第10話 帰りの電車にて

「あ、あの。」

ビクッ、と体が震える。


学校も終わり、部活がないのでいつもなら残って勉強をすることろだったが、ふと、ベルのことが気になって、早めに帰ることにした。

そんな下校中の電車の中。

聞えたのは女子の声。

声を掛けられた。

朝の嫌な記憶が思い起こされる。


いや、まて、この弱弱しい声は、

「沖別府さん!」

「は、はい!」


彼女の名前は沖別府カロン。

天文部の部員だ。

前髪で目が隠れているが、一応見えているらしい。

僕も目線くらいなら認識できる。

性格はおとなしく、いつもは同じ天文部の龍水さんといるはずだが、

「龍水さんは、って、流石にいないか。」

「はい。シオンちゃんは、車です。」


龍水シオン。

彼女は同じく天文部員で、龍水家のお嬢様。

お迎えは勿論、家の車があるだろう。

しかしこれは決して、歩くのがめんどくさいから、という理由ではない。

車いす生活なのだ。

中学の時、事故にあってから、下半身が動かなくなったらしい。

今、学校では、中学生からの友達である沖別府さんがフォローしているようだが、それ以外のところでは家の人が面倒を見るだろう。


となると、

「沖別府さんは帰るときは一人なの?」

「いえ、いつもは、シオンちゃんの車に、乗せてもらっています。」

「ああ。なるほど。」

まあ、一人で登下校してるのなんて僕くらいか。


「あれ?じゃあなんで今日は電車なの?」

「えっ!あっ、えっ、と。」

小さな可愛らしい悲鳴を上げ、言葉を何とかつなぎながら目線を逸らす。

明らかに動揺しているな。


「何かここでいっちゃまずいような、言いにくい事情なら、無理して言わなくてもいいよ。」

「あ!いえ、そういう、わけでは、なく。」

もじもじとしている。

周囲の視線が集まって恥ずかしいからか、顔が赤くなっている。

うーん。

参ったな。

言葉に詰まっているようだ。

説明が始まりそうだから待つか、それとも僕から何か話そうか、迷う。


プシュー、と、ここで、電車のドアが開く。

「あ。わ、私降りますさようなら。」

そう早口で言い残して、沖別府さんは僕から逃げるように電車を出ていった。

僕がさようならを言う前に出ていった。

「何だったんだ?」

「何だろうねえ。ここカロンちゃんの降りる駅じゃないはずなんだけど。」

「うわああああああああ!!!!!」


後ろから急に今日の朝にも聞いた声が飛んできた。

思わず振り返り、叫ぶ。

「ふふっ、やっぱり可愛いねえカロンちゃんは。」

「ど、どこから?ってかなんでいるんですか!」

「ん?そこにずっと座っていたけど。」

テルミ先輩はそう言って、車両の奥の方の座席を指す。


「気づかなかったかい?実は私も声を掛けようかと思ったんだが、どうやって君をからかおうかと考えていた隙に、カロンちゃんに先を越されちゃってね。」

気づかなかった。

でも、丁度、僕の死角になる位置で、気づきようがなかった、ともいえる。

僕に落ち度はないはずだ。


「それに、行きの電車が同じなら、必然的に帰りの電車も同じになるだろう?なんでいるのかと訊かれても、帰っているからとしか答えられないよ。」

ぐうの音の出ない正論だ。

考えが至らなかった。

でも、とっさの事だったので仕方なかった、ともいえる。

僕に落ち度はないはずだ。


「……とりあえず、脅かすのはやめてくださいよ。」

「はははは。そうだね。迷惑にもなるし、もうしないよ。」

「…………。」

絶対に忘れた頃にやってくるな。


「で、カロンちゃんと何について話していたんだい?」

「聞こえてなかったんですか?」

「ああ。」

「……そうですか。」

「いやいや、本当だよ。聞こえてたらこうやって質問したりしていないさ。」

言われてみれば納得する。

しかし、どうも、嘘くさいのは何故だろうか。


「特に何も話してませんよ。世間話、でしょうか?」

「…………本当にそれだけかい?」

「はい。ああ、でも、沖別府さんの方から話しかけてきたから、何か僕に言いたいことがあったのかも。後でラインで訊いてみようかな。」

「……ふうん。」

「意味ありげな反応ですね。何か知っているんですか?」

「いや、何も知らないよ。カロンちゃんがアタル君に言おうとしていたことなんて、何も知らない。ただ、」

ただ、と言って、止まる。

溜める。

自分は知っている、察している、分かっていると言わんばかりに、溜める。

溜めて、吐き出す。


「青春だねえ。」

「…………なんだそりゃ。」

つい心からの本音を声に出してしまった。

かなり曖昧な表現。

結局、分からないんじゃないか。


「ところで、」

ごまかそうとしたのか、話題を変える。

「帰りの電車でアタル君を見るのは今日が初めてだ。これまで一度も見たことがない。察するに、いつもは学校で勉強でもしているんだろうけど、今日は何か用事でもあるのかい?」

「エスパーですかあんたは。」

察しがいいんだか、悪いんだか。

つかめない人だな。


「用事はないです。」

隠す理由もなかったので、正直に言うことにした。

「ただ、今日は、僕の帰りを待ってる人がいるんです。」


いつもとは違う状況。

僕にとって、普通じゃない状況。

僕が願った、望んだ状況。


一刻も早く帰りたいと、初めて思ったかもしれない。

それは、やはり、心配の感情ではなくて……


「やっぱり女か。」

「違いますって!」

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