第23話:神の御車 -2-

初穂は、かつて都で宮大工を務めた男──藤治とうじを訪ねていた。

都で技を磨いた彼は、今では村の御座所を手がける棟梁とうりょうとなっていた。

初穂は設計図を手に、真っ先に藤治とうじのもとを訪れた。


「この図のとおり、木を組んでいただきたいのです。使う道具は、すべて村にございます」

図を見せられた藤治とうじは、ただただ唖然としていた。

それは見たこともない物だった──座具に車輪が取り付けられたもの。


「……これは、志乃さまのための……?」

「はい。志乃さまが、ご自身の足のように動かせるように──そんなふうに、考えて作りました」

図には、片足を収める台座と、もう一方で地を蹴るための仕組みが描かれていた。

志乃のために考え抜かれた構造だった。

乗り物には、両腕で押せるように工夫された杖が取り付けられていた。

志乃の細い腕でも、ゆっくりと進めるように設計されていた。

車輪のついた座具──今で言うところの“車イス”のような器具であった。


「……なるほど、なるほど。これは、轅車えんしゃや山車の構造に似ていますな。輪で支えて動かす、という理屈なら……やれないこともない」

「車輪は、樫で組んでください。丈夫な材が要ります」

「……樫でございますか。あれは並の材ではありません。削るのも、組むのも一筋縄ではいきません」

「はい。これは、藤治殿にしか果たせぬ仕事。お頼み申し上げます」


藤治の脳裏に、御座所の休息の間を手がけていた記憶がよみがえった。

なぜ、このようなことをご存じなのだ──。

なぜ、わしならできるとお思いになったのだ──。

まるで、創造の神が、少女の姿を借りてそこに立っているように思えた。


座具の木組みを藤治に託したのち、初穂はもう一つの要となる協力者のもとへ向かった。

たつの家である。

車輪を滑らかに動かすだけでなく、それを支えるための仕組みが要った。

油、留め金、そして──木を摩耗から守るための金具。

どれが欠けても、この器は長くもたない。

辰は村の行商を担当しているが、鍛冶の腕も確かで、農具や器具の整備を任されており、彼の協力が不可欠だった。


初穂が訪ねると、辰の妻が戸口まで駆け寄り、深々と頭を下げた。

「あのときは、本当にありがとうございました。神さまのおかげで、あの子もすっかり元気です」


小さな足音を響かせながら、すっかり元気になった男児が初穂のもとへ駆け寄ってきた。

「ぼく、もう元気だから、今度はぼくが神さまのお手伝いするね!」

初穂はやわらかく微笑み、その小さな頭をそっと撫でた。

「申し訳ありません、この子、神さまにご恩返しすると張り切っておりまして……。本日は、どのようなご用件でしょうか?」


「辰殿にお頼みしたいことがあり、伺いました。ご主人様はおられますか?」

「奥にて道具の整理をいたしております。すぐに呼んで参りますので、しばしお待ちいただけますか──」

柚葉は少年の手を優しく取り、「お姉ちゃんと一緒に遊びに行きましょう」と声をかけ、そっと外へと連れ出した。


家の裏手から、慌ただしい足音とともに辰が姿を現した。

「うちのせがれを助けていただき、まことにありがとうございました!あっしに何かご用でしょうか?」

「このたびは、どうしても辰殿のお力を貸していただきたく、参りました。このような金具と、油が必要なのです」

初穂は手元の設計図を広げ、辰の前にそっと差し出した。


基本は木組みで構成されていたが、車輪にはどうしても金具の補強が要った。

車輪が軸から外れぬように留めるための金具。

車輪の中心部に据えられる、軸を支えるための金具。

木の穴だけではすぐに摩耗してしまうため、それを防ぐ工夫が必要だったのだ。


「以前、山車を解体した折に使われてた金具を、蔵に残しております。形を整えれば、使えるかと……」

発言は控えめだったが、その瞳の奥には、職人魂の火が灯っていた。


初穂は、その胸に芽生えた変化を見逃さなかった。

「どうしても必要なのです。ご都合いただけますでしょうか?」

「承知しました。神さまのご依頼とあらば、断るわけにもいきません。三日、いただければご用意します」

彼の言葉は静かだったが、鍛冶屋としての矜持が全身に宿っていた。


「油は、若い衆に隣町から椿油を取り寄せるように伝えましょう」

辰の横顔には、すでに段取りを思い描く職人の風格が滲んでいた。

「ご助力、心より感謝いたします」

初穂は安心した表情で、一礼した。


──帰り道、既に日が傾き始めていた。

西の空が朱に染まり、初穂と柚葉の影を長く引き伸ばしていく。

夕暮れの風が、二人の髪をやさしく揺らしていた。


柚葉は、座具が完成した先に広がる光景を思い描きながら、胸の奥でわくわくと心を躍らせていた。

しかし、柚葉の高揚とは対照的に、初穂はただ静かに歩いていた。

初穂の背を見つめながら、柚葉は気づけば、声をかけずにはいられなかった。


「村の皆さんのご協力もあって、順調に進んでいるようで、何よりです。志乃さんが喜ぶお姿が、目に浮かぶようですね」

「いえ……まだ、大きな問題がひとつ残っています」

初穂は立ち止まり、柚葉の方に振り替える。


「このままでは、車輪がいとも簡単に壊れてしまうでしょう」

無表情……。だが、その視線は一瞬たりとも柚葉から離れなかった。

「……それは、どうにもならないのでしょうか……」

「車輪に巻き付ける、縄が必要です」

「え、縄……ですか。それでしたら、村にあるものを集めてみましょうか……」

「いえ、それでは車輪が長くは持ちません。巻いて焼き締めるための、太くて丈夫な縄が必要なのです」

柚葉は、困った。焼き締めるとは……?

そもそも、そんなものがこの村にあっただろうか……。


木の車輪では、地の揺れや衝撃に抗えず、やがて削れ、壊れてしまう。

本来なら、外周に鉄の輪を嵌めて補強するものだが、当時の村社会には車輪に使えるほどの鉄は存在しなかった。

初穂は、木製の車輪に、鉄輪の代わりとなるような“締め具”の工夫を考えていた。


しばらく思案に沈んでいた柚葉が、はっとしたように顔を上げた。

「神事を執り行う際に使う、丈夫な縄があります。用具は、いつも真澄ますみさまが保管しておられました」

「ありがとう。それでは明朝、真澄さまのもとへ伺いましょう」


そう言い終えると、初穂は迷いなく社殿へと歩き出した。

その一瞬、初穂がわずかに微笑んだ。

柚葉は、その変化を見逃さなかった。


初穂の思考と行動は、驚くほどに早かった。

電光石火のような速さ。その背を追いかけるばかりだった。

でも、ようやく隣に立てた──そう思えた瞬間、柚葉の胸の奥が、そっと温かくなった。

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