転生アラサー聖女、推し不在につき恋愛フラグは理性で潰します

桜庭 りつ

第1話 見知らぬ天井で悟る、推し不在の異世界


「マジか……いや、マジで?」


 目を開けた瞬間、見知らぬ天井。

 あれ? 昨日、飲みすぎた?

 金の飾り縁のピンクの天蓋が、視界を占める。

 部屋全体が甘くて優雅で、夢みたいに現実味がない。


「あ、あー、あ――」


 声は出る。

 でも私の声じゃない。可愛すぎる。


「いや、ほんとここどこ?」


 まさかと思いつつも、予感はある。

 昨夜ビール片手にコンプした乙女ゲーム『聖恋夢(聖女は恋に落ちる夢を見る)』の主人公の部屋にそっくりだ。


 私、桃山りな三十歳。

 ブラック企業で残業漬け、週末はファンタジーで現実逃避していた。

 その逃避先が、まさか自分の墓場になるとは思わなかった。


 ――この世界、推しがいない。

 ないなら理性で進むしかない。


 このゲーム、王道で正当派すぎる。

 恋愛も友情も全部きれいに収まる“親切設計”。

 初心者には優しいけど、アラサーにはちょっとまぶしい。

 “聖女で王女でヒロイン”という三重苦を背負う存在――アリア・エターナルらしい。


「アラサーが今から十六歳の聖女とか……メンタルのHP、足りないわ」


 ため息まじりにつぶやく。

 返ってくるのは、花の香りと鐘の音。

 花なんて飾ったことのない私の部屋では考えられない。


「アリア様、お目覚めになったのですね! 良かった……。すぐに陛下と王妃様にご報告いたします」


 意識が浮上したばかりの私の耳に、若い女性の声が届く。

 顔だけ横に向けると、切れ長で藍色の瞳を潤ませた侍女と目が合った。


 この子、たぶんミラ・オーウェンだ。

 アリアの専属侍女で、ゲーム内でもよく見た顔だった。

 彼女は、慌てて部屋を出て行こうとする。


 え?待って。ここで私を一人にしないで!

 一人にされてしまったら、私、これから――

 声にならない声で叫んでいたとき。


「アリア様!」


 うわー、やっぱり来たー!

 攻略対象その1、護衛騎士レオンハルト。

 銀髪碧眼の、容姿端麗な護衛騎士。

 生真面目で無表情なため人を寄せつけない雰囲気がある彼だが、今は安堵の表情を隠すこともなく私をまっすぐ見つめている。


 護衛でも乙女の部屋に無断で入るのはいかがなものか。

 この世界の倫理観に疑問を抱きつつ、彼の登場で確信する。

 今は、アリアが礼拝堂で過労のために倒れ、強制的に休むイベントが発生している。


「アリア様、どこか痛むところなどは……」


 レオンハルトが話しかけてきたところで、廊下の向こうで慌ただしい足音がした。


「アリア、目が覚めたのか!?」


 はい、また来ましたー!

 今度は現役の国王と王妃。

 この体の持ち主の両親だ。

 すでに二人とも目が潤んでいる。

 レオンハルトはさすがに国王と王妃に遠慮して、 少し下がったところで立っていた。


 “美形の親から美形のヒロインが生まれる”

 乙女ゲームあるあるだが、連続で見ると圧がすごい。

 父は金髪に琥珀色の瞳。

 母はプラチナブロンドにアリアと同じ紫がかった青い瞳。

 美しさの暴力である。


「お父様、お母様。心配をおかけしてしまい申し訳ありません」


 この子の両親といえど、相手は国王と王妃だ。

 ベッドで寝たままではさすがにマナー違反かと判断し、私は侍女の手を借りて上半身を起こす。

 淡いピンクゴールドの髪が胸元までさらりと落ちた。

 髪の色を見て、気持ちが沈む。


 なんでよりにもよってこの世界なのよ!


「私はもう大丈夫です。どうか公務にお戻りください。レオンハルトとミラにも心配をかけてしまいましたね。ゆっくり休めたので体は問題ありません」


 ゲームを思い出しながら、アリアが言いそうな台詞を懸命に考える。

 精神的には問題大アリなんだけどね。

 言ったところで信じてもらえないだろうから、今は黙っておこう。


「アリア。本当に大丈夫なの? 礼拝堂で倒れたと聞いたときはどうしようかと……」


 ハンカチを目元に当てて、王妃が口を開いた。

 プラチナブロンドの髪が陽光を受けて薄く輝いていた。

 隣で国王も束ねた金色の髪を揺らしながらうんうんうなずいている。


「昨夜、少し夜更かししてしまったようです。本当に問題ありませんので、ご心配なく。これから医師の診察も受けますので」

「そう? 私たちを気遣っての言葉ではなくて?……信用していいのね?」

「もちろんです」


 紫がかった青い瞳が、私を見据える。

 穏やかに微笑んでみせれば、彼女は一つ軽いため息をついて視線を落とした。


「アリアがここまで言うのだ。あとは医師の判断に任せよう」

「……そう、ですわね」


 父の言葉もあり、母もそれ以上は口をつぐんだ。

 琥珀色の瞳が細められ、父の少し節くれ立った大きな手が、そっと私の頭を撫でてくれる。


 愛されてるなー。

 頭を撫でられるなんて何年ぶりだろうと、しみじみと感じ入っていた時。

 不意にノックの音が聞こえた。

 扉は開きっぱなしなのに、わざわざノック?

 私たちは一斉に扉の方を見る。


「失礼いたします」


 そう言って部屋に入って来たのは、オレンジがかった金髪に青灰色の瞳をした一人の少年。

 ルシアン・エターナル。

 私の一歳違いの弟だ。

 十五歳のはずだが、画面越しに見るよりもずっと大人びて見えた。


「姉上が目覚められたと聞き、伺ったのですが……どうやら私が最後のようですね。遅くなり申し訳ありません」


 丁寧な言葉なのに温度が低い。

 でも、理由はよく知っている。

 ――本来立太子するはずだったのに、アリアが“聖女”となったせいで成人後は臣籍降下が決まった不遇キャラなのだ。

 有能なのに。


「早く医師に見せた方が良いかと思い、リアムを連れて参りました。リアム、こちらに」

「失礼いたします。お加減はいかがですか? 姫様」


 ルシアンに呼ばれて、白い医務服を身にまとった中年の女性がベッドの近くに来る。

 彼女はリアム・メイ――私の専属医師だ。

 そばかすの残った顔に人懐っこい茶色い大きな瞳のふくよかな女性。

 そこいらのおばちゃんに見えそうなものだが、聖女の専属なだけあって腕も確かである。

 でも、乙女ゲームで女医って珍しいよね。

 それも近所にいそうな親しみやすそうなおばちゃんだ。


「悪くないわ。ちょっと寝不足だっただけなの。皆が大げさなのよ」

「それは、私が判断することですよ。姫様」

「……そうね。ごめんなさい」


 リアムの言葉が正論すぎてつらい。

 ちょっとヒロインムーブしすぎたかしら。


「では、これから姫様の診察を始めます。皆様は退室を。ミラは残って手伝ってちょうだい」

「かしこまりました」


 両親を呼びに行った侍女のミラだけを残して、リアムが国王夫妻と護衛騎士のレオンハルトを部屋から追い出す。

 なお、弟のルシアンは自分からさっさと出て行った。

 薄情者め。


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