出現でもしたかのようだ。

 男はゆっくりと口を開いた。彼の声もまた、リード自身の声と区別がつかないほどそっくりだった。


「もうすぐ、夜が明けます」


 リードは動けなかった。脳裏に、かつて読んだ奇妙な事件記事の詳細が蘇る。

 深夜、被害者の家に、『もうひとりの自分』が現れたという、都市伝説のような記事。

 しかし、これは都市伝説でもなく記事でもないのだ。

 目の前の男は、たしかに彼自身だった。

 男はリードの視線を真っ直ぐに受け止め、静かに微笑んだ。その微笑みは、リードが鏡で見る自身の微笑みと全く同じだった。


「さて、私とあなたどちらが本物でしょう? どちらが、次の朝を迎えられますかね」


 男はそう言って、ポケットから一枚のシワの入った原稿用紙を取り出した。それは、今朝方リードが、書き損じてクシャクシャに丸め、ゴミ箱に捨てたはずの小説の原稿だった。完成直前の推理小説のラスト部分だ。そこにはたしかにリードの筆跡であるにも関わらず、彼の知らない最後の数行が書き加えられていた。


「ラスト数行は、わたしが書かせて頂きました」


 男は原稿をリードに差し出した。

 リードは、震える手でそれを受け取って、スマートフォンのライトで照らす。

 そこに書かれた最後の文字列を、彼は震える声で読み上げた。


「……そして、自らのドッペルゲンガーと対峙した彼は──」


 リードの目が原稿から離れ、もう一度前に向けられた時、彼は思わず息を呑んだ。男の姿は完全に消え失せていた。


「誰か教えてくれ。わたしは、いったいどっちなんだ……」


 夜はまだ、明けきっていない。



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