『「今は亡き旅の神たる旅匡（りょきょう）はかつて高らかに詠った！世界と世界とを繋ぎ、また全てを乱し魔の引力を惹きつけたこのスライこそが王であり神であると！ただ神を討つ星冠（せいかん）を待ち続けると！」

　今僕の前に座っている、白髪で片目眇（かためすがめ）の老人はいかにもらしく語った。正直、旅先の亡国の隅の隅でまさかポエマーに出会うとは思っていなかった。

　彼の言ったことはまさに厨二病らしいポエム。だがなにか、彼の言葉には深い意味があるやも知れぬと言葉を咀嚼し、反芻し、その上で僕は眉をひそめる。考えれば考えるほどに彼の怪しげな紫の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。

　

「つまり……えぇと……？」

　我慢が出来なくなり素っ頓狂な声を出してしまった。この何ともならない気持ちを声に出して老人に伝えようとしてしまった。

「だからな？ワシの言いたいこともそろそろ分かってきただろ。ワシは旅匡って神を信仰しとるんじゃ。」

　

　シワの深い口と荘厳な髭が揺れる。彼の言うその神というのが、旅匤の二つ名を持った、この世に座す神が一柱の旅の神の事を言っているなら、それは分かっている。

「いやぁ、そこじゃなくてポエムですよ。」

「何がポエムだ若造め。これは賛美歌みたいなものじゃ。」

　よっぽど分からなくなってきた。あまり神に造詣が深くないからかと自分を疑った。

「簡単に言うと旅匤のおかげで人々の繋がりが増えて結果的にみんな魔法つかえるようになったぜ、的なことじゃな。」

　魔法……確かに古代では一般的でなかったと聞く。今でこそよっぽどのことでもなければ、ほぼ全ての人間が手足を動かすように使える。例え物心ついても魔法が使えなかろうと、しっかりと訓練さえすれば使える。と言われている。

　古代と現代の間で人類に何があったのかと地味に気になっていたが、それがまさか旅の神に由来するとは恐れ入った。

「さて、若造よ。」

　老人は先程までの緩い雰囲気に喝でも入れる様に、やけに真剣な声で呟いた。

「ワシと殺し合いしようぜ。魔法で。」

　老人は顔の皺をいっそう深くしてニヤついた。

　どの国でも、魔法使い同士の決闘は治安の悪い街ならよくある事だ。むしろ都会でも路地裏でやっていたりするくらいだ。この国ならよっぽど、血の気の多い魔法使いや金の無いならず者が戦いを求めて訪れる。

「ほんとに殺しはしないからよ。さっさと決闘しようぜ。」

　魔法で殺し合う……。

「ど〜して初対面の爺さんとやり合わなきゃいけねェんですかね……」

　

　正直言ってこの国に来た時点でストリートファイトや強盗の類は受け入れるつもりだった。外国の治安に期待はしない方が良い。まして貧しいところなら更に警戒すべきだ。

　

　これを読んでいるのがどこの誰だかわからないが、何にせよこの世界のそれなりの常識はわかるだろう。そう、先ほど書いた通りこの世界の人間は当然に魔法を使える。

　

　才能のある者なら学校にも行かない年齢で人を殺せる。才能に恵まれぬ者でも小さい炎を出して葉巻を嗜むくらいは出来るのだ。

　僕は、葉巻も吸えない。

「あの〜？僕ってマジに魔法使えないんですけど……？」

「……いやそんなわけ、まぁ良いか。魔法無しで殴り合おうや。ほいスタート。」

「ん？ちょっ」

　彼は思い切り足を振り上げて砂を舞わせた。

　僕にはまだ若干の困惑があるが、ここでこれが本気の決闘なのだと認識した。そして彼は先の勢いを衰えさせぬまま僕の腹に殴りかかった。白髪の老人とは思えないその肢体の速度に驚愕する、その猶予も無い。

　

　僕とて彼の拳を喰らわぬように、必死に拳を逸らそうと掌底を繰り出す。一瞬老人の腕に触れた。だが彼の腕の頑強さに、僕の掌は布で釘を突いたみたいに……つまり彼の拳はしっかりと僕の腹に命中した。

　痛みに腹を抱え、膝を着く。だが蹲っている場合ではない……と前を見上げた時、僕の視界は老人の膝に覆われていた。僕は鼻に膝蹴りを食らうとこでギリギリ、僕の顔面と向かい来る膝の隙間に手をねじ込んで膝を抑えて突っ返した。

「っぶねぇぇぇ……！」

　そうリアクションしている場合ではない。

「なんだこの感覚？身体を強化する魔法……とも違ェな。」

「何！？」

　目の前の爺さんが自分の分析をしているのがひしひしと感じられる中、僕は反撃を試みた。数歩先の相手の元へたった一歩飛んで詰め寄り、その勢いを殺さないまま下方向に身をかがめて、思い切り下半身をよじる！回転の力を使い脚を伸ばして蹴ったつもりだ。相手の視界から消えつつ勢いを最高効率で使用しきるダイナミックな蹴りのはずだったが、相手は自前の硬い前腕一本でそれを受け止めた。

「それ十八番（おはこ）か？やるねぇ。」

　この賛辞をそのまま受け取って喜んで良いのか悩んでいる最中、彼は伸ばしている僕の足を掴んだ。まずい！と思った時には彼の両手が片方ずつ僕の足首と膝を押さえていた。それどころか僕の体がそのまま持ち上げられていた。というか真上に投げられていたのだ。

　どのくらい投げられた？僕的にはちょっとした邸宅の屋根くらい、成人男性４人か5人分の高さくらいかな。それくらいの高さに感じてたよ。後からこのご老人に聞いた時はそんなに投げてないって言ってたけど絶対嘘だよね。だって死ぬかと思ったし。

　しかし僕は、一瞬の内にされた老人のアドバイスを聴き逃さなかった。

「顎引いとけ、顎。」

　刹那の自由落下の最中、僕は背を丸くし顎を、引いた。自分が上手いこと着地時に転がって衝撃をやり過ごせることを祈って。

　ドン！と鈍い音を体内に感じつつも、それより大きい位置エネルギーの暴力をこの身に感じた。結果的に、僕は着地を失敗した。ちなみに今は地面に突っ伏して敗北を噛みしめている。

　しかし勝負が終わったと思ったのは僕だけだったようだ。僕を大空に向かって投げ上げた彼は指をパキっと鳴らしつつこちらに歩んできている。

　あこれマジか。まだやんのか。

　

「降参です降参！おじいさん！！！！！！！！」

「おお、まだ喋れるんだな。」

　この街に来た洗礼だ、と言って彼はニヤリと笑いながら手を差し伸べた。僕は彼の手を取って立ち上がって深呼吸した。

　そうして僕たちはそのあたりに適当に腰掛けて会話を始めた。先ほどまで決闘していた二人とは思えないくらいに和やかにだ。

「しかしお前さんよ、魔法は使ってないのになんで怪我一つ無いんだ？普通あそこからあの体勢で落ちたら内臓か骨がダメになるぞ。」

「確かに……奇跡ですね。無意識に何かしらの魔法を使えちゃったとかですかねぇ？」

「無いな。使ったことないなら分からんだろうが、魔法って使ったら独特の残滓みたいな物が出るんだ。」

「……てことは？」

「ん〜シンプルに体が丈夫すぎるんじゃろ。たまにいるんだよなそういうやつ。」

「えマジで？」

「神に選ばれたやつか、それとも転生者か、はたまた神の創造物か……何であれ神が関わってるんだ、お前さんみたいなイレギュラーてのは。」

「それはつまり」

「言ってやろうか。お前は」』

「……で、この子は結局何だったんです？神の生まれ変わりとか？」

　女はその破れた日誌を元あった様に、小さな丸机の上に置いた。それは片目眇の格闘老人と廃れた国へやってきた自分を書いたある若者の日記。この少年が今回の依頼の目標であり、この日誌は彼を見つけるための手がかりである。

　一応紹介をしておこう。この女はグレイヴという名で旅をしている。そして、癒演（ゆえん）と呼ばれる神を信仰している。その神は大まかに言えば癒すことを司る神だ。まぁあれの裏の顔など今はまだ知らなくても困らんだろう。

　

　彼女は癒しの神を信仰し、その影響で癒しの魔法を得意としていたのだがいつしか破壊を司る神に呪われ、それに由来する抑えきれない破壊衝動により故郷を追い出された。

　最早どうしようもなくなった彼女は各地を旅し、出来るだけ転々としながら癒しの神の意志を全うすることを決意した。癒しの神の意志とは、名の通りあらゆる人の傷を癒やし多くを豊かにすることである。

　

　現在彼女のしていることは、旅先で困った人を助けて金をもらっている、いわゆる何でも屋なのだ。あるいは探偵兼傭兵というべきか。そして彼女の今回の依頼は行方不明の若者の捜索だ。

　グレイヴは隣の机に置いた本をもう一度手に取ってみる。一部破れてボロボロになったページをつまんで不思議そうに眺める。これが書かれたのはそんなに昔でもないはずなのにこうも状態が劣化するのか？と彼女は目の前の老人を眺めて思った。

　

「サナシさん。黙ってないで何とか言ってください。この辺ページが破れて読めないんですよ。」

「知らんなぁ。」

　白髪の片目眇の老人は投げやりに、かつ何かが気に食わないような態度で言った。だからと言ってここで折れてはならない。今回の依頼では、おそらくこの老人が一番の手がかりだからだ。

「そんな訳ないでしょう。ほら、あなたの大好きな旅匤様だったらきっと何か助けてくれますよ？」

「だァからと言って知らんものは知らん！それに旅匤と言えど迷子探しの手伝いはせんわ。適当なことを言いおって。」

　グレイヴはこの後に言われるであろう嫌味を察して若干引きつった顔をする。

「ほうら、お前さんは癒演が好きなんじゃろ？あの癒しの神こそ迷子探し神じゃな。」

　グレイヴは、私の敬愛する神に対して適当なことを言うなと老人に一瞥する。

「そーですかそーですか。やっと見つけた手がかりがこんな態度じゃ、どうにもなぁ。」

「フン。」

　老人は鼻を鳴らした。グレイヴは疑念の感情まじりの目を老人に向けて少し思案する。

「じゃ、彼の真の正体とかは探りませんよ。でも代わりに見た目の特徴くらいは教えてくださいよ。」

「……分ぁった、ざっくり教えるからそれで帰れよ。」

　---

「兄貴ィ！もうコイツ殺しちまって良いか！？」

「おうバカ弟！ンな簡単に人の命奪っちゃァ駄目だろ！ぶち殺すぞッ！」

　彼らは亡国の古城の広間の玉座にもたれかかって、忙しなく会話を続ける。果たしてあれを会話と呼んで良いのか？俺は口に布を巻かれ、手足を縛られて寝かされている。

　

　ある日道端で人さらいに遭って、この世紀末的な兄弟に助けられたかと思ったら何故か城に連行→王座の前で拘束である。俺は顔が良いから拐かされるのは辛うじて理解できるが、このバカ兄弟の行動は理解できない。人さらいをボコボコにして「もうこんな事すんなよォ！」と言い放ったかと思えば真顔で俺を拘束して拉致なんだから。

　

　ちなみにこっちの、ボサボサで暗めの緑髪の男が弟「スラング」らしい。であっちの金髪のが兄の「ブーム」。どちらもパンクなゴーグルとマスクをしている。トゲトゲの付いているデニムジャケットがよく映える二人だ。

　

　屈強な男たちに攫われそうだったところを助けていただいてどうもありがとうございます！と言いたかったのに何故か拘束されているのだからたまったものじゃない。

　

　ブームとスラングは誰かを待っているらしくその人から頼まれて俺を攫ったと見える。彼らはお喋りさんらしく傍から聞いてるだけでもかなり状況が掴めてきた。アイツら何で俺の前でベラベラ仕事の事とか話しちゃったんだろう。

「しっかしよォ～～～あの人いつ来るんだァ？？？」

「落ち着けよ弟。あの人だって色々仕事があるんじゃねェのか？」

　

　突然広間の扉の動く音がし、恐らく彼らが待っている人物が姿を現す。

　その人物は俺に並ぶ絶世の美男とも、神の寵愛を受けたような美女にも見える中性的な顔だ。それに無造作にも見えるがむしろよく似合っている深い藍色の短めの髪。その人の濃い紫色の瞳が俺を覗き込んだ。

　

　ゆっくりと真っ直ぐこちらに向かってくる彼女はコートを脱ぎ着けていた手袋を思い切りポケットに突っ込んで咳払いをした。その人の入室に気付かないブームとスラングに向けてだ。

「ん？おァ！グレイヴの姉御！依頼の品でス！こちら！」

　ようやく依頼主であろう人に気づいた弟の方は、挨拶も無しにいきなり成果報告をする。

「お久しぶりですぜ姉御ォ。この通り、少年を連れてきましたぜ。」

　兄たるブームは多少礼儀を弁えつつ報告をした。まるで、さっきからあなたがいたのに気づいていますゼという顔である。

「あそう。よくやったようだね。でも私は丁重に扱えと言ったよね？」

「ハイ！オイラたちめちゃくちゃ丁寧にしましたぜ！」

「これだけ縛っておいてかい？」

「ハイ！兄貴も合意の上で縛りましたァ！」

「なんだか出血しているように見えないかな？」

「それァそもそもこいつを攫おうとしてた別のやつらに付けられた傷だぜェ？」

「そうかい。まぁ報告は以上で構わないよ。」

　その姉御と呼ばれた女性は面倒くさそうにしゃがんで俺の拘束を解いていく。

「あンれェ！？それ解くんすか姉御！？」

「"丁重"ってのはこんなに拘束しろってことじゃないんだよ！アホ兄弟。」

　ようやく口枷を外されて喋れるようになった俺はまずはそうやって兄弟を罵倒した。

「あァんだガキ！？顔が良いからって調子に乗るなよォ！？さっさと殺しとくべきだったかァ！？」

「おいおい弟よ……」

　よかった、兄貴はまだまともな方なんだよな。さっさとこの弟分を止めてやって。

「やるならキッチリ殺せよ？」

　駄目だこの兄貴。

「だよなァ兄貴！？こいつ顔だけ無性に良くて気に入らねェもんな！？」

「……」

　ずぅっと黙って見ていた依頼主は突然、ゆっくりとローブの中から木の枝のようなものを取り出す。それをぐっと握りしめてブツブツとなにか囁くように唱えたら、不思議と棒が長くなってゆく。太さも太くなって、気付けばそれはステッキのようなものになっていた。シックな黒に、赤と金の装飾がよく似合ったステッキだ。

　さらに彼女は元々綺麗な背筋をより伸ばし、軽く腰を曲げて右足を下げた。そしてステッキを持ち上げて、素早く二回床を叩く。

「ゲェ！？なんでェ！？姉御とだけは決闘したくないンですけど！？」

「仕方ないよね。私、お喋りな人は好きだけれどあんまり言うことを聞けないのは違うよ。それに、契約不履行の罰も兼ねてさ。」

「あァマジか！？本気なんスね！？」

　スラングはそういいながらも、やはり背筋をただし拳を構えた。いつの間にかその拳にはメリケンサックのような金属の塊が装着されていた。

「あぁっと……こういう決闘は俺が音頭とりゃァ良かったんだよなァ？」

　兄のブームはそう言い、確かこんな感じで……と呟き、肘から先の前腕を上げて指先をはっきりと伸ばす。

　スラングも、相対する女性もより深く腰を下げる。両者それぞれ得物をまた深く握る。

　彼がメリケンサックを深く握り込んだ時、それは何故だか深い緑色に光ったように見えた。丁度彼の髪色と同じような深い緑だ。

　音頭を取ると言ったブームは深く息を吸った。

「インツィーオ（開始）！」

　ブームが開始の宣言とともに開いていた左手の指先を思い切り握り込んだ。

　開始とほぼ同時にスラングは足を踏み出し右腕を思い切り振りかぶる。スラングがそうするよりさらに先に女性はステッキを若干持ち上げ何かをボソボソと呟いた……いや、唱えたのだろう。

　

　あのステッキの装飾と同じ赤の閃光がこの空間に響き渡った。それは光というには、あまりにも禍々しい、ナイフのように鋭い真紅。杖の先から轟いたその閃光は一瞬にしてスラングに衝突し、貫通した。それは瞬きより短いほんの一瞬であった。

　

　あんな閃光は他に無い。直接目にするのは初めてだがきっとあれは、破洒（はじゃ）……つまり破壊を司る神から生まれた魔法の一つ。

　そして、その破壊の神を源流とする魔法はこの国で禁忌とされている魔法だ。なるほど、禁忌とされているのもよく理解できる。

　現に鋭い閃光はスラングの肩から先の右腕を綺麗にすっぱりと切断していた。あまりにも一瞬のことで俺は呼吸すらも出来ていない。そしてスラングは遅れて起きたことに気付いたようで、目を見開いている。彼の声にならない叫びが聞こえた。

　あたりに飛び散る血液は、例の閃光によく似た赤色だった。