寂しい人 第四章

鈴木 優

第1話

   『寂しい人』第四章 

                鈴木 優


 春の風は、冬よりも少しだけ騒がしい。

 けれど、駅のベンチにはまだ静けさが残っていた。


 彼は、今日も同じ時間に駅へ向かった。

 グレーのマフラーはもう必要なかったが、ポケットには、あの日と同じように小さな封筒が入っていた。


 売店の前には、もう彼女の姿はなかった。

 

 けれど、代わりに若い店員が『おはようございます』と声をかけてくれた。

 

 彼は微笑みながら、温かい缶コーヒーを一本受け取った。


 ベンチに座ると、目の前の桜の木が、ほんの少しだけ花をつけていた。

 

 その下には、誰かが置いたらしい白と黄色の小さな花束があった。


 彼は、そっとそれに目を落とし、そしてポケットから封筒を取り出してベンチの隅に置いた。


 中には、短い手紙と"願い"が入っていた。


『また、ここで会えたら嬉しいです。

 あの風のように、優しい時間を、もう一度。』


 そのとき、背後から、あの子の声がした。


『…お久しぶりです』


 彼が振り返ると、そこには少しだけ髪が伸び、春のコートを着た彼女が立っていた。

 

『母が元気になって、少しだけ時間ができたんです』


『それで、どうしても…来たくて』


 彼は、言葉が出なかった。

 ただ、静かに頷いて、ベンチの隣を指さした。


 ふたりは暫くの間何も言わず、ただ黙って並んで座っていた。

 

 心地よい風が吹いた。

 桜の花びらが、ひとひらだけ舞い落ちるのが見えた。


 それは、まるで『寂しさ』が、少しだけ形を変えて『やさしさ』に変わって行くように感じていた。


 彼女は、そっとバッグから小さな包みに入っている手編みのコースターを取り出した。

 

 中には二枚。

 ひとつは白、もうひとつは淡い黄色。


『喫茶店で、また一緒に使えたらと思って』


 彼は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 そして、静かに言った。


『ええ。また、あの席で』


 電車が通り過ぎる音が、遠くに響いた。

 けれど、その音は、もうふたりの間にある静けさを壊すことはなかった。


 春の空は高く、雲はゆっくりと流れていた。

 

 それは、まるでコレからの二人の歩く速さに合わせるかのように、静かにゆっくりと穏やかに流れていた。


 

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