降水確率0%の男

よし ひろし

降水確率0%の男

 俺の名は晴彦はるひこ。世間は俺をこう呼ぶ――「超晴れ男」と。

 俺が「てるてる坊主」という屋号でこの商売を始めて十年。契約書に「降水確率0%」と記せば、その日の空は一点の曇りもなく晴れ渡る。野外コンサート、結婚式、地域の祭り、ありとあらゆるイベントで、俺は太陽を連れて行った。その神通力は、今や気象衛星の予測よりも信頼されていた。


 そんな俺に、キャリアの集大成ともいえる仕事が舞い込んだ。四年に一度開催される、世界的スポーツの祭典。その開会式の依頼だった。契約金は破格。だが、それ以上に俺の心を震わせたのは、世界が注目する舞台で、自らの力を証明できるという高揚感だった。


「お任せください。当日、あのスタジアムの上には、雲ひとつありません!」


 俺は依頼主である組織委員会の面々の前で、そう断言した。彼らの不安げな顔が、俺の言葉でみるみるうちに安堵の色に変わっていくのを見るのが、何よりの快感だった。


 そして当日――


 真新しいスタジアムの特別席に腰掛けた俺は、ゆっくりと空を見上げた。


 完璧な蒼穹!


 夏の強い日差しが、これから始まる祝祭を祝福しているかのようだ。俺は目を細め、満足げに頷いた。メディアのカメラが、そんな俺の横顔を捉えているのが分かる。伝説が、またひとつ生まれる。誰もがそう確信していた。


 開会式が始まり、各国の選手団が華々しく入場してくる。その熱気が最高潮に達しようとした、まさにその時だった。


 ぽつり……


 俺の額に、冷たい感触があった。


「まさか――」


 気のせいかと思った。

 だが、またひとつ、ぽつりと頬を濡らす。周囲がざわめき始める。

 見上げると、あれほど完璧だった空に、信じられない速さで灰色の雲が広がっていた。そして、それはやがて、静かだが確かな意志を持った雨となって、地上に降り注いできたのだ。


 スタジアムはパニックに陥った。関係者は血相を変えて俺の元へ駆け寄ってくる。観客は呆然と空を見上げ、選手たちは戸惑いながら雨に濡れている。

 俺はただ、席に座ったまま、降りしきる雨をその身に受けていた。


「ああ、降っちまったか……」


 俺は深いため息とともにつぶやいた。



 イベントの後、俺はメディアと組織委員会の幹部たちに囲まれていた。怒号とフラッシュの嵐。裏切り者、詐欺師、あらゆる罵声が俺に浴びせられた。これまで築き上げてきた名声が、音を立てて崩れていく。


 しばらくその喧騒を静かに受け止めていた俺は、やがてゆっくりと口を開いた。喧騒が、ぴたりと止む。皆が俺の言葉を待っていた。超晴れ男・てるてる坊主の証言、いや、言い訳を――


「今日、晴れなかったのは――」


 俺は一呼吸おいて、毅然として言った。


「今日晴れなかったのは――私を上回るほどの『超雨女』が、選手としてあのグラウンドに立っていたからです」


 再び場が騒然となる。「誰なんだ」「そんな馬鹿な話があるか」。記者たちがマイクを突き出す。俺は、雨で濡れたままの顔に、穏やかな笑みを浮かべた。


「……何を隠そう、私の妻ですが」


 その瞬間、スタジアムの大型ビジョンに、今大会の金メダル最有力候補として注目されていた、一人の日本代表選手がアップで映し出された。女子やり投げのエース、美雨みう。彼女こそが、俺の妻だった。極度のプレッシャーと興奮状態に陥ると、幼い頃から必ず雨を呼んでしまう特異体質の持ち主。

 俺はビジョンの中の妻を見つめた。彼女の瞳には、大舞台に立つ緊張と、夢を叶えようとする強い意志が宿っていた。彼女の人生で最も重要なこの日、この瞬間。彼女の心が、天を動かしたのだ。


「はぁ~、妻には勝てません。皆さんもそうでしょう。違います?」



おしまい


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降水確率0%の男 よし ひろし @dai_dai_kichi

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