あなたの声って、どんな声

七乃はふと

あなたの声ってどんな声

 わたしは走る。二人しか知らない、あの人との待ち合わせ場所へ。


 今日の学校が終わった。周りの同級生たちが立ち上がり、喋りながら廊下に出ていく。パチンと音がした。

 誰もいない教室。寝たフリをしていたわたしが頭を上げると、誰もいない。窓から差し込む弱々しい日差しでは、わたしにまとわりついた薄闇を祓うことは出来なかった。

 こうなったのは修学旅行の出来事が原因だった。わたしが遅刻してしまったせいで、うちのクラスだけあるイベントを見逃す事になってしまったのだ。

 わたしは待たなくていいと担任に言ったけど、待っていた。その結果、大盛況だったイベントを見逃したクラスメイト達は、他のクラスから距離を置かれる。それは修学旅行中の短い出来事だったけど、クラスメイト達は不満をわたしに投げつけてきた。

 すぐに謝ればよかったのかもしれない。でもその時体調がすこぶる悪かったので言い返してしまった。

 翌日から、無視されるようになる。元々一人が好きだったから味方してくれる人間もおらず、仲裁をしてくれると思い込んでいた大人達も、気づいていないフリだけが得意だった。

 突然腕を引かれた事で、わたしは現実に引き戻された。

 振り返ると警備員だ。道路工事をしていて、危うく入りそうになっていたようだ。

 わたしは頭を小さく下げるだけで、何か言いたそうな警備員と工事現場から早足で離れる。

 そこは車二台がギリギリ通れるだけの幅しかない通学路。ただでさえ狭いのに、工事のせいでちょっとした渋滞が起きていた。

 車の隙間を縫うように歩き、死角をカバーするカーブミラーを通り過ぎて、家に帰る。

 ひっそりとしたリビングの明かりをつける。共働きで二人とも遅くまで帰っては来ない。冷蔵庫に入っていた夕食をあっためると、自分の部屋に持っていく。

 制服から部屋着に着替えて食べる前に鏡を目の前に置く。修学旅行に合わせて金髪に染めたもう一人のわたしが現れた。向こうの世界のわたしも同じように沈んだ表情。

 どうしたの。と聞くと同じ質問をされたので今日あった事を話すと、向こうのわたしも同じ事があったらしい。

 愚痴を聞かせていると、お腹が減ってきたのでとっくに冷め切ったご飯を食べる。放り込むように飲み込んでいると、同じような食べ方をしているわたしと目が合ってしまった。

 目から出た汁のせいで、洗顔をサボってガサガサになった頬がえらくしみた。


 目が覚めるたびに思う。別の世界に行ければいいのに。そう考えるともう眠れないので、携帯で小説を漁る。

 今日は人気ランキング一位の異世界転生物を読む。

 国内総閲覧数二億回越え。そんなに人口いたっけ。

 読んでいるうちに頭がぼんやりしてきて、気づけば目覚ましが鳴っていた。読んでいた小説の事は、なんにも思い出せなかった。

 行きの時は道路工事が行われていたが、帰りの今の時間は警備員も作業員もいない。それでも工事現場はスペースを取っているので、車がスレスレのところを通っていく。

 家への曲がり角に差し掛かると、そちらから車が近づいてくる音がしたので、確認しようと、顔を上げると……。


 人がしゃがみ込んでいる。女の人が呑気に猫の首の下を擦っている。

 車はカーブミラーに写っている。音もする。なのに猫に夢中で気づいていない。

 わたしが声を出す間もなく、車が通り過ぎ人も猫も押し潰された。筈なのに、相変わらず猫と戯れている。

 満足したのか、立ち上がった猫がわたしの方に歩き出した。それを追いかけるようにその人も立ち上がり、固まった。

 口は、えっ? と言いたげに固定され、二つの瞳はわたしの方に杭を打たれたように固定されている。

 女の人の口が鏡の中で動き出したので、わたしは家がある曲がり角へ飛び込んだ。

 後ろから呼びかけられることはなかった。

 あの人は何なんだ。家に帰ってからも気になり、ベッドに潜り込んでも気になり続けた。

 ただの猫好き。ならいいが、わたしの前には猫も人もいなかった。いたら、車に轢かれて大事故だろう。念のため周辺で事故がないか確認するも、そんなニュースは見当たらなかった。

 見間違いだと、決めて瞼を閉じるも、女性が浮かび上がる。薄いピンクのリップが塗られた唇は何を伝えたかったのだろう。答えは出ない。

 そもそもわたしはなぜ逃げ出したんだっけ。頬に触れる。その答えはすぐに出た。

 翌日、カーブミラーには自分しか映らない。その次もその次も、鏡に映るのはわたしに訝しげな視線を送る工事の警備員。振り返ると、目を逸らした。鏡の中の警備員も全く同じ動きをしていた。

 あれは幻だったのかもしれない。

 今日も警備員の視線を無視してカーブミラーを見上げると、あの時見た猫がこちらに向かって歩いていた。目の前の道路にそれらしい姿はない。相変わらずこちらを見てくる警備員の足元に猫がいますよと声をかけても、何言ってんだと言いたげな顔で目を逸らす。

 やはり、猫は鏡にしか写っていない。じゃあと期待してカーブミラーの中の世界を覗いていると、現れた。

 コートを着込みハンドバッグを提げた女性が小走りでこちらに近づいてきた。猫を追いかけているのか、鏡のこちら側にいるわたしに気づいた様子はない。立ち止まっていた猫がわたしに向かって口を開く。

 女性がカーブミラーを見た。再び目が合って私たちは固まる。

 わたしも驚いたが、女性の方はもっと驚いたようで、まんまるな瞳を大きく見開いていた。お互い合図もしていないのに軽く会釈してしまった。

 それから週に一度、決まった時間に女性が現れる事が分かった。やはり気まぐれなのか猫は滅多に現れない。

 最初は目が合ったら挨拶するだけだったけれど、回数をこなすうちに話をしてみたくなつてきた。思い切ってこんにちはと学校でも出さない音量を出したが、届いてはいないようだった。

 次は挨拶して目が合った時にこんにちはと言ってみる。女性が何度か瞬きを繰り返す。こちらの口の動きで何かを伝えようとした事は通じたみたいだが、なんと言っているのかまでは分からないらしい。

 首を傾げて困惑気味の女性に、お詫びの意味を込めて深く頭を下げて、わたしはその場を後にした。

 次の週もこんにちはと、今度は声は出さず、唇を大きくはっきりと動かした。女性は数秒考えているように固まっていたが、ポンと手を打つと、わたしに向かってゆっくりと唇を動かす。

 こ・ん・に・ち・は。

 帰ったわたしは一日中胸が温かった。

 どうにかして、もっと話したい。考えてもなかなか思いつかずに、また会える日がやって来る。

 湾曲した鏡には、お馴染みになった女性と工事中の看板。

 わたしがポケットに手を突っ込み、こんにちはと言いながら、携帯を取り出した。

 携帯を指差して注目させている間に、メモアプリに文字を打ち込む。

 わたしはツボミ。あなたの名前はなんというのですか?

 携帯を限界まで近づける。

 女性は右に左にと首を傾げる。

 通じないと力が抜けそうになった時、女性がポンと手を打った。

 取り出した携帯のカメラをわたしに向ける。何をするのかと思ったら、空いた掌をこちらに向ける。まるでそのまま動かないでと言うように。

 携帯を見せたままでいると、女性は自分の携帯の画面を眺めながら頷いて、その画面をわたしに向けた。

 でも読めない。文字が全て反転しているせいだ。悪戦苦闘していると、助け舟が出された。

 女性が自分の携帯のカメラを指差している。

 わたしはすぐさま意図に気づき、反転した文字をカメラで撮ってから、左右反転させてみる。そこには……。

 初めましてツボミさん。私はマモルといいます。

 口から心臓が飛び出しそうになった。その姿を見たマモルさんは、口を押さえて微笑んでいた。


 マモルさんは高校の教師で、しかも、わたしの通う学校に赴任していた。でも私は一度も会ったことなく、マモルさんの方もわたしの事を見たことはないらしい。

 どうやら鏡の向こうとこちらは違う世界らしい。そうと分かって唇を噛んでしまい、マモルさんに嗜められてしまう。

 一週間に一度だけだったが、わたしはマモルさんに近況を報告し続けた。最初は他愛無い話題ばかりだったり、マモルさんの猫好きエピソードや、わたしと同じ小説投稿サイトを利用している事を知った時には、溢れ出るパワーで走って家に帰った。

 マモルさんに会える日は鏡で向こうにいるわたしと対峙する。理由はもちろんメイクをするためだ。マモルさんにみっともない姿を見られたくないと、洗顔も再開し、メイクも下地から始めて時間をかけるようになった。

 久しぶりのメイクは慣れるまでグチャグチャだったけど、慣れていくうちにわたしの上達に気づいてくれた。チークをしていないのに、カーブミラーに映るわたしの頬はほんのり桃色に染まっていた。

 話すのに慣れてくるうちに、わたしは今の悩みを打ち明けた。クラスメイトから距離を取られている事、大人の味方もいない事を伝えると、マモルさんは次の週まで待ってと言った。

 一週間後、わたしは教えられた次の日に朝イチのホームルームで教壇に立って謝った。生意気な態度で壁を作っていたわたしに、マモルさんはまず自分の壁を壊さないと。とアドバイスをくれた。それに味方はいるよ。とも

 謝ったからと言って、すぐに元通りにはならなかったけど、ある日二人づれのクラスメイトに挨拶してもらえた。わたしも挨拶を返しただけだけど、段々と分厚い壁が薄くなっているような気がして、わたしからもできる限り声をかけるように努めた。

 次の週。わたしは帰り道を走っていた。マモルさんに感謝を伝えるために。

 いつもの時間より早く着いて待つ。握りしめた携帯にはありがとうの五文字。

 マモルさんが姿を見せた。ちょっと早いからか、まだこちらに気づいていない。その後ろから誰か現れる。

 男の人は慣れた様子でマモルさんの肩を叩く。

 振り向いたマモルさんの表情は分からないが、逃げ出す様子もない。肩に手を置かれたまま男の人と一緒に元来た方向に歩いて行ってしまった。

 手に持つ携帯が異様に重く感じた。


 わたしは登下校の時間も道も変えた。クラスメイトとも話すのがめんどくさくなり、また孤立しかかっている。その気持ちを吐き出すところがなくなり、気づけば携帯のメモアプリには、読み返しても吐き気がするほどの恨み節が書かれていた。

 でも手放すことも出来ず、メモは汚い言葉で埋まっていく。

 今日はカーブミラーにマモルさんが現れる日。行ってみようか。いや目に入った途端、逆恨みの感情が溢れるだけ。そんな人間は会わない方がいい。

 サイレンを鳴らした救急車が通り過ぎる。同じようにパトランプを光らせるパトカーも。向かう先はあのカーブミラー。

 息を切らせて走ると、嫌な予想は当たっていた。

 カーブミラーがあった所に人だかりができている。頭ひとつ高いカーブミラーは見えない。

 人垣をかき分けると、道路工事のトラックが塀に激突していた。マモルさんとわたしを繋ぐ鏡は道路に倒れ無惨に砕け散ってしまった。


 何週間後、同じ場所にカーブミラーが設置された。わたしは一縷の望みをかけていつもの時間に覗き込んでみたが、マモルさんは現ることはなかった。

 学校に行っても大きな隙間の空いた心を埋める術が見つからない。もしかしてと校内を探すも影も形も見当たらない。再びクラスメイトと距離が出来てしまったが、それ以上にマモルさんに会いたかった。

 ベッドの上でご飯も食べずに考える。

 マモルさんに会いたい。

 なんで会いたいの、

 近況を報告したいの。

 自問自答は延々と続いた。

 例え鏡越しにあっても文字でしかコミュニケーション取れないよ。

 それでも会いたい。

 マモルさんには男の人、多分、ううん絶対恋人がいるよ。わたしなんか邪魔者だよ。

 それでも会いたいの。

 会って何話したいの。

 クラスメイトと話せるようになった事を話したい。投稿サイトで何の小説読んでるのか知りたい。わたしも読みたい。それと、あの男の人は恋人ですかって聞くの。

 恋人だったら?

 ぶっ飛ばす。

 方法はあるよ。

 はっ。と、自分が言ったことに思わず声が出る。

 方法って、マモルさんに会える、いや近況を伝える方法が、分かりそうで分からない。そんなあと一個でコンプなのに出る気配のない激レアを引き当てるように、わたしは足りない頭で考え続けた。そして閃いた。


 わたしはツボミ。赴任したあなたと同じ学校に通う高校二年生。趣味は小説を読むことで投稿サイトで気になったものを読む。今は、好きな人が読んでいる作品が気になっている。今やりたい事は好きな人にこの胸の中で煮えたぎる想いをぶつけたい。気になることは好きな人と一緒にいた男の人が恋人か気になって夜も眠れない。好きな人に会ったら何を伝えたい。

 あなたの声って、どんな声。


 わたしは小説投稿サイトにアカウントを作ると、この第三者から見たら意味不明の怪文書を、いつも会っていた曜日、時間に投稿した。そしてありとあらゆる鏡に怪文書を写した。なんの反応もなかった。閲覧数は一つも増えない日々が続いた。


 ポコンと、コメントの通知が届いたのは投稿して丁度一週間後だった。 

 

 

 

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